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復活の蔵元 奮闘中 堺の堺泉酒造

2018年10月20日

 かつては灘や伏見と並び称された酒どころ・堺で、44年ぶりに蔵元が復活し、伝統産業を軌道に乗せようと試行錯誤を重ねている。誕生した日本酒の銘柄は、地元ゆかりの茶人にちなんだ「千利休」。再興を熱望する堺市民らが後押しした。製造元の堺泉酒造では百舌(もず)鳥・古市古墳群の世界遺産登録も視野に「堺のため、間違いなくええもんを造り続け、広く知ってもらいたい」と展望している。

堺泉酒造の主力商品「千利休」=堺市
酒米として利用する「山田錦」=堺市

 古くから鉄砲鍛冶や茶の湯で知られ、刃物や線香など伝統工芸、文化のまちとして知られる堺市。一方で、江戸時代には上方から江戸へ船で運ばれ、「下り酒」ともてはやされた屈指の酒どころだった。明治初期には酒造組合が組織化されるなど、ピーク時は95軒の蔵元でにぎわった歴史がある。

■待望論

 その後、戦争を経て、堺の酒は血筋を絶やすことになる。急速な工業化に伴う地下水質の変化や、空襲で焼失したことが大打撃となり、1971年を最後に酒蔵は姿を消した。

 しかし近年、地元では地域活性化の柱の一つとして待望論が湧き起こった。そこで経営の担い手として白羽の矢が立ったのが、河内長野市にある酒造会社の代表を務めた西條裕三社長(76)だった。脳梗塞(こうそく)で倒れて一線を退いていたが、堺市で少年時代を過ごした地縁と、酒造りのノウハウを見込まれ、回復の兆しが見え始めたころに声が掛かった。

■地元で酒造りを

 しかしながら、蔵もなければ免許もない。一からのスタートを物心両面で支えたのが、堺に住む親しい友人たちを中心としたグループ。酒米品種の「山田錦」はなんとか手に入れたものの、免許の取得には生産量など高いハードルがあった。全国を行脚し、探し求めること10年。神戸市にある西條社長旧知の蔵元から免許を引き継ぎ、ようやく営業にこぎ着けた。

 南海・堺東駅近くの料亭を改装、拠点化したのが2014年12月。翌年に販売を始めた。16年10月には「火入れして常温で提供したい」という考えから、「偶然空いていた」(西條社長)かつての酒蔵集積地に居を移した。空調など6千万円をかけて設備を拡充し、本腰を入れることになった。

■堺の酒知って

 主力の純米吟醸酒は、落ち着きのある安定した風味が持ち味。市内に150軒以上ある酒販店を1軒ずつくまなく巡るなど地道な活動が実を結び、百貨店やスーパーなど次第に引き合いも増えてきた。年間生産量は一升瓶換算で約1万本に相当する約17キロリットルと決して多くはないが、今後も需要に応えていく考えだ。

 今季は仕込みが始まったばかりで、繁忙期には寝ずの番で見守るなど40代と50代の杜氏(とうじ)3人が切り盛りする。11月中旬からの出荷を予定しており、杜氏の望月清美さん(40)は「堺で酒造りが盛んだったことを知らない人も多い。改めて堺の酒のことを知り、飲んでほしい」と意気込んでいる。


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