金井啓子の現代進行形

法律違反の有無だけが大切か

2017年6月8日

良識が問われる加計学園問題

 加計学園問題について知人と話していた時に、なんだかモヤモヤした気分になった。政治についての関心が高く知識も多いこの知人が私に「法律を破ってないんだからいいでしょ。内閣とか国会というのは倫理を問う場所ではないのだから」と言ったからだ。この知人の言葉は正しいのだろうか。法律さえ守れば後は何をしても許されるのが政治だという考え方に違和感を覚える私が、青臭いのか。

 加計学園の問題が話題になる前には森友学園に関する不透明さが注目されていた。この二つの件について、「どこに法律違反があるのか。違反がないなら問題ないだろう」という意見は根強く、広く支持されている。一般人のみならず、政治にかなり影響力を持つ著名人もこういった意見を発信しているのを見かける。特に加計学園に関しては、そのトップにある人物が安倍首相と大変親しい間柄であることから今回の問題が出てきたため、この議論が一層ヒートアップしている。

 だが、この問題は法以前の話で、国家としてまともな体を成しているのかという点に尽きるのではないだろうか。

 「どこに法律違反があるのか」と問う人は、ならば電車の中で携帯電話に向かって大声で話す人がいても「問題なし」とするのか。同じく電車の中で、見るからにかなり具合が悪そうな人が目の前に立っている時に、健康な人が座席についたまま声もかけない状況であっても、「法律違反ではないからかまわない」と言うのだろうか。また、周囲の客が静かに食事を楽しんでいる高級レストランで、大きな声を出してドンチャン騒ぎをする一団を横目で見ても「法律違反ではないから問題はない」と目をつぶるのかと問うてみたい。そして、国民の税金で運営されている役所に対してなんらかの申請を行った場合に、おエラいさんの仲良しである一部の人の申請は認めるが、それ以外の人にはさまざまな理由をつけて認めない役人を「問題なし」と言えるのか。

 いずれも法律違反ではないが、社会のルールとして問題がある。ましてや、公平・公正・透明を厳守すべき行政が、法律違反がないことを隠れみのに、厳密なルールを破っていいわけがない。

 冒頭に書いた知人は「行政府、立法府は倫理を問うところではない。法令に照らし合わせて瑕疵(かし)があるか否かを話し合うこと以外は時間の無駄だ」とも口にしていたが、決してそんなことはない。

 内閣総理大臣というのはこの国のトップであり、最も公平・公正・透明が求められる存在である。今回の問題で問われているのは法律以前の話で、安倍晋三氏が内閣総理大臣としてふさわしいかどうか、日本は民主主義国家なのか、それとも一部の人たちをえこひいきするご都合主義国家なのかが問われている。と同時に、私たち有権者も先進国にふさわしいバランス感覚を持っているかを問われているのだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)