金井啓子の現代進行形

“喧嘩両成敗”では解決しない

2017年8月24日

強者と弱者の非対称性は日本にも

 米南部で発生した白人至上主義などを掲げる団体とこれに抗議する市民グループとの激しい衝突について、トランプ大統領は「双方に責任がある」とし、抗議した市民グループも非難した。白人至上主義や人種差別を明確に否定しなかった大統領に対し、共和党からも批判の声が強まり、主要企業経営者が名前を連ねる二つの大統領諮問機関では辞任が相次いだ。

 今回の発言の最大の問題点は、差別と反差別を同列に並べて論じた部分である。そもそも歴史的に差別主義者は暴力や権力を使って被差別者を抑圧してきており、差別者と被差別者は決して対等ではない。強者と弱者の関係であり、そこに非対称性があるのである。米国における黒人解放のための闘いの歴史は古く、そうした経緯を経て勝ち取った“自由の国”である自国を米国民は誇りとしているはずだ。それだけに、多くの米国人が白人至上主義に対して怒るのは当たり前の話で、それをいわば“どっちもどっち論”で片付けようとした大統領は、むしろ白人至上主義者の側についていると、議会も国民も、そして財界も見放したというわけだろう。

 一方、日本では、この“どっちもどっち論”がいまだに幅を利かせている。その一例が、昨年沖縄県東村の米軍ヘリパッド移設工事で、警備中の大阪府警の警察官が抗議する人たちに「土人」「シナ人」などと発言した時の松井一郎大阪府知事の対応だった。ツイッターで「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と書き込んで“炎上”した。後になって、知事は「警察官の表現は不適切」としながらも、「相手もむちゃくちゃ言っている」と述べて、発言を撤回しないとした。

 こうした“どっちもどっち論”は一見、公正で大人の対応のようなイメージだが、抑圧する側の圧倒的な力には触れておらず、結果として強者を擁護している。国家や政治家など圧倒的な力を持つ者を、批判したり反対運動を起こすのは、限られた力しか持たない市民の小さな声の発露である。それを「あいつも悪いがオマエも悪い」という論で片付けるのは冷静な思考の放棄でしかない。

 このように誤った“どっちもどっち”といった喧嘩(けんか)両成敗の考え方が現れてきた時に、本来大きな役割を果たすべきなのがジャーナリズムである。そもそも何が問題の発端なのか、誰が本当に悪いのかを考えないといけないのに、今のメディアは“どっちもどっち論”をただそのまま報道しがちだ。これでは、分析・評論・批判というジャーナリズムの仕事を放棄することになってしまう。

 米国で起こった問題を海の向こうの話として漫然と眺めるのではなく、メディアや私たちは日本の身近な問題でもあることをあらためて知るべきである。

 (近畿大学総合社会学部教授)