金井啓子の現代進行形

拝啓 大阪市長・吉村洋文さま

2017年9月21日

人は理屈だけでは動きません

 大型の台風18号が近畿地方に迫っていた17日、大阪市の吉村洋文市長が岸和田市の「だんじり祭り」を見学し、おまけに飲酒していたという話がツイッターなどで問題になっている。土砂崩れや浸水など全国で大きな被害が出ているのに、「大阪市のトップがのんきに祭りに出かけて良いのか」などといった批判が数多く散見された。

 もっとも、当の吉村市長はこれに対して、同じくツイッターで「違う」と弁明した。いわく、祭りを見学したのは事実。ただ、それは以前から著名デザイナーの誘いを受けていたからで、飲酒は乾杯でとどめ、予定を1時間半繰り上げて自宅に戻って待機。祭りの見学中も後も、大阪市役所に設けられた警戒本部と連絡を取り合える体制を整えていたという。

 吉村市長の主張は一応、理屈は通っている。一般的に大阪市の危機管理のトップは危機管理監というお役人であって、市長ではない。したがって、大阪によほど甚大な被害でも出ない限り、市長の出番はない。酒を飲もうが祭りを楽しもうが、あるいは大イビキをかいて居眠りしようが、一切の指揮は危機管理監や副市長に任せておけばいい。

 ただ、吉村市長の言い分は理屈としては決して間違っていないとしても、市民から大阪市の未来や安全を任せられたリーダーの振る舞いとしては、いささか疑問符が付く。

 そもそもリーダーに求められる資質の一つに、「この人なら安心して任せられる」「この人についていけば大丈夫だ」といった、安心感や安定感があるように思う。政治家にしてもビジネスマンにしても、古くは武将にしても、部下や有権者、家来、領地の農民などから慕われたリーダーには人に安心感を与える資質があり、そんな安心感があるからこそ下の者たちものびのびと仕事をこなし、安定した経営や政治を行えるのだろう。逆に言えば、「この人に任せて大丈夫なのか」と疑いを抱かせるようなリーダーはリーダーには向かない。

 幸いなことに、台風18号は結果として大阪に大きな被害は出さなかった。だが、被害の可能性が数パーセントでもあった以上、吉村市長には大阪市のリーダーとして役所に駆けつけ、いつでも危機に備えているというドンと構えた姿勢を市民に見せても良かったのではないか。

 危機管理の仕事は一義的に市長の役目ではないにしても、そんな理屈を超えた市長の姿があれば大阪市民は安心できるのだ。これは台風だけではなく、いま問題になっている北朝鮮のミサイルでも同じだろう。人は理屈だけで動くのではない。安心感や信頼感、情けや怒りといった感情に左右される部分が多い。

 吉村さん、こんなメンドくさくてビミョーだけどとっても大切な気持ち、わかってくださいませんか。

 (近畿大学総合社会学部教授)