金井啓子の現代進行形

名ばかりの「裁量」にうんざり

2018年3月8日

矛盾だらけ安倍政権の目玉政策

 大学で勤務する私は、典型的な裁量労働制の対象者である。一般的なサラリーマンに比べて夏休みや春休みが長かったり、講義が1こまで終わる日もある。その一方、会議や雑務も多く、週末に自宅で仕事をしたり夜遅くまで残業する場合も少なくない。総合的に見れば決して楽でもヒマでもない。とはいえ、これが大学教員に適した働き方なのだと納得して日々働いている。

 さて、今国会で安倍晋三首相が掲げた「働き方改革」は、この裁量労働制の対象業務を拡大することが目的のひとつだった。だが、働き方改革関連法案から裁量労働制に関する部分を削除することを首相が決めた。一般的な働き方より裁量労働制のほうが勤務時間が短くなるという厚労省のデータの多くがデタラメであることが発覚したからだ。

 一方、4日付の朝日新聞は、裁量労働制を違法に適用された野村不動産で働く50代の男性が過労自殺したと報じていた。裁量労働制で勤務時間が自由になったり短くなるというのは幻想にすぎないことがよくわかる。

 言うまでもなく、労働時間を短縮することや余った時間を家族サービスや趣味、休息に生かすことは、会社員にとってささやかな願いだ。電通やNHKの社員が大幅な残業を強いられ、自殺したり過労死する現状を見れば、欧米に比べて劣悪な日本の労働環境を改善したいと願うのは誰もが同じだろう。

 残業をなくすことには企業も反対はしていない。もっとも、多くの企業が裁量労働制の導入に前向きなのは、残業代のカットで経費削減につながるためだ。また、企業は「労働時間の短縮」には賛成でも「労働の質を落としてもかまわない」とまでは決して言わない。会社にいる間に仕事ができなければ、家に仕事を持ち込むことが暗黙の了解である。

 もちろん社員の中には少ない勤務時間で多くの収入を得る人もいるだろう。ただし、社員がいくら働いても企業は残業代を払う必要がないから、社員側が望みもしないのに経営側から「君は明日から裁量労働制の対象だ」と命じられ、残業代なしにこき使われる恐れも出てくる。野村不動産の例は、まさにこれだろう。

 そもそも「働き方」は職種や人によってさまざまであり、それは会社と社員との契約で決まる。そこに違法性があれば労働監督署が介入すればよいだけで、そもそも政府が「働き方改革」などと型にはめることが間違っている。ましてや働かされ放題になる可能性のある裁量労働制の導入などもってのほか。「裁量」を辞書で引くと「自分の意見によって判断し処置すること」と書かれている。だが、今般話し合われてきた裁量労働制は言葉の持つ本来の意味からかけ離れた内容となる可能性が高い。「裁量」とは名ばかりで、死ぬまで無理やり働かされる、そんなことがあってよいはずがない。 (近畿大学総合社会学部教授)