金井啓子の現代進行形

初めて経験した地震の恐怖

2018年6月21日

会社や学校より命優先の選択を

 自宅の郵便ポストから「大阪 震度6弱」と大きく書かれた新聞の夕刊を取り出した私は、なんとも言えない不思議な気持ちに襲われていた。阪神淡路大震災の時には東京、東日本大震災の際には大阪にいた私にとって、大きな地震は今までずっとどこか遠くで起きるものだった。だが、その朝、最大震度よりはやや弱い震度5強ではあったものの、人生で最大の揺れを経験し、被災者に限りなく近い存在になったのだと感じた瞬間だった。

 私が住む市内でも負傷者が出たものの、私の自宅では物が多少落ちたり倒れたりした程度だったし、停電は数十分ほど、ガスは自動的に遮断されたがすぐに自力で復旧できたし、断水は起こらなかった。

 でも、災害を傍観していた立場から一転してみて、初めて見えることも多い。余震にこれほどの恐怖を抱くとは予想もしなかった。トイレに閉じ込められることが怖くて、恥ずかしながら自宅のトイレのドアを少し開けて入るようになった。ほぼ同じ地震情報を流し続けるテレビはどうなのかと思っていたが、遠くで緊急車両のサイレンやヘリコプターの音が聞こえるだけの自宅近所の静けさに圧迫感を抱き、テレビの音にむしろ安心感を覚えてつけっぱなしにしていた。地震から2日後の朝に市内の大雨による避難勧告を知らせる緊急速報がスマートフォンから鳴り響くと、緊急「地震」速報と勘違いしてテーブルの下にもぐり込んだ。

 さて、今回の地震が発生したのは月曜日の朝8時前だった。私はもともと大学の担当授業がない日で自宅で仕事の予定だったが、大阪近辺では通勤通学のラッシュアワー。多くの人が列車の中に閉じ込められたり、線路の上を歩く様子をテレビやネットで見た。夕方になるにつれて、タクシーに列をなす人々が増え、自宅までの長い道のりを歩く人たちもいた。

 いわゆる「帰宅難民」の発生である。だが、この帰宅難民問題、もう少し緩和できたのではないかと思えてならない。つまり、地震が発生したにもかかわらずなんとかして職場に向かおうとした人が、少なからずいたのではないかと感じるのだ。

 大きな災害が発生したら、仕事よりも身の安全や家族との再会を優先する。当たり前に思えるこんなことが、まだまだ実現できていないような気がしてならない。

 その一方で、地震翌日に授業が再開された私の勤務先の大学では、余震に備えて授業を休むという学生もいた。余震が起きた際にひとりでは避難できない家族がいるという理由で、授業を休みたいと私に連絡をしてきた学生が複数いたのである。職場や学校からの指示がなくても自分で下したのであろうその判断を尊重したいと、私は個人的に思っている。

 余震の可能性はまだ残るという専門家の声に耳を傾け、どうすれば自分が生き残れるかを最優先にしつつ、しばらく過ごしたいと考えている。

 (近畿大学総合社会学部教授)