澪標 ―みおつくし―

大切なこと

石橋英樹
「数理言語教室ば」主宰
2014年3月14日

 東大京大や医学部などの最難関大学に受かっていく青年たちをこれまで多数みてきました。

 総じて能力は非常に高く、加えて努力の度合いやその長期の継続の姿に、生徒ながら尊敬を感じるような人物もたくさんいました。

 ただ、こういった大学に受かれば無条件に人生の「成功」が待ち受けているとか、ましてや「幸福」が約束されていると素朴に信じている人は、受かった本人たちも含めてあまり多くはないでしょう(そもそもその程度の認識力では合格はおぼつきません)。

 むしろ彼らにとって、ここからが始まりだと(合格発表のこの時期に)あらためて思います。

 だからこそ、私自身は、「受かればいいってもんじゃない」という立場です。受かるにしても受かり方があるのです。

 長時間強制拘束下で一方的に知識を注入され続ける苦行形式でなくとも、快活に笑いあいながら、しかし手は着実に動かす。そのような、突破方法もあると思うのです。

 あるクラスを教えていたときのこと。彼らは実に明るく優秀な10人にも満たない集団でした。彼らは最終的にほとんどが東大や京大に受かっていったのですが、これくらいの水準になると、手取り足取りといった指導は不要(というか有害)になります。

 授業冒頭で、前の週に出した、最高難度の課題について、不明点を問うと、たいていは「ありませーん」という返答になります。それでその日は、新しい難問セットをさらにこなしていくのです。お互いにこの1週間の出来事をボケつっこみを交えて、面白おかしく報告しあいながら。しかも手は着実に動き、頭はフル回転し続けているのです。もちろん内容に関しての応酬も厳しいものになります。

 このような時空間を週1回でも共有することは、基礎能力とでも呼べるものを高めます。この状態に仕上がれば、大学受験の程度なら、(これだけ親切な参考書もある時代ですから)あとはほぼ独力でもこなせます。結果として、合格もついてくるのです。

 こうなれば、周囲の手も、お金もそれほどかかりません。こういう自立した受かり方であれば、大学入学後も(場合によっては入学しなくても!)案じる必要はありません。

 親にとっても、わが子がこのように頼もしく成長してくれれば安心ですし、理想の姿なのではないかと思います。

 しかしそれを実現するのはそう容易ではありません。子どもたちの能力差というものも歴然としてあります。特に低学年教育に関しては、まったく逆方向への強化をされている現場も多いという問題もあります。

 ではどういう手順が必要なのでしょうか? 続きは次回に。

 (京都府木津川市)