澪標 ―みおつくし―

無縁でありつづけるために

2017年1月20日

 浄土宗應典院にて現在開催中の「コモンズフェスタ」は、1998年に始まった、アートと社会活動のための総合芸術文化祭です。共有地を意味する〈コモンズ〉の名の通り、実行委員会形式でさまざまな市民知を持ち寄り、トークイベント、演劇公演、ワークショップ、映画上映会などの企画が連日開催されます。初年度は福祉分野のNPOが中心となって場を担いましたが、2000年頃から次第にアートの色が強まり、現在の形に至っています。

 各プログラムは一般の市民によって自由に企画されるものが主で、必ずしも仏教に直接関係がある内容ではありません。しかし、お寺という特異な場の影響か、「日常生活とは別の尺度から生と死を見直す」といった趣旨の企画が、自然に多く提案されます。仏教寺院の持つ場の空気によって、さまざまな分野の表現が賦活されているようなのです。

 時代をさかのぼれば、中世の日本において寺院は「無縁所」として機能していました。死者の埋葬や囚人の処刑に関わる「非人」をはじめ、世間から蔑(さげす)みを受けていた人々が、世俗と縁を切り、一時的に自由と平和を得る場として存在していたのです。無縁ということばの響きには驚かされますが、むしろ「世俗の縁に関わらず、誰であろうと平等にお救いくださる仏の絶対の慈悲」に、力点が置かれていたのだと考えられます。

 のちに、無縁所で育まれた文化が日本芸能の発展を促すわけですが、世俗の縁とは切り離された場だからこそ、日本人ははじめて身分や肩書から離れた〈人間〉として、創造的な共有地をつくりあげることができたのかもしれません。微力ながら、「コモンズフェスタ」がこういった寺院の役割を引き継ぐ一助となっていることを願うばかりです。

 とはいえ、現代においてもなお、世俗の縁と切り離された場を維持することは、はたして可能なのでしょうか。中世の寺院には法の手も届かないような異なる秩序が存在していましたが、現代の寺院は法的・社会的・経済的事情を無視することはできません。世俗の秩序はすでに宗教空間を覆い尽くしており、単にご本尊がいらっしゃる場であるというだけで、無縁性を担保することはできないのです。無縁の〈コモンズ〉の実現とは、まことに困難な試みであると言わねばならないと思います。

 もし、無縁の〈コモンズ〉が、たとえ一瞬でも立ち現れることを祈るなら、私たちのすべきことは何だろうか。寺の内側にとどまらず、社会問題と格闘しながら、20年にわたって教育・福祉・芸術に取り組んできた應典院も、私見ではいま一度〈仏のおしえ〉に立ち戻るべき時に来ているように感じています。

 以上、今後に向けた課題を述べさせていただいたところで、本連載を締めくくらせてください。お読みいただき、本当にありがとうございました。

 (あきた・みつき、大阪市天王寺区)