澪標 ―みおつくし―

能楽奮闘記(1)

水田 雄晤
観世流能楽師シテ方
2017年3月17日

 「お父ちゃんがミイラになっちゃった?!」

 たまたま家の前で遊んでいたら、両太ももからつま先までギプスで固められた半身ミイラ状態の父親が運び込まれた。わんわん泣きじゃくる自分に「べっちょない、べっちょないで?」(命に別条ないの方言)と笑いながら頭をなでてくれた。当時3〜4歳くらいだったが、あまりにもショッキングな出来事だったので今でも鮮明に覚えている。

 われわれ能楽師には幾つかの試練や難関が与えられている。早い人だと2歳で初舞台を踏む。子方(子役)を演じ、初シテ(シテ=主人公) 、初面(はつおもて)を経験する。順に決まりはなく、初めて能面を付けてツレ(主人公の助演者)のお役を頂いた後、初シテを演じる、といろいろなケースがある。

 やがて能の演目「翁」の露払い、「千歳(せんざい)」のお役を頂戴する。私の場合は師匠家(人間国宝・大槻文藏師)に入門・住み込みの書生から独立(卒業)する間近に千歳の「お披(ひら)き」の許しを頂いた。

 例外もあるが、一般的には独立披露会で「石橋(しゃっきょう)」披き、2〜3年後には「猩々乱(しょうじょうみだれ)」、さらに数年後には「道成寺」「望月」「安宅」などを披いていく。とりわけ「道成寺」の披露は若い能楽師の修練の集大成、「道成寺」を無事に終える事でようやく一人前の能楽師と称される。

 皆が目指す「道成寺」の舞台にはひときわ目を引く巨大な「鐘」の作り物(大道具)が登場する。その重さは80〜100キロ。能舞台の正面、大小前(小鼓と大鼓が座する中間の前)の上(天井)に滑車が取り付けられており、鐘の上部に結び付けられた綱を2本の長い竹で滑車に通し、笛柱に取り付けられている環(かん)(丸い金具)に通し、鐘後見(鐘をつり上げ、降ろす後見)が5人で協力してつり上げる。

 観世流ではシテは鐘の真下で足拍子を踏み、すぐさま飛び上がり鐘を引きずり下ろすようにして鐘入りをするのがクライマックスの一つ。「鐘入り」と命名されているのでただ鐘の中に入るだけだと思われがちですが、実際は自身が垂直に飛び上がった時に鐘が落ちてくるので、シテは本当に命懸け。能面を付けると視野は極端に狭まり、鐘の真下なのか目視確認はできない。正確な位置を身体(足の裏)に染み込ませる。後は主鐘後見に命を預け、ちょうど良いタイミングで鐘を落としてもらう。

 父はその「道成寺」のリハーサルの時に、飛び上がるタイミングと鐘を落とすタイミング(息)が合わず鐘の下敷きに。両膝の皿は複雑骨折、アキレス腱(けん)は断裂、かかとからは骨が飛び出していた、と聞きました。

 時は過ぎ、大学の進路相談の頃に父が再度「道成寺」に挑戦。能楽師としては初代の父は書生時代に苦労をしたようで、私には好きな道に進んでほしかった様子。故に私は能の道から離れていたが、「道成寺」はやはり特別。応援に行くと「半身ミイラ状態」で寝たきりだった父の姿がオーバーラップ。「鐘入り」には鳥肌が立ち、終曲に橋掛かり(能舞台と幕の間の長い廊下)から幕へ飛び込む所作を凝視している時に、なぜか『あっ、これは自分の子どもに見せないといけない』と直感。その日のうちに「お父さん。能楽の道に進ませてください」と懇願しておりました。

  (大阪市東成区)