澪標 ―みおつくし―

「大丈夫」というコトバを紐解(ひもと)く

栄 セツコ
桃山学院大学教授
2017年3月27日

 草木が芽吹きはじめる「弥生」の月は、学生たちの巣立ちの月でもあり別れの月でもあります。今でこそ、「仰げば尊し〜、わが師の恩〜♪」と歌いながら、私との別れに涙する学生はいなくなりましたが、それでも4年間の学びを共にした学生が凛とした表情で巣立っていく姿を見ると、教員という仕事を選んでよかったと思えるのです。その一方で、いろいろな悩みを抱えながら卒業していく学生には、もっと力になれることはなかったのかと後悔の念が残ります。

 前回の寄稿のなかで、皆さまに「響き合うこと」の大切さと難しさをお伝えしましたが、ここ最近、その難しさを学生たちに感じるのです。今や大学の進学率は50%を超え、2人に1人が大学に進学する時代になりました。そのことは、今までとは異なる悩みを抱えた学生との出会いがあることを意味します。

 一昔前は、学業、就職、人間関係など悩みは多岐にわたるものの、その多くは単一の相談として対応できていました。しかし、今は、経済的な悩みや家族の悩みが加わり、それらの相談が複雑に重層的に絡み合う点に特徴があります。

 例えば、保護者の方がメンタルヘルスの悩みをもち、本人は学費も生活費も稼がなくてはならず、アルバイトと学業の両立が難しい、友だちと交遊する時間もない…。そして、将来の不安が募り、気がつけば自分自身がメンタルヘルスのバランスを崩してしまったというものです。私の心配は、そのことを本人が「大丈夫」と言うことです。その時は、おせっかいですが、学生の思いをもとに、友人、家族、専門職とタッグを組んで、本人の課題に取り組むことになります。

 学生をはじめ、思春期・青年期にあたる子どもは身体的変化・心理的変化・社会的変化を経験する年代です。その経験が本人にとってはストレスとなり、精神的不調を来すことがあります。その不調を感じながらも、当の本人はそれを思春期の揺れと区別できず、自らのSOSを「大丈夫」ということがあるのです。

 近年のSNSの普及によって、人と人とのかかわりあいが実体験ではなく、バーチャルな世界のなかで増えてきました。その世界に慣れている学生に出会うと、他者の痛みに共感できる力や自分を物語る力が弱くなってきていると感じることがあります。

 そのため、精神的不調を感じていても「大丈夫」という言葉で、誰にも援助を求めない場合も少なくありません。「大丈夫」というコトバの背景にある不安や戸惑いに周囲が気づかなければ、当の本人は孤独な思いでその不調に苦しむことになってしまうことがあります。「大丈夫」が関係を絶つコトバではなく、響き合うためのコトバになるにはどのようなかかわりが求められるのか悩みながら卒業式を迎えます。

 この春、私のもとを巣立っていく学生たちの多くは社会福祉領域の援助者として、社会人の仲間入りをします。今後、人を支える側になる学生たちに、私は二つの努力をお願いしました。一つは「人の痛みに共感できる豊かな感性をもつ努力」、もう一つは「社会のなかで変と思うことは変と言い続ける勇気をもつ努力」です。前者は自らが心病む人の人的資源になることができるように、後者は生きづらい社会に向けてアクションを起こすことができるようにという期待があります。響き合うことを大切にする援助者「になる」ためには、その覚悟をもってほしいと伝えました。

 その期待を抱きながら…「いまこそ、わかれめ、いざさらば…♪」

 (さかえ・せつこ、大阪市阿倍野区)