澪標 ―みおつくし―

「歩く」は自分の足で

鈴木 武司
関西学院初等部教諭
2017年5月12日

 走るために走る。走ることは私の趣味の一つです。40歳を過ぎて、何となく体を動かしたいと思い立ち、ジム通いを始めたのですが、ある時、職場の方に勧められるがままマラソン大会の出場にエントリーをしました。そこから、走ることが趣味になりました。

 私が勤める小学校では、毎年冬に子どもたちが走るマラソン大会があります。子どもたちはその大会に向けて必死に練習をし、少しでもタイムを縮めようと頑張ります。本番では、結果に対して喜んだり落ち込んだりする姿があります。時には涙を流して悔しがる姿もあります。本番までの練習に対する努力がその姿を物語るのです。そのうれし涙や悔し涙を目にすると、どちらもよくやったと抱きしめたくなります。

 子どもの頑張っている姿が自分を後押ししているような感覚になり、マラソン大会に出ることが決まってからは、仕事終わりにジムで走ったり家の近くを走ったりしてトレーニングをしました。子どもたちに恥ずかしい報告をしたくありませんので、自分としては、かなり練習をしました。しかし、ハードワークのせいで膝を痛めました。それでも、本番は大丈夫だろうという考えで当日を迎えました。

 結果は何とか完走。完走とは名ばかりで、半分以上は歩いての完走になりました。20キロ以上を歩くという経験は、本当につらいものです。このつらい経験を子どもたちに話しました。前回にも書いたように、われわれ教師がチャペルで子どもたちに自分のことを話す機会があります。どのように話そうかと考え、「歩」という漢字を使って話をしてみました。

 「歩」という漢字は、「止」と「少」という部分から成り立つ漢字です。「歩」に使われているどちらの部分も足跡の形から生まれたそうです。つまり、「歩く」という行為は、それぞれ自分の足を使ってまさに一歩一歩前に進むという行為なのです。

 私はマラソンで半分走り、半分歩きました。後半走れなくて本当につらくなって途中リタイアすることも考えましたが、一歩一歩前に進むうちに、走っているときには気づかなかった声や姿に気づきました。多くの方々が沿道で見ず知らずの私に声をかけてくださるのです。走っているときには聞き取れなかったその声もはっきりと聞こえましたし、その表情もはっきりと見えました。

 そうしているうちにゴールにたどり着きました。走ることの良さだけではなく歩くことの良さも感じられたマラソンでした。常日ごろ走り急ぐことに目が奪われがちになりますが、歩きそして時には立ち止まって周りの景色を見る余裕があったら、もっとすてきな毎日が送れるのではないでしょうか。

 そんな話を1年生から6年生にしました。1年生には具体的なことを、6年生には抽象的なことを感じてもらえればうれしいなと思いながら。

 (すずき・たけし、兵庫県宝塚市)



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