澪標 ―みおつくし―

能楽奮闘記(3)

水田 雄晤
観世流能楽師シテ方
2017年8月18日

 住み込みの修行に入った10年後、大阪能楽養成会・観世流研修会を卒業し、観世御宗家より「準職分」の認定を頂きました。「住み込み」から「通い」になった頃に、父の身体に異変が現れました。

 「最近食欲なくてなぁ」。原因が知りたくてすぐに病院に行くか、聞くのが怖くて病院に行かないかの二つ。父はその後者でした。父の言葉に不安を感じた私は「書生に入ってから一度も定期検診や身体検査に行ってなくて、一人は怖いから一緒に病院行ってくれへん?」を口実に病院へ連れて行きました。

 父には疑われないように血液検査にガンの有無の簡単な検査を入れてもらい、その結果はすぐに届きました。病名は「胃ガン」。随分進行しており、すぐに入院、手術を勧められました。師匠に父の状況を説明すると、「意中の相手が居るならまずは結婚、並行して独立披露能の準備を進めなさい」と助言を頂きました。

 入院する前には父と共に父のお稽古場へ。お社中(生徒)さんへの事情説明と代稽古の了承を受けるためのあいさつ回り。徳島のお稽古場でのあいさつのの後に鳴門で1泊。父子男二人旅。これが最初で最後の旅行でした。

 その後は舞台活動にお稽古、結納、入籍、式の準備、自身の独立披露能の準備、そして病院への見舞いが続きました。胃を全摘出したのに望みは多く、病院の外出許可を頂いてはご飯を食べに行きました。住み込み期間が10年、関東に進学した学生時代を含めると14年間は当たり前の父子の食事の機会は少なく、皮肉な事ですが父の病気のおかげで一番濃密な時間が過ごせたのかも知れません。

 新たな肺ガンも見つかりましたが、放射線治療で奇跡的にガンが消滅。結婚式、披露宴と父親の責任をしっかりと果たしてくれました。

 その2カ月後は体力や免疫力が下がり、私の独立披露能で仕舞を舞う事はできませんでした。私の出番に間に合う時間に来られたら見所(けんしょ)(客席)で応援して下さい、と約束しましたが、父は待ち切れず、開演前には看護師さんに付き添いいただき車椅子で最前列に陣取り終演まで見守ってくれました。

 その2週間後、息子の公演が無事に終わり安心したのか、父は静かに息を引き取りました。独立を済ませこれから親子で共演・共催ができると期待に胸を膨らませてましたが、それらの夢をかなえる事はできませんでした。それが本当に悔しくて悔しくて。

 3カ月間で結婚式、独立披露会、葬儀の喪主。半端のないストレスのせいか、私の身体に異変が現れてきます。

 (みずた・ゆうご、大阪市東成区)