澪標 ―みおつくし―

響き合える関係の効用−再び

栄 セツコ
桃山学院大学教授
2017年9月8日

 「猛暑」「厳暑」「酷暑」と言われた8月は、息をするだけでも汗が噴き出るような暑さでした。一日の仕事を終えた頃には、体中の水分が枯渇した状態になるほどです。仕事の後のビールに思わず「うーん、生き返る!」とうなってしまい、その爽快感たるや、ついつい「もう一杯!」と手がでてしまいます。その一方で、ビールを飲みすぎて「頭が痛い」「気分が悪い」「どうやって家に帰ったのか覚えていない」ということも…。

 メンタルヘルス領域では、「やめなければいけないと頭でわかっていながらも、やめられない状態」にある時、「依存」や「嗜癖(しへき)」という言葉を使うことがあります。「依存」には、先ほどの「アルコール」のほかに、「薬物」「たばこ」「食べ物」といった物質への依存や、「ギャンブル」「パチンコ」「仕事」といったそのプロセスへの依存、恋愛関係や夫婦関係などの人間関係への依存などがあります。

 そういえば、数年前に浅野ゆうこさんが買い物依存症で悩む主役を演じたドラマがありました。近年では、「ネット依存」「スマホ依存」という言葉が聞かれるようになりました。「スマホ」の機能には電話や時計、スケジュール、財布、ゲーム、地図、写真、録音など、用途に応じた多様なアプリがあり、1台の「スマホ」があれば日々の生活は断然便利になります。なので、どこに行くにも、誰といても、何をするにしても、スマホは一緒です。

 怖いのは、スマホの使用を自分でコントロールできなくなることです。たとえば、スマホに夢中になりすぎて「気がつくと朝になっていた」「食事を忘れていた」「学校や仕事にいけなかった」「家族にうそをついてまでもスマホをしていた」というものです。「依存」という状態になると、スマホにしろ、アルコールにしろ、ギャンブルにしろ、それをするために日常生活や社会生活でやらなければならないことが後回しになり、大切な人間関係や社会関係さえも壊れてしまう危険性があることです。

 このような依存状態にある人に対して、どのような方策があるのでしょうか。私は同様の生活のしづらさがある人々の集まりである「セルフヘルプ・グループ」を紹介することが多々あります。「依存症」という病気を患い、大切な人間関係や社会関係、あたりまえだと思っていた日々の生活を失い、孤立した状況のなかで孤独感にさいなまれる状態、それを「絶望」と表現する人もいました。

 そのような失意のどん底にある時、同様の病のある人に出会い、病の経験のわかちあいのなかで、「このようなつらい経験をしたのは私だけではなかったのだ」と孤独感が和らぎ、「自分の悩みを解消できる生活の知恵が得られた」と病の経験知を得て、「あの人のように私も依存から抜け出すことができるかもしれない」と「希望」という光が見えてくることがあります。

 病の語りには依存に対処してきたその人の知恵がふんだんに盛り込まれているため、同様の生活のしづらさに悩む人々がその語りを聞くことによって、悩みを解消する糸口がみつかることがあります。また、自分の経験知が仲間の役に立つことができると、その知恵を語った人自身にも病の経験が無駄でなかったのだと認識できることになります。このような語りの響き合いが人とのつながりを生み、孤独な状態にある「依存」から抜け出す可能性を秘めています。

 「依存症」は身近なこころの病と言われています。何かにはまる時、はまってしまった時、ありのままの自分を語ることができる人はいますか?

 (さかえ・せつこ、大阪市阿倍野区)