澪標 ―みおつくし―

透明な網に引っかかった魚

金 美優
元民族講師・ソプラノ歌手・薬剤師
2018年7月13日

 ここ2年ほど老いを感じることが多くなった。記憶力が急速に低下していっている。物事をすぐ忘れる。「何のために立ち上がって冷蔵庫の前に来たんだろうか」。また、知人の名前がなかなか出てこない。話そうとしても、話したい言葉が出てこない。昨日のこともすぐには思い出せない。やっと一つを思い出し、そこから他のことを思い出していくという作業が要るのだ。

 自分がそんなにも老いたということを、なかなか受け入れられない。一つ一つにショックを受けるのだ。こうなると、一つできないことが全てにつながり、なんにでも自信がなくなり自己否定につながっていく。「自分はダメだダメだ」の全否定。「こんなにも私の人生意味がなかったのか」と飛躍して、ガックリする。しかし、ふと思う。いや、まてよ、私の人生、そんなにも意味がなかったことはないんじゃないか、と。

 前回のこの欄で、大学を卒業し、病院の薬局へ就職したあたりまで書いた。やがて、私は昼間、薬局で働きながら、夜間の音大の短期大学部をなんとか卒業し、その年の秋に在日韓国人と結婚。3人の子に恵まれた。

 末っ子の長男が幼稚園の年長さんになったのを機に、病院の薬局で半日働き始めた。いまから40年近く前のことである。子どもを持つ女性が働くのは珍しかった。夫の実家でも、事業家の妻が仕事をすることに理解がなかった。「子どもをほったらかして外に出るなんて、とんでもない」と考える人が多かったのである。

 しかし、夫に全面的に扶養されていることに釈然としない思いが私にはあった。家事は私が担っていたので、無理のないところで半日働くことにしたのだ。少しでも経済的に自分の足で立ちたかったし、社会に参加する事で多少とも自分を成長させたかった。「女性は結婚して子どもができたら専業主婦になるのが当たり前」という当時の社会通念、風潮に流されず、多少の自立を求めて自分の生き方を模索したかったのだ。

 一方、夫の実家は会社を経営していた。40年も前の日本では、在日の人々は本名で事業することが難しかった。通名でなければ銀行融資もしてもらえなかった、そんな時代である。商売人の妻となった私には、現実問題として通名を使わなければ生活権を確保することができなかった。

 韓国朝鮮人が、本名があるにもかかわらず、なにゆえ通名を使うのか。日本の人は不思議に思うかも知れない。はっきり言って、差別があるからである。隠れキリシタンならぬ隠れ在日として生きるのは、少しでも差別を避けたいがゆえである。

 差別は、よく海中に張ってある透明な網に例えられる。海中を泳ぐ魚には、透明の網は見えない。魚は自由に泳いでいる。しかしながら、泳いでいて網に引っかかった魚は、そこに網(差別)が存在していたのを知ることとなる。網に引っかからなかった魚には網(差別)など存在しないも同然である。差別とはそのようなものであろう。

 比較的豊かで平穏な日本社会に住んでいる人々には一見、差別は見えないかも知れない。しかし、網に引っかかった魚のように、差別に出合った人はそこに厳然と差別のあることを知り、そのことゆえに苦しむのである。

 (キム・ミユウ、大阪市天王寺区)