澪標 ―みおつくし―

精神医療は転換が必要

金田 治也
医学博士、労働衛生コンサルタント
2018年10月12日

 昭和40年頃、旧ソ連の厚生副大臣が大学を訪ねて来たのに、誰も話に行かないからと頼まれて行き、「病院病床統計の急性、慢性、結核、伝染、精神の区分のうち、ソ連の統計には精神の記載がない、なぜか」と質問すると、「共産思想は良い思想だから精神病者は発生しない」との答えであった。精神病者は医療を受けないまま放置されていたか、病院外に隔離されていたかの疑問が残った。

 約20年間、自治体職員(約3千人)の産業医を担当したが、精神科疾患では「治癒診断」の後、すぐ「再発」して休職に入る者が続出して、休職者が約30人に及び、産業医が無能だからと批判を受けた。

 年休40日、私療休暇3カ月の後、3年間の休職に入るが、年末に出勤しないとボーナスがもらえないので、年末に「治癒復職」し、2、3日出勤すれば再び新規の「休職」へ進むのであった。「薬をたくさん出しても治せず、診断もできない医師の医師免許の取り上げもできないのか」と保健所長としても批判されることとなった。

 主治医の精神科医を訪ねると「医師の安全が保障できないから、要求通りの診断書を書かざるを得ない、市職員を受診させてほしくない」とのことで、公立病院に受診させることにしたが結果は同じで、公立病院の精神科部長を訪ねると「午前中だけで1人で60人の診察をしている。十分な診察はできません」との答えであった。

 保健所のデイケアに来所する患者で、近くの開業医の受診者は「軽症」と診断され、ケースワーカーが軽症とみている患者でも大学病院の若手医師に受診した場合は「重症」と診断されるなど、精神障害の診断は難しい。

 明治の精神医学者・呉秀三は「精神病者は病であることと同時にこの国に生まれた二重の不幸を負うている」と嘆いたが、明治33年の精神病者監護法、大正8年の精神病院法、昭和25年の精神衛生法、昭和62年の精神保健法、平成7年の精神保健福祉法と法改正を重ね、医療や指導の体制は高度化した。

 しかし「収容から地域でのノーマライゼーション」を目標とする時代となったものの、患者は生活保護の障害者加算、交通費の割引、通院医療の公費負担を受けて家族と離れ、1人住まいで社会から孤立して暮らす者が多く、家族と同居しても家族から孤立しやすい。そして精神異常者やその疑いの人による「事件」「犯罪」が多発している。

 統計をみると精神入院患者は平成7年36万2千人、平成27年は33万5千人へ微減、精神障害者保健福祉手帳の所持者は平成8年7万人、平成10年13万人、平成16年33万人、平成27年86万人と激増している。保健所に来所相談した者は平成13年56万人、平成27年42万7千人、各県に1カ所の精神保健福祉センターに来所相談した者は平成13年35万2千人、平成27年14万4千人へ減少、増加したのは電話相談で、平成13年、27年は保健所で63万人が81万人へ、県精神センターで16万人が33万人(延べ数)となっている。担当者が訪問せず、電話で状況把握をしていると考えられる。精神患者として保護を受けている者は多いが、担当者との接触は希薄なままで、患者は孤立して暮らしていると言わざるを得ない。

 この一方で、精神科の臨床医は激増中である。医療施設の医師数を昭和59年と30年後の平成26年で比較すると、全科医師数は17万5千人が20万6千人へ(18%増)、内科医は7万7千人が6万1千人へ(21%減)、精神科医は7319人から1万5187人(2倍)、神経内科医は2490人から4657人へ増加(1.9倍)。この間、保健行政の医師は2163人から1661人へ減少した(23%減、厚生省医師調査)。予防や指導の体制が弱体化し、異常者による「事件」の発生が防ぎにくくなっているのではあるまいか。

 かつての国民病は結核で、昭和36年末の治療中の患者(年末活動性登録患者)は95万4千人で、平成27年は1万2千人、結核病床数は昭和35年25万2千床が平成27年5496床へ減少した。

 これは医薬の進歩にもよるが、昭和26年公布の結核予防法のもとで保健所を基盤とした予防行政の成果と言えよう。今日の精神医療も治療主体から予防、保健指導へ転換することが必要である。精神科医の投薬者から生活指導者への転換と保健行政の「心を忘れた健康づくり」からの脱却が期待される。

 (大阪府豊中市、かねだ・はるなり)