澪標 ―みおつくし―

生活の形 大きく変わったのは

鈴木 伸明
関西よつば連絡会ひこばえ取締役  
2018年11月16日

 私たちの生活の形が大きく変わったのは、1960年代の『高度成長期』です。

 49年生まれの私自身の記憶をたどると、高校までは半農半漁の暮らしを営む村で育ちました。温暖な気候で四季折々に海、山の幸があり、米も作り、家の側の畑ではさまざまな野菜も栽培していました。土地とその気候、季節に深く関わった生活がありました。海や山で遊びながら、さまざまな食材を採っていたものです。また、隣人が漁で取ってきた魚などよくもらいました。余剰を譲り合う隣人関係がごく普通に行われていました。

 そんな時代が変わり始め、最初にわが家に入り込んできたのが、味の素とチキンラーメンです。食が工業製品となって食生活に入り込む先駆けです。

 変化の始まりはアメリカの占領下。有名な話に「アメリカの小麦戦略」があります。人々の胃袋を変えるために大きな力が注がれました。終戦直後は食糧増産に政府は力を入れますが、小麦はすぐにアメリカからの輸入に転換します。アメリカが円で購入できるようにしたことも大きな理由でしょう。その円資金は国内にプールされ、社会改造に使われます。その一つは主食を米から小麦に変えることでした。

 そして、変化を決定的にしたのは、60年代に入って加速した工業化社会への転換です。多くの人が土を離れ、村社会を後にし、個となり、都市で新たな暮らしを始めます。それまでの社会からの「解放感」を一時的に抱いたのかもしれませんが、伝統の知恵を自然体で学ぶ場がなくなり、横の人間関係は薄れ、縦の関係が強くなりました。大量生産・大量消費の時代を到来させ、食を大きく変えたのです。

 むろん、食ばかりではなく、生活そのものが変わりました。住まいも、プレハブ住宅などは多くの石油化学製品が使用される工業製品となり、見た目とは裏腹に、自然素材が持つ心地よさを失い、健康被害などさまざまな問題を発生させ、ついのすみかとしては問題が多いものでした。

 さて、政府管理となった輸入小麦は巨大な利権となりました。小麦は米に比べ、はるかに利を生む穀物で、利権に預かる企業群は普及に拍車をかけます。テレビの普及と相まって、個となった生活者に、コマーシャリズムは比類のない影響力を及ぼしました。パンのみならず、チキンラーメンもこの様な歴史の中で生みだされ、人々の食に抵抗なく入りこんだのです。

 問題はその変化によって、大切なものまで失ったことです。足下にあるものを大切にしなくなる。人々の関係が貧しくなる。四季の変化にとんだ気候・豊かな水、さまざまな食材を育てる土地条件など、その素晴らしい価値に目を向けなくなる。あふれる食材を輸入する飽食社会となり、一方で飢えに苦しむ人々を世界に生み出し、不和の種をまき散らします。飽食と飢餓は表裏一体の問題です。

 そんな食の在り方はいつまでも続きません。食は持続と循環が一番重要です。大したもうけにならなくとも、時代の先を見ながら、「足下の資源」を大切にし、豊かな人間関係を築きながら、生産に励み、地域づくりを進める人たちがまだまだ多くいます。

 私たちはそんな人たちの生産物を積極的に扱っています。いわば「これからの地域社会づくり応援団」です。そんな努力が、いつか社会の流れを変えることにつながっていけばと思いながらの活動です。

 (すずき・のぶあき、大阪府豊中市)