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八郎兵衛墓=大阪市中央区、法性寺
 
なにわ人物伝 −光彩を放つ−


おつま・八郎兵衛

浄瑠璃で語り継がれる 自己犠牲「愛想づかし」
2008/11/22

三善 貞司

 おつま・八郎兵衛は、傑作浄瑠璃「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)」の主人公・八郎兵衛は鰻谷(うなぎだに)西之町(大阪市中央区南船場四丁目)で古手屋を営んでいたから、浄瑠璃で「鰻谷」といえば、この作品を指すのが常識だ。

 鰻谷は南船場・心斎橋筋から島之内の一部を含む繁華な地域で、『摂陽奇観』に「鰻谷 谷間の如(ごと)き所にて」とあるように若干の高低のある凹地(くぼち)なので、ついた地名だという。また昔伝染病がはやったとき、鰻が効くと東横堀川で捕ったかば焼きを並べる店が増えたからだ、との説もある。

 八郎兵衛の職業古手屋とは古着屋のこと。当時衣装を新調するには大変な費用がかかったので、たいていは古着ですませたから、彼の店も繁盛し暮らしは裕福であった。

 少し長くなるが、この芝居のあらすじを紹介しておく。

 八郎兵衛は丹波屋遊女おつまと親しくなり、おつまと娘おはん、母親のおきくの三人を店に引き取り、仲良く暮らしていたが、あるとき若いころ仕えていた主人伊織が殿から預かった宝刀をだまし取られたのを知り、取り戻すために大金五十両が必要となる。八郎兵衛を助けたいおつまは母おきくと相談し、以前言い寄っていた金持ちの旦那(だんな)弥兵衛に、身を任せることを条件に五十両を工面しようとする。

 金策に奔走してならず、むなしく帰ってきた八郎兵衛に母おきくは、あんたは入れ足(身請け金の一部を遊女が負担すること)やさかい、その分返して。急に金が要るねん…とだまして怒らせる。そこへ旦那弥兵衛といちゃつきながらおつまが出てきて、お前さんは見込みがないから別れる。手切れ金やるさかい…と悪態をつく。

 あまりのひどい仕打ちに八郎兵衛は魂の抜けた人形のようによろよろ出ていくが、唐突なさま変わりが信じられず、未練もつのり、よたよたとふたたび戻ってくる。戸外に泣きべそをかいている幼い娘おはんが立っていて、かかさまに追い出されたと袖を目に当てる。堪忍袋の緒の切れた八郎兵衛は、鮫鞘の刀を抜いておどりこみ、とびだした母おきくをけさがけに、止めようとするおつまの片腕を切り落とす。悲鳴を上げた弥兵衛は人殺しーと叫びながら奉行所に走ったので、八郎兵衛は今はこれまでと自害しようとしたとき、娘おはんが突然正座してこう語りだした。

 「気にかかるお主さま このたびのご難儀 金の要るわけ聞きながらこしらへる手だてなく ははさまといひあはせ お主のため身を汚し 金子(きんす)用立て参らせ候(そうろう)…」

 おつまは無筆だったので、娘にこう語るよう教え込んだのであった。

 単純なストーリーだが、「愛想づかし」(愛する人のために嘘(うそ)を言い、縁をわざと切る自己犠牲の言動)は、浄瑠璃史上これが初めてだ。

 「桜鍔恨鮫鞘」の作者は不明。実話をもとに脚色したのかどうかも分からない。初代嵐三右衛門(一六三四−九〇年)作と伝える座敷歌「八郎兵衛」では、おつまと八郎兵衛と弥兵衛の三角関係のもつれが、刃傷の原因になっている。歌祭文(うたざいもん)(社会的事件を節をつけて歌いはやす大道芸)に「八郎兵衛」はあるし、「風流夢の浮橋」「文月恨切子(うらみのきりこ)」などの浄瑠璃にも語り継がれているから、かなりセンセーショナルな事件があったのであろう。

 法性寺(同市中央区中寺一丁目)に、「古手屋八郎兵衛墓」が現存する。大きな板碑で四霊の戒名が刻まれ、その中の「善隆院宗信日運」が八郎兵衛、「善理院妙専日宗」がおつまと伝えるが、横に明暦二(一六五六)丙申(ひのえさる)六月四日と刻まれるので、二人は情死ではなかろうか。もっとも同寺住職の話では墓碑面右縁に八郎兵衛建立の文字(摩滅)があったと言うから、疑問は残ろう。

(地域史研究者)



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