来阪catch

映画の夢の手助けを

ドキュメンタリー映画「禅と骨」
監督 中村 高寛
2017年11月4日

日系米人禅僧の波乱

「映画を撮るのは荷物を背負うことだが、また撮りたくなる」と話す中村高寛監督=大阪・十三の第七藝術劇場
「禅と骨」のヘンリ・ミトワさん=(C)大丈夫・人人FILMS

 都市伝説にある娼婦(しょうふ)を追いかけたドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」の中村高寛(たかゆき)監督(42)が11年ぶりに新作「禅と骨」(トランスフォーマー配給)を発表。今度はヨコハマの「赤い靴」伝説を映画化したいと願った日系米人禅僧の波乱の人生と「その映画作りの夢の手助けをしたくて晩年の時間を追った」という中村監督に話を聞いた。

 横浜の街に都市伝説として残っている一人の娼婦の話を映画にした「ヨコハマメリー」は、本人の登場シーンも話題になり、小劇場公開ながら大ヒットしたことはまだ記憶に新しい。「1本目は30代前後の2年間で撮った。あれから11年たち、今度は40代前後の8年間で作った。映画が撮れない時期に紹介されたヘンリ・ミトワさんに会い、日系アメリカ人僧侶が生きた人生にシンパシーを覚えて寄り添った」

 ミトワさんは1918年、横浜でアメリカ人の父親と新橋の芸者の間に生まれた。40年に単身渡米し、戦時中は日系人強制収容所で過ごし、戦後はロサンゼルスで家庭を持ち、61年に帰国。日本の文化である茶道、陶芸、文筆などに優れ、京都・天龍寺の僧侶になった。「その波乱の人生もすごいが、映画が好きな彼は横浜時代に『赤い靴』伝説に興味を持ち、映画にしたいと考えた。その夢のために人生の道が逸脱していくが…」

 ミトワさんは16ミリのカメラを持ち「映画はフィルムでなくては…」が口癖だった。縁があって舛田利雄監督の映画「動天」(91年)の撮影で舞台になった横浜で製作に関わり、出演もした。そして「私も映画を作りたい。横浜の『赤い靴』伝説を作りたい」と強く思い、人生の晩年はそのために動き回った。しかし、映画製作にはお金がかかり、夢は不可能になっていく。

 「それならミトワさんのドキュメンタリー映画を作ろう。それが彼の映画作りの手助けになり、支えになるなら」と考えた中村監督。それがこの映画の原点になるが「最初に会ってから3年お付き合いして映画の準備に入った。撮影中にいろいろぶつかるが、その期間があったから、無事に撮影ができた。震災の年の11年から12年にかけて撮影したが、ミトワさんは同年6月に亡くなった。94歳だった」

 映画はミトワさんの奥さんや子どもたちなど多くの関係者が出演しているが、ドラマ部分も設けてウエンツ瑛士がミトワさん、余貴美子が母親で出演して若いころの話を足している。同時にミトワさんが念願していた映画を「ヘンリの赤い靴」(7分)と題したアニメ作品として製作。「それがミトワさん初プロデュース作品としてキネマ旬報の作品紹介に載っている。映画製作は禅の道に通じている」と中村監督はほほ笑んだ。

 映画は4日から大阪・十三の第七藝術劇場で公開。初日は午後2時25分から上映後に中村監督の舞台あいさつがある。問い合わせは電話06(6302)2073、劇場。