ステージドア 音楽堂通信

別れを告げるワルツ

2015年12月23日
撮影:北嶋 優

 音楽や美術、ダンスや芝居は、人々が集まって暮らす地球上のあちこちで生まれ、交流し、ときには新しいものが考案され、伝えられてきた。それらは共同体の意識をつくりだし、社会の土台にもなってきた。劇場やホールは、あるときは広場として、あるときは憧れの殿堂として、実演を通じて人々に喜びや思考のパラダイムシフトを与えてきた。文化や芸術のそんな意義を、連載のパートナーである谷本裕さんとわたしは、今回の最終回に至るまで、つじ説法のように書き続けてきたのだと思う。

 しかし、そんなふうに文化を皆で共有することの素晴らしさの一方で、ただひとり作品と向き合うことも、また別の醍醐味(だいごみ)である。目には見えない芸術である音楽は、思いがけず深い角度でわたしたちの精神の均衡を支えてくれることがある。

 5年前、がんの末期であった父に付き添っていたときのことだ。余命わずかだと悟った父は、自宅で最期を迎えたいと願い、主治医の協力を得て、家族は看病を続けた。食べることもままならず、腹水が徐々にたまり、それでも強靭(きょうじん)な精神力を保っていた父と、何度か語り合った。自分が死ぬというのはどういうことか、彼は率直に、客観的に、ユーモアもまじえて述べてくれた。

 しかし語りつくせないものがあったのだ。親友に最後の電話をして、そのあと初めて声をあげて泣いた父。そのころ、わたしが深夜に自宅に戻って繰り返し聴き続けていたのは、33歳で病気により世を去った不世出のピアニスト、ディヌ・リパッティが亡くなる直前に力をふりしぼって開いたリサイタル、「ブザンソン告別コンサート」と呼ばれるようになった、あの公演の録音である。

 バッハ、モーツァルト、シューベルト、ショパン…重病人とは信じがたい卓越した技術、気品にみちた演奏。どれも心に残るが、ショパンのワルツ9番が尾を引いた。甘い調べに、抑えきれない心の揺れがにじむ。ショパンが愛する人と過ごし辞去するときに彼女に贈った作品。この恋愛は実らず、彼女が後に「別れのワルツ」と名づけた佳品。ショパンの、リパッティの、父の、ことばにできない惜別の情。その雄弁な沈黙をすくいとり、理解してわたしは自分を立て直し、そしていつか別れを告げて去っていく自分自身をも、静かに遠望することができた。

 音楽はひとつの野の花のようだと思う。忙しく歩き去っていくときは、眼もくれない。しかし立ち止まってじっと見つめるとき、心の中で自分との対話が生まれる。かけがえのない、ただ一度の人生の、生の輝きがそこにとどめられていることに気がつく。

 皆さまと音楽の出会いもそうであればいいなと願いつつ。2年半のご愛読に深く感謝します。

 (いずみホール 森岡めぐみ)

(おわり)

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