日曜インタビュー

誰がうそをついているのか

ドキュメンタリー映画 「FAKE」
監督 森 達也
2016年6月5日

安易な二極化の中で…

「何でも二極化はできないと思う」と話す森達也監督=大阪・十三の第七藝術劇場
(C)2016「FAKE」製作委員会

 オウム真理教の内部に入って撮ったドキュメンタリー映画「A」で知られる森達也監督が15年ぶりに発表した「FAKE」(東風配給)が11日から、大阪・十三の第七藝術劇場で公開される。ゴーストライター騒動で騒がれた佐村河内守(52)に肉薄した作品で「何が偽物で、何が本物か」に迫っている。その狙いなどについて聞いた。

■15年ぶりの映画

 −久しぶりの映画発表。

 東日本大震災直後に僕と3人の監督が共作で撮った「311」を別にすれば、「A」「A2」以来になるから15年ぶりということになる。ドキュメンタリー作家としての仕事をしながら最近は「チャンキ」という小説も書いており、何が本職か分からない。肩書の一つの映画監督についてもこれまで下山事件や東京電力、あるいは歌手の中森明菜などを追う作品を撮りかけたが頓挫している。

 −中森明菜編は見たかった。

 ある時期NHKが撮って放送し、その後を追いたかったが残念だった。今回の「FAKE」は、最初、出版社が本に書かないかということで佐村河内守さんに会った。約2時間話して、これは映画にした方がいいと思った。映画で大切なことは普遍性で、これは単なるゴーストライター騒動ではなく、誰が彼を造形したのか、誰がうそをついているのか、あるいは自分はうそをついたことはないのか、というようなことが脳裏をめぐった。

 −佐村河内守とゴーストライターを名乗り出た新垣隆の対決もある。

 結局、世の中の二極化の仕組みで、佐村河内さんが偽物で、新垣さんが真実ということになった。虚偽とは何か。真実とは何か。この二つは明確に二分できるのか。メディアは何を伝えるべきか、何を知るべきなのか。そもそも森達也は信じられるのか。視点は無数にあって一つではない。僕の視点と解釈はあるけれど、最終的には映画を見た人に自由に解釈してもらうしかない。

■奥さんの存在

 −一番印象に残ったのは、佐村河内さんの奥さんの存在だった。

 佐村河内さんの家に行って、部屋にあった絵や猫の存在と、奥さんに何か感じるものがあったのは確か。ある意味、映画は佐村河内さん夫婦の物語になっている。夫は妻がいるから安心して、カメラを持つ僕に向き合ってくれているし、妻は夫を信じて付き添っている。

 −それは「A」の時と似ている気がする。

 「A」のとき、オウムの教祖や幹部ではなく、対峙(たいじ)してくれた若い広報副部長の中に入って行き、その人間性と、彼の家族のことに思いをはせながら撮った。「FAKE」の佐村河内さんも、奥さんがいなかったら事件の後、どうなっていたか分からない。映画の撮影で、僕を全面的に信用しているわけでもないし、僕を「利用」しているようなところもある。

 −お互いに表現者で思惑がある。

 佐村河内さんは確かに表現者で、業の深いところもあるが、ある意味、彼の一連の出来事に関しての「怒り」がそこに渦巻いている。一つは目に障害があるにも関わらず世間全般に「見える」と思われたこと。それを伝えた新垣さんに対する怒りはそれ以上のものがあるだろう。新垣さんに会いに行って、出演をOKしてもらったが、事務所がNOの返事で駄目になった。

 −ほかに取材に来る人々も登場する。

 僕が家で撮影していることを承知でテレビ局と外国の取材陣がやって来た。彼らも突っ込みを入れていたが、結果はあまりうまくいってないような気がする。映画も編集が勝負ではあった。

 −ラストで大きなどんでん返しがある。

 それは映画を見て考えてもらいたい。誰がうそをついているのか。誰が誰をだましているのか。あるいは監督である僕がうそをついているのではないかと思う人がいるかもしれない。「FAKE」とは、偽造する、見せかける、いんちき、虚報…などの意味がある。二極化で割り切れるものでないことは確かではなかろうか。

 もり・たつや 1956年生まれ。広島県出身。立教大在学中は映画サークルで8ミリ映画を撮りながら石井聡亙、黒沢清などの作品に出演。テレビ番組制作会社に入り95年地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教に迫った映画「A」(98年)「A2」(2001年)を発表。震災映画「311」(11年)の競作も話題に。初小説「チャンキ」も出版している。