日曜インタビュー

韓国野球の下支えに

ドキュメンタリー映画 「海峡を越えた野球少年」
監督 キム・ミョンジュン
2016年10月23日

在日同胞の野球と青春

「当時の少年の気持ちが知りたいと思った」と話すキム・ミョンジュン監督=大阪・十三の第七藝術劇場
(C)2014 INDIESTORY Inc.

 韓国プロ野球が始まった1982年、在日同胞の高校野球チームが韓国に招かれ試合をして準優勝した。そのプロセスを描いたドキュメンタリー映画「海峡を越えた野球少年」(太秦配給)が大阪・十三の第七藝術劇場で上映されている。「韓国野球の下支えになった」という歴史的な背景についてキム・ミョンジュン監督に話を聞いた。

 −これまでも在日同胞をテーマにした作品を撮っている。

 2002年から3年間、北海道朝鮮初中高級学校に住み込んでドキュメンタリー「ウリハッキョ」を撮った。06年に完成し、07年に韓国と日本で公開された。韓国では市民上映会などで独立系映画の興行記録を塗り替えるヒットとなった。今回は在日同胞の高校生球児が韓国に招かれて試合をしていた時代の話に興味を持った。

■1956年から

 −朝鮮戦争後の1956年に始まった。

 韓国の全国学生野球大会。日本では甲子園で高校野球大会が行われていたが、それに出場できなかったチームの在日同胞選手を集めて一つのチームを作って、韓国に遠征する。在日にとっての里帰りでもあるが、何よりも、韓国の野球はまだ未熟なところがあって、在日同胞選手の一挙手一投足を驚きの目で見つめた。58年のチームには張本勲(後にプロ入りした名選手)が入っていた。

 −1982年の在日同胞チームを映画に選んだのは?

 1982年は韓国と日本の両方にとって野球では記憶に残る年になっている。日本では早稲田実業の荒木大輔が登場して人気を集めており、韓国ではプロ野球が正式に発足。現在では日本と韓国のプロ選手はアメリカの大リーグ入りして活躍するようになっているが、特に韓国野球の歴史を見て、在日同胞チームが「韓国野球の下支え」をしてくれたことは間違いない。82年のチームは準優勝を飾っている。

■30年ぶりに

 −当時のチームの6人が集まって、三十数年ぶりに韓国に行く。

 映画の取材で82年だけでなく、大会に出場したという人を探して話を聞いた。最初は出演してくれないかもしれないという不安はあったが、多くの人が協力してくれたし、結局、82年のチーム6人が集まってくれて、ソウルの野球場で行われたプロ野球の始球式に参加した。韓国の観衆はもちろん大歓迎。本人たちもうれしそうだった。

 −彼らはもう50代のおじさんに。

 韓国に来て昔のことを思い出したのか、懐かしいというより、昔の少年に戻ったような顔をしていた。そんな表情の彼らを撮りたいと思っていたので、僕自身も感動したし、当時の時代の空気が少しでも映画を見た人に感じてもらえればうれしいと思った。韓国では在日同胞の存在を知らない人は多いし、その野球少年が今日の韓国野球の下支えになったことも案外知られていない。

■在日同胞の存在

 −在日同胞チームの参加はいつまで続いたのか。

 1956年から1997年まで42年続いた。約620人が参加した。その間、82年と同様に74年、84年に準優勝している。当時は自国チームに審判のひいきもあったようで、優勝に至らなかったのかもしれない(笑)。在日同胞チームの少年が韓国に残って、その後野球のために貢献した人もいるし、二つの国の間に入って力を尽くした功績は少なくない。

 −チームのピッチャーだった人が始球式でいい顔をする。

 彼は当時、全6試合に登板し完投したエースだった。始球式で投げて「あれから30年たって、いろいろあったが、いま韓国の観衆の拍手を受けて、全部なくなったような気がする」と話していた。ある意味、彼らには二つの国があって、そのはざまで引き裂かれてきたと思う。その祖国で受けた「拍手」はうれしかったに違いない。

 −これからも在日同胞の映画を作るのか。

 戦争などと同じように、その陰にあった「在日同胞」という立場を知らない人はまだ多いし、また「忘れてはいけない」存在で、機会をとらえて作り続けたいと思う。

キム・ミョンジュン 1970年生まれ。韓国・大邸出身。大学の演劇映画科を卒業後、フリーで活動。北海道で撮影した「ウリハッキョ(わが学校)」が2006年釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞。本人はカメラマン出身で、夫人は映画監督。撮影で「2回の結婚式と1回のお葬式」「少年、少年に出会う」など。