亀井澄夫の妖怪不思議千一夜

大阪市西区新町

「無鬼論」を書きそこねた学者
2018年10月15日
「地獄の様、しかと見ました!」(イラスト(C)合間太郎)

 阿積桐石(あさかとうせき)という学者が白髪町、今で言う西区新町にいた。昔は儒医として名高い人物であったが、昨今の鬼神を信じ地獄や極楽など、ありもしない世界を恐れる風潮に嫌気がさし、迷信の類を嫌って論文「無鬼論」の制作に着手した。

 無鬼論とは、この世に鬼などいない、そんなことに惑わされるなという啓蒙の書である。夜中まで一心に書き続け、疲れて机につっぷすと眠ってしまった。すると夢かうつつか、彼の側に人が立ち、肘を持って引き立てようとする。見ると狭い家の天井に頭がつかえるほどの鬼で「お前の知識など取るに足らん。世を惑わす説を流して安易に飯の種にしようとしたのは許し難し。ならば論より証拠、お前を地獄につれて行ってやろう」と言う。

 鬼は桐石を持ち上げ空へと上がり、黒雲を抜けると大きな宮殿があった。彼の前に高貴な人物が現れ「汝の無鬼論が誤りであることを体験し、今度は有鬼論を書くがよい」と言う。そこには一枚の鏡があり、恐ろしい八大地獄のありさまが映っている。

 いたずらに生き物を殺した者が傷つけ合う等活地獄、盗みを働いた者が鉄板で焼かれる黒縄(こくじょう)地獄。みだらな行いをした者が剣の葉で血だらけになる衆合(しゅうごう)地獄、酒を人に飲まして悪事を働いた者を大釜で煮る叫喚(きょうかん)地獄、もっと大きな釜を使い、うそをついた者を苦しめる大叫喚地獄、その10倍もの苦しみを受ける焦熱(しょうねつ)地獄、尼さんを犯した者の行く大焦熱地獄、父母を殺した者の落ちる阿鼻(あび)地獄では人の姿をとどめず、うじ虫のごときものとなってのたうちまわる。

 「しかと見たか」という獄卒(ごくそつ)の声に震えながら「しかと見た」と答えたとたん、一番鶏の鳴き声が聞こえ、自分の家にいることに気づいた。横ではうたた寝をする女房がいる。

 はたして桐石が「有鬼論」を書いたかどうかわからないが、この仏教説話は江戸時代中期の俳人、青木鷺水(あおきろすい)の書いた『御伽(おとぎ)百物語』からの話である。

 (日本妖怪研究所所長)