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日韓交流の行方

 昨日付で掲載した琴浦町の「風の丘」の記念碑から「東海」も文字を削除した件で、韓国のメディアからの問い合わせが本社報道部にも相次ぎ、韓国の有力紙に加え、本紙と姉妹提携している江原日報も報じています。
 日韓交流に積極的に取り組んできた鳥取県の地方紙としてはとても残念で遺憾な話題です。弊紙の思いは本日付「海潮音」で掲載したとおりです。「日本海」の呼称が国際的に定着しているからこそ、削ったからといって何が変わることでもなく、削る手間と時間だけが無駄なのではないでしょうか。国際交流は、まず相手の立場を思いやることこそがスタートです。「東海」の文字の有無の是非よりも、その背景にある韓国側の気持ちを思いやる配慮が大切だと感じます。読者の皆さんはどう感じますか?(仁)

コメント

琴浦町が「風の丘」の記念碑から「東海」の文字を削ったことを知って,ここぞとばかりに大騒ぎする貴社はいったい何なのか。日本の新聞社ではないのか。

貴社も新聞社なら,韓国及び在日韓国関係者(以下「韓国サイド」)がいかに多くの日本を貶める行動を行っているか知っているだろう。(1)つい先日もあった国際的な日本海呼称問題,(2)竹島さらに対馬の領有主張,(3)韓国の学校での反日教育,(4)日本国内での無法行為(京都府舞鶴市での神社乗っ取り破壊,竹島領有主張・日本海呼称に関しての文化財への落書き等)。まさかこれらのことを知らないわけではあるまい。韓国の新聞サイトや日本の嫌韓サイトでは頻繁に取り上げられている。

「韓国側の気持ちを思いやる配慮が大切だと感じます」など今更言うことか。韓国サイドが日本を思いやる配慮をしていると思っているのか。日本が韓国サイドを思いやる配慮を示しても,韓国サイドは日本を裏切り,日本にたかり,日本を貶めることばかりしている。日本人もいい加減に韓国サイドに対して愛想が尽きかけているのだ。(確かに写真を見る限りでは「東海」の文字の削り方が美しくない。日本に対して韓国サイドがよく行うやり方だ。もっと美しく,そして大勢の人に納得してもらう削り方があったと思うが)

このような韓国サイドの非友好的行為をいっさい報道しないで,こともあろうに地元自治体が勇気を持って行った行動に対して批判がましい意見を述べるとはどういうことだ。貴社としては,琴浦町のことを記事にした以上は,読者に公平な判断をしてもらうために,韓国サイドが日本に対してどのような卑劣なことを行っているか報道する義務がある。まずは韓国・江原道の韓日友好記念碑(もし,そんなものがあればだが)に,朝鮮文字で「東海」「日本海」が併記されているかを調べてほしい。そういう裏づけを取ってから琴浦町に関する意見を述べてほしかった。それができないようなら,日本のジャーナリズムとしては失格である。(韓国のジャーナリズムでは,裏づけを取らないで憶測で記事を書くことがよくある)

最後に一つ尋ねたいが,貴社が提携している江原日報は貴社の名称「日本海新聞」についてはどういう見解を持っているのか教えていただきたい。

 ウーン、何なのかと質問されると、鳥取県の地方紙ですと言うしかありません。特に大騒ぎしているという意識もありません。ご指摘の点は中西さんのお考えとして理解できますが、ただ琴浦町がこの時期にわざわざ記念碑から「東海」の文字を削ったことに、何の意味があるのか、理解に苦しむというところでしょうか。
 とはいえ、「日本海」は「日本海」で、例えば紙面で両方を併記するつもりもありませんし、わが国が「日本海」と呼称することを強く主張することにも異論はありません。
 外交という場面ではなく、国際交流という場面では、「相手の気持ちを思いやる」ということは、ごく普通の感覚だと思います。訪韓した際に、「日本海」の呼称や歴史認識などで意見が異なると感じることはしばしばです。だからと言って、今回の削除のように相手の主張をばっさり削り取ることが妥当なのかどうか、大いに疑問を感じます。
 江原日報から弊紙の題字について質問されたこともありませんし、ましてや注文を付けられたこともありません。こういう題字だと認識されているということだけでしょう。わざわざ聞いたこともありませんが…。

中西様のおっしゃるとおり、貴社記事はあえて問題化を煽っているようにしか見えません。

赤崎町の頃に「東海」という文字を入れるにいたった背景であるとか、
国際的名称を反日的な観点から変えようとしている韓国の動きであるとかという事には触れておられませんし、
まるで日本の呼称=日本海、韓国の呼称=東海であるという間違った認識によって書かれているとしか見えないこの記事では
読者の多くへ琴浦町及び田中町長の行動が誤っているという、一方的な認識を与えるのではないだろうか。

事実関係や背景の検証を怠り、自らの感情もしくは社内の風潮だけで、「問題」と断ずる事にはジャーナリズムの欠片も見る事はできません。

「問題」は琴浦町にあるのではなく、貴紙の報道姿勢にあるのではないかと思いますがいかがでしょうか。

ブログを始めて1年。このブログも議論できるだけの場であったかと、あらためて投稿者の皆さんに感謝したい気持ちです。
 「『問題』は琴浦町にあるのではなく、貴紙の報道姿勢にあるのではないかと思いますがいかがでしょうか」とのご批判をいただきましたが、これは全く的外れだとと反論せざるを得ません。。
 弊紙がこの出来事を掲載したということは、弊紙が問題意識を持っているということですが、あおっているという意識はありません。いち早く報道した側として、その後の動きをフォローするという責務からです。
 これまでにもご説明したように、日韓交流を進めている鳥取県で、しかもその原点ともいえる琴浦町で、わざわざ併記していた文字をあえて削り取るという行動は率直にニュースにふさわしい価値を持っているという判断から記事として掲載したものです。
 ことさらこの問題をあおるつもりなど毛頭なく、この点では弊紙に問い合わせをしてきた韓国メディアと全く同じです。ましてや「日本海」の呼称問題について議論しようというつもりもありません。呼称は「日本海」で決まっているいう前提であることは言うまでもないでしょう。
 町や町長が誤っていると言っているつもりはありません。ただ、「削り取ったことは町として妥当でしょうか?」と問い掛けた記事だったと言えるでしょう。正′?ナはなく、妥当かどうかという物差しでこの問題を見るということも、正当な報道姿勢と言えると思うのですが、いかがでしょう。

韓国は、東海と言う文字を定着させる為にあの手この手をつかっています。ドイツの教科書には東海侮ヲのものがあると言うことで、私は危機感を持っています。危機感のない日本人の感覚こそが「竹島・尖閣・北方領土」をこじらせているのではないでしょうか・・・韓国の友好施設には東海意外に「日本海」の赴Lがしてあるか否かも関心があります。それからもう一点、記事の内容にもう少し政府の見解等もあったほうが良いと思います。あまりにも一方的・・50年後に日本海新聞が「東海新聞」になっていないことを祈るばかりです・・・

早速の掲載・コメントありがとうございます。

さて、
>これは全く的外れだとと反論せざるを得ません。。

的外れであると反論とありますので、どの部分が的外れであるのか、なぜ的外れであるのか立論いただきたいところですが、後段にはそれらしき部分が見当たりません。
繰り返しになりますが、私が問題だとしているのは、東海主張の経緯、併記に至った背景、削除に至った背景といった事、また日本海で決まっていると言っても「誰が」決めたのかという部分を抜きにして、いわば「削除した事」だけを抜き出して報道することはミスリードを誘い、報道としていかがなものか?と問うている訳です。
削除が妥当かどうか問いかける物だと言われるが、妥当かどうか判断する情報を提示せずにあれだけの級数の見出しを打ち、かつ削除を求める県民の声をリサーチもしないのであれば、「これは由々しき問題だと思うのだけどもどうですかね?」と言っているに等しいし、それぐらいの事なら今日日「記者様」でなくともできると言っているのですよ。

議論というか反論をと言われるからには、私の言うこれら判断に際して必要と思われる情報についてなぜ触れていないのか、貴紙の姿勢をお伺いしたい。

私が誤った認識であると思わざるを得ないのは、例えば中西様への反論中にある
>わが国が「日本海」と呼称することを強く主張することにも異論はありません。
という一文。

わが国が「日本海」と呼称することは別に主張するしないの問題ではないです。これは韓国内において「東海」と呼ぼうとどうでもよいのです。
日本海という呼称が歴史的経緯や国際的慣習から(わが国は関係なく)「日本海」とされてきた普遍的名称であって並列の物では無いという視点が欠けていると言っているのですよ。


 いろいろなご意見を寄せていただき、ありがとうございます。説明が不助ェで舌足らずな点があったかもしれません。貴重なご指摘をいただいたことを感謝いたします。

 ただ、繰り返すようですが、今回の記事は呼称の在り方を論じる意図ではないのです。わざわざ標記していたカッコ書きの「東海」の文字をあえてこの時期に削り取ることに、どんな意味があるのだろうか、という問題意識からです。
 仮に琴浦町が「東海」と標記しているのが間違っているとか、不要だと考えて削り取ったというのであれば、交流記念碑という性格から考えて、少なくともその趣旨をともに交流を進めてきた相手側に伝えるべきではなかったかと感じます。町長自身も「軽率だった」と述べられたと聞いています(11日付本紙)。
 日本海を「日本海」と呼ぶのに何のためらいもなく、「東海」と呼ぶ韓国を擁護するつもりもありません。併記の背景や削除の背景を書くべきとのご指摘もいただきましたが、併記したのは交流相手の韓国側の心情に当時の町が配慮したことは明白であり、削り取った理由として町からは「県民から『東海』は不要だと指摘があり、『日本海』だけで助ェと判断した」とのコメントを掲載しており、それ以上の話は聞いていません。後で触れますが、呼称問題の全体の背景は9日付の記事で紹介しています。「短すぎる」といわれれば、スペースとバランス上の制約とご理解ください。
 指摘をした県民が誰であるかは、町の関係者しか知らないことであり、町はその指摘が妥当だと自身で判断し、削ると決めたのでしょう。それはそれで町の考えとして尊重すべきかもしれません。しかし、わざわざ町長自ら民団に説明に出向いたということは、おそらく町自身も説明不足だったと感じているのではないでしょうか。当事者の町や町民からは、弊紙の記事に対して、特段の反論は届いていません(少なくとも私の元には)。町の考えや主張には助ェ配慮したつもりです(これも不助ェだといわれればやむを得ませんが…)。
 政府が削除するように指導したのであればともかく、町が町の判断で削り取ったということで、政府の見解までは考えませんでしたが、初日の報道(9日付)で、「歴史的にも国際的にも『日本海』の呼称が確立しており、国連もその立場を明確にしている」との別記事で助ェだと考えます。今回とは逆に「東海」の標記を書き加えるというのであれば、聞いてみたい気はしますが…。
 今回のことで、町も県も、韓国、特に江原道との交流は今後もさらに推進すると聞いています。弊紙も同道の江原日報との友好交流をさらに深めていくつもりです。繰り返しになりますが、国際交流というチャンネルでは、ことさら「日本海」の呼称問題を意識することはなく、今後もあえて問題にするつもりもありません。そして、本紙の題字と、目の前に広がる海の呼称は全く違うレベルの話だと思います。

日本海新聞の記者さん

貴社は「鳥取県の地方紙です」と卑下されますが,私は別に地方紙だから卑下することはありません。逆に,地方新聞だからこそ言えることがあるのです。全国紙が偉そうなことを言うことがありますが,貴社には,もしそういう勇気があればですが,全国紙そして他の圧力団体(宗教団体,在日団体などを含む)の支援なしで頑張っていただきたいと思います。全国紙ではなかなかできません。
しかし,貴社は日本の新聞社です。まかり間違っても,記事に「日本海」と「東海」を併記したり,自社は「日本海新聞」ではなく「日本海(東海)新聞」だと言ったりしたら,読者は激減すると思いますよ。

日本国民として余りに了見の狭い意見が投稿されてますね。削除の垂オ入れをした団体もそうです。非常に残念です。
碑の目的がなんなのか考えれば相手国の呼び名が書いてあって当然ではないでしょうか。
一見愛国心の様ですが、「思い上がり」にしか感じられません。
自分だけが正しいと思いこみ、いろんな考え方をする人がいて当然だと言うことを忘れているような気がします。
心に余裕が無くなったのでしょうか。
私としてはとても残念でとても恥ずかしい出来事だと思います。

 日々の紙面づくりに追われて、なかなかコメントを掲載することができず、垂オ訳ありませんでした。まずは多くの方々からさまざまなご意見を頂いたことを感謝しています。
 私の見解は既に書いた通りで、これ以上書き加えることはありません。意見が相違するという方もいらっしゃると思いますが、多様な意見や多様な価値が併存することを認めることが近代以降の社会だと思うのです。憲法学者の長谷部恭男氏の言葉を借りれば「価値観の多元性と比較不柏ォ」ということになるのでしょうか。同じ物差しでは計れない価値がそれぞれにあるということです。ちなみに長谷部氏は伝統的な立憲主義を単に標榜するだけではなく、「非武装絶対主義で国民の生命、財産を守れるのか?」と疑問の声を上げ、新しい立憲主義の穀zを目指しており、憲法改正が叫ばれる中で一読の価値がある学者だと思います。
 横道にそれましたが、「東海」を削り取った件では、民団の代浮ェ琴浦町に抗議に出向き、町長が自身のお気持ちを説明されたと聞いています。新たな展開の中で、弊紙以外のメディアもこの件を取り上げるようになりました。私どももさらに今後の動向を注視したいと思います。ただ、この件での意見の隔たりは、双方の歴史や心情などの点で、かなり大きいようです。
 それでも、見解や価値観の相違を乗り越える努力と工夫が必要なのです。無駄だという方もいらっしゃるかもしれませんが、これが日本海新聞の一編集責任者の見解です。
 

貴紙のスタンスがどうであるかは理解いたしましたが、だからといって、ブログを運営されている以上、公序良俗に反するとかそういうことでもない限り、特定のコメントを制限するのは、特にメディアとしての信頼性を欠くものと認識せざるをえません。

私のコメントだけではなく、他のエントリに対するものについても同様に検閲の上恣意的な取捨がおこなわれているものと判断いたしますがよろしいでしょうか。

差し支えなければ、メールでかまいませんので方針をお聞かせ願えればと思います。

編集長のお考え、実に日本的で立派だと思います。友好関係を築く上で、相手を思いやり、譲歩する気持ちは非常に重要です。
しかし、それが通用しない相手の場合、どうすべきでしょうか?江原日報や民団に対して、”日本海という名称は日本独自の物ではなく、世界標準の名称であり、わざわざ東海と書いて混乱を招く必要などない。それより、「韓国名:東海」、もしくは、「世界的に見て東海と呼んでいるのは韓国だけ」、という阜サで助ェではないか”と、聞いてみて下さい。もしくは新聞にそう書いてみて下さい。それに対する彼らの反応で、編集長の認識が正しいのかどうか判断できると思います。

 またまた、言い訳で垂オ訳ないのですが、いろいろな仕事でブログのアップが遅れ垂オ訳ありません。たくさんのコメントをいただきありがとうございます。匿名もあったり署名もあったりで、ちょっと勘違いがあったかもしれません。掲載が遅れた投稿者の方には垂オ訳なかったです。
 それでも、私の見解は既に書いた通りで、あまり付け加えることはありません。価値観の多元性を前提に共存しあうことを目指すべきだということに尽きます。「それでも通用しない場合はどうするのか」という質問に対しても、粘り強く理解を求めるということになるでしょう。とりわけ、小ながらも言論機関に身を置く立場では、きれいごとではなく、もどかしかろうと回りくどいといわれようと、理解を求める努力を続けることに尽きます。
 ただ、そのためには、また長谷部教授の言葉を借りて恐縮ですが、「人々の生活領域を私的な領域と公的な領域とに区分すること」「公的な領域では…考え方の違いにかかわらず、社会のすべてのメンバーに共通する利益を発見し、それを実現する方法を冷静に話し合い、決定することが必要」というかなり困難な作業が必要でしょう。ご批判はあっても、時間がかかっても、相手の主張にも耳を傾け、その上で地道に理解を求めることが私たちの立場です。議論が堂々巡りになるかもしれませんが、世の中、簡単にばっさばっさとさばいていけるようなら苦労はしないよ、といったところでしょうか。

> 国際交流は、まず相手の立場を思いやることこそがスタートです。

結高ネ事です。
韓国側にも、日本の事を思いやる気持ちがある事を望みます。
しかし、相手の要求・希望に沿わなければならないものでもありません。

> わざわざ標記していたカッコ書きの「東海」の文字をあえてこの時期に削り取ることに、どんな意味があるのだろうか、という問題意識からです。

元々、税金を使って公的な公園に「東海」と書く事が適切であるか否かを問わなくてはなりません。
不適切と判断したから、削除したのでしょう。
誤りがあれば、訂正する事に躊躇する必要はありません。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/torikumi.html
にあるように、政府が諸外国に「日本海」と「東海」の併記を止めさせ、「日本海」単独赴Lを要請しているにも関わらず、日本国内の公共団体(地方自治体)が「東海」を併記していると、外務省が諸外国に要請する意味を害する事になります。
日本国内の公共施設に「東海」と書いた物証があれば、日本政府が諸外国に要請しても、諸外国から「日本国内で東海と記載しておいて、他国に要請するな」と言われては反論するのが困難になります。

> 仮に琴浦町が「東海」と標記しているのが間違っているとか、不要だと考えて削り取ったというのであれば、交流記念碑という性格から考えて、少なくともその趣旨をともに交流を進めてきた相手側に伝えるべきではなかったかと感じます。町長自身も「軽率だった」と述べられたと聞いています(11日付本紙)。

私的な公園なら「東海」と併記しても高「ませんが、税金で作った公共の公園で公共団体の管理下にある施設の変更をするのに、外国の団体の意見を聞く必要も無く、伝える必要もありません。
一歩譲って、友好と交流を考えて、相手側に伝えるにしても、変更前に伝えると妨害・圧力をする団体のようですので、変更後に伝えれば助ェです。

 議論がかみ合わないのかもしれませんが、まず、相互理解は困難でも持続しなければ実現できないと考えます。この点の議論は堂々巡りでしょう。
 次に、「税金を使って…」という点ですが、これは設置者である琴浦町(当時は赤碕町ですが…)の町民の日韓交流への思いや文言の是非についての判断(実態は追認かもしれませんが…)であり、どういう文言がふさわしいかは外務省ではなく第一義的に町自身がお考えになるべきだと考えます。既にコメントしていますが、外交というチャンネルだけでなく、地方レベルの国際交流という別のチャンネルがあってもいいと考えます。
 次に、「事前に意見を聞く必要がない」というご意見ですが、そもそもこの公園を建設した際に、当時の赤碕町は民団と相談しながら、または韓国側の意見も取り入れながら建設したという経緯があります。町民レベルでも日韓交流は盛んで、これまで町と民団・韓国側と一緒になって公園を整備してきたということを考えれば、勝手に削除するという行為は「誤っている」とまでは言えないにしても、少なくとも「妥当ではない」と考えます。これも既にコメントしていますが、ことを判断するに「正′?vという基準だけではなく、「妥当かどうか」という基準も持つべきでしょう。
 仮に、同町が「東海」の文字が不要と考え、削りたいと考えたのであれば、自信を持って事前に通告し、理解を求めるという姿勢があるべきだと考えます。でも、そうではなく、町長は「軽率だった」と反省していると聞いています。当事者自身が事前の相談をしなかったことを率直に反省しているのですから、私たちも素直に受け止めたいと思います。
 ただ、目の前にありながら日本海の赴Lについてあまり関心のなかった方々が、日韓関係、日韓交流のあるべき姿を考えるきっかけになったかもしれません。

> これは設置者である琴浦町(当時は赤碕町ですが…)の町民の日韓交流への思いや文言の是非についての判断(実態は追認かもしれませんが…)であり、どういう文言がふさわしいかは外務省ではなく第一義的に町自身がお考えになるべきだと考えます。

琴浦町民・琴浦町長が、どうしても「東海」を併記するなら、私にはどうする事も出来ません。
外務省の文言では無くて、国民全体で選んだ政府の文言です。
琴浦町民・琴浦町長が、国民全体で選んだ政府の方針であり、多くの日本人が「東海」に違和感を感じるのを敢えてするのも結高ナすが、その責任(代償)は、琴浦町民・琴浦町長にあります。

> 既にコメントしていますが、外交というチャンネルだけでなく、地方レベルの国際交流という別のチャンネルがあってもいいと考えます。

琴浦町民・琴浦町長・日本海新聞殿は、韓国にも、「東海」と「日本海」の併記した記念碑・公園や、「独島」と「竹島」を併記した施設・文書を作る努力をして下さい。
それ無しに、日本だけが韓国側の主張に沿った事をする交流・友好は、日本国全体としては、長く続かないでしょう。
韓国にも同様の施設・文書が出来た暁には、琴浦町民・琴浦町長・日本海新聞殿の意見も理解されるでしょう。

 投稿、ありがとうございます。鳥取は気温30度で暑くなりましたが、本日は比較的仕事に余裕があり、短時間でご返事することができます。
 「外務省の見解」というのは「政府の見解」と同趣旨です。ただ、「国民全体が選んだ政府」というご見解にはいささか抵抗があります。政府が国民が望む方針や施策を実現しているのかどうかを監視するのが国民の役割だと思います。政府が決めたから何が何でも従わなければならないという国家は、近代民主主義国家とはいえないでしょう(法律を無視してもいいという趣旨ではないことはいうまでもないことですが…)。
 ただ、日本海の赴Lについては「日本海」と主張して(当たり前のことですが…)、韓国が「東海」を主張していることに抗議している政府の姿勢を私は支持しています。おそらく琴浦町長も町民も支持していると思います。ただ、外交ではなく地方自治体レベルの国際交流という違うチャンネルがあるという前提で考えれば、私の中では日本海の赴Lについての政府への確固たる支持と、説明碑で併記することとは矛盾しないのです。このあたりの感覚の違いが分水嶺かなと感じています。
 「韓国側にも日本海を併記させるよう努力せよ」というご主張ですが、これにもやや違和感を覚えます。韓国側に日本海は「日本海」と呼称すべきという政府の見解をきちんと説明し(そのためには歴史や日本の考え方をきちんと学ばなければなりませんが…)、理解を求めるという行動は必要かもしれません。ただ、相手が言うことを聞かないから無理やりに聞かせるという姿勢には、私は反対です(私の誤解ならごめんなさい)。
 これも既にコメントしていますが、「価値観の多元性と比較不柏ォ」を認めることが現代社会を生き抜く前提だと考えています。もどかしくても、中途半端でも、時間がかかっても、カッコ悪くても地道に理解を求めるということに尽きます。小なりといえどもこれが言論機関の使命なのです。韓国との交流が長く続くかどうかは、琴浦町に限らず江原日報と友好提携を交わしている小紙の課題でもあります。今のところ、小紙については今回の件でも何の弊害も出ていません。今後も地道にそして着実に交流の果実を生み出したいと考えています。

コメントありがとうございます。
私も鳥取県内に住んでおり、日本海新聞を購読しています。
しかし、郷里を離れて随分経ちますので、帰郷してからは、驚きの多い毎日です。

> 「国民全体が選んだ政府」というご見解にはいささか抵抗があります。政府が国民が望む方針や施策を実現しているのかどうかを監視するのが国民の役割だと思います。政府が決めたから何が何でも従わなければならないという国家は、近代民主主義国家とはいえないでしょう(法律を無視してもいいという趣旨ではないことはいうまでもないことですが…)。

「国民全体が選んだ政府」とは、「(選挙権にある)国民全体で選挙に参加した政府」という意味です。(選挙に棄権した人も、投票の結果、野党に投票した人も、選挙というシステムに参加して、その結果、民主的に選んだ政府です。)
もちろん、国民一人一人の望む方針・施策を必ずしも実施している訳ではありません。(多種多様な国民の意見がありますので、各人の意見に合った方針・施策を全て実施する事は無理です。国民の意見を統一とすることを要求している訳では無く、総体としての方針・施策です。)
政府が決めたから何が何でも従わなければならないという事ではありません。
琴浦町が、政府の方針に反して「東海」を併記しても、法的罰則は、おそらく無いでしょう。
法的罰則が無いからといって、政府の方針に反することを行うかどうかは、琴浦町の責任ですればよいことです。
琴浦町以外の人・団体に与える影響を考慮もしないのも、その責任ですればよいことです。
琴浦町以外の人・団体は、琴浦町とは違った角度で物事を捉えて、行動するだけです。

>「韓国側にも日本海を併記させるよう努力せよ」というご主張ですが、これにもやや違和感を覚えます。韓国側に日本海は「日本海」と呼称すべきという政府の見解をきちんと説明し(そのためには歴史や日本の考え方をきちんと学ばなければなりませんが…)、理解を求めるという行動は必要かもしれません。ただ、相手が言うことを聞かないから無理やりに聞かせるという姿勢には、私は反対です(私の誤解ならごめんなさい)。

相手が言うことを聞かないから無理やりに聞かせるという姿勢は、韓国側の「東海」赴Lに固執している姿勢です。
「韓国側にも日本海を併記させるよう努力せよ」に違和感を感じるのに、私も違和感を感じます。
日本政府の立場は、「韓国側に日本海は日本海と呼称すべき」という立場ですが、琴浦町・日本海新聞殿は、韓国側の主張を取り入れて「東海」赴Lを納得しているなら、同じ事を韓国にも相互に行うように要求することに何が戸惑いがあるのでしょうか。(片務交流や片務友好では、友好になりません。片務友好を友好だと考えているなら、何もいうことはありません。ただの従属です。)

 読者の方でしたか!それは失礼しました。毎日頭を悩ましながら新聞作りに励んでいるのですが、満足のいく紙面ができた経験は一日たりともありません。挑戦して、撤退して、前に進んで、後ろに下がって、跳んで、そしてしゃがんでという繰り返しです。何とか、読者の皆さんのためになる紙面ができないか、模索の日々が続きます。それでも、毎日悩みながら、試行錯誤しながら作る過程に意義があるとも感じています。
 コメントを読ませていただきながら、考え方の違いのポイントが分かったような気がします(どちらかが正しいということではないのですが…)。
 誤解のないように垂オ上げておきますが、「韓国側の主張を取り入れて東海赴Lを納得しているなら…」とありますが、日本海新聞は納得をしているというわけではありません。「東海」を併記するかどうかは多様な意見があるのだから、何の相談もなく勝手に削除するのはおかしいのでは、ということなのです。社内で赴Lについて議論すれば、さらに多様な意見が出ることでしょう。
 例えば、琴浦町内で併記に異論があり、例えば町議会なり広報なりで広く意見を求めたとすれば、全く違った展開になったと思うのです。議論や意見交換もなく一方的に削除し、事後の連絡もないまま新聞報道で初めて削除の事実が明らかになったというのは、公園をともに整備してきた民団・韓国側の信頼にこたえたとはいえないということです。主張すべきはきちんと主張して、自分の考えについて理解を求める努力はすべきべきだったと考えます。このことは町当局で既に検証、反省されたことなので、これ以上は垂オ上げることはありません。
 片務交流というご意見についてですが、これは言葉のあやの問題かもしれませんが、「主張」と「要求」という言葉が同趣旨であれば、貴殿とそんなに意見の相違はないのかもしれませんが、「要求」が一方的に押し付けるような行動になるのであれば反対です。
 確かに外交レベルで「仲良く」とや「友好」などという言葉が無意味だという場面もありますが、友好交流という場面では、当事者として「片務」は望むところです。自虐的と批判される向きもありますが、地方レベルの国際交流は顔の見えない国と国でなく、生身の人と人との交流なのです。普通の友人関係なのです。広い意味での自己犠牲も受け入れることに特段の抵抗はありません。さりとて、必要以上にべたべたする必要もなく、要するに自然体ですね。すごく長くなりました。垂オ訳ありません。

先日(23日)の新聞9面の「さまよえる邪馬台国<7>」には驚きました。
前日の記事と同じだったので、抗議の電話をしようと思って、その前に見比べたら、最後の文字が欠けていたので、正確な記事を再度載せたのだと知り、納得しました。
会社での記事作りには、各方面からの指摘があるので、大変かと思いますが、より良い記事と新聞になるように励んでください。

> 「東海」を併記するかどうかは多様な意見があるのだから、何の相談もなく勝手に削除するのはおかしいのでは、ということなのです。

この点については、意見の不一致がありますが、貴殿の主張は理解できました。

> 友好交流という場面では、当事者として「片務」は望むところです。自虐的と批判される向きもありますが、

私は、自虐的ではありませんので、「片務」は取りません。
しかし、貴殿の主義・主張は理解できます。

琴浦町・議会・町長などは、善意と町の利益を考えて友好交流をしているとは思いますが、琴浦町・鳥取県の外の人には、別の受け取り方があり、その点を「思いやる配慮」があったのかという点も指摘しておきます。
「東海」併記・記述は、このような人に対しては、非友好的となることでしょう。

http://blog4.fc2.com/gaikoanzenhosyo/
に、「◆琴浦町の日韓友好碑は、”東海”のハングル赴Lをつけて作り直す?」という記事が載っていますが、「東海」の併記・記述に反対している人は、だいたいこのような考えだと思います。
私は、「東海」の併記・記述は、「竹島」の直接侵略に続く、間接侵略だと考えています。
おそらく、貴殿は、このような考えをされないと思いますが、考え方の違いですので、仕方ありません。
しかし、主義・主張・考えを述べ合う事は大切だと思います。

私も、昔、在日朝鮮人の知人もおり、韓国・朝鮮に対して、何も特に感じていませんでしたが、反日教育・儒教思想・歴史認識・慰安婦の韓国・朝鮮の事を知るにつれて、韓国との友好は、ほどほどが相応しいと思うようになっています。
なお、貴殿ならびに貴社にあられましては、私の考えなど小さなものですので、日韓友好交流に励んで、双方のためになるように希望いたしております。

 「さまよえる邪馬台国<7>」は大変失礼しました。浮?tける際に、最後の一列がとんでしまったようで、社内的にも緊急会議を招集して厳しく注意した上で、「読者に買って読んでいただく商品づくりという視点を忘れないように」と訓示したところです。お恥ずかしい限りですが、日々前進したいものです。
 さて、再びのコメント、ありがとうございます。新聞社にもいろいろな声が寄せられていますが、新聞社にとって新たな発見があったり、ハッと気付かされたり、大変勉強になる問題でした。間接侵略という韓国の外交戦略についてのご意見は参考になりました。外交上のパワーポリティクスという側面もあるかもしれませんね。
 それでも地方紙レベルの日韓交流は今後とも自然体で臨む所存です。おそらく鳥取県と江原道の交流(とりあえずまだ断絶状態は続いていますが…)も同じように、自然体で続くのではないでしょうか。こちらは地方のローカルコミュニケーションというところでしょうか。
 本日は業務多忙で多くはコメントできませんが、引き続きご愛読いただければ幸いです。ありがとうございました。

山陰中央新報
http://www.sanin-chuo.co.jp/edu/modules/news/article.php?storyid=406272068
によると、韓国からの学生のホームステイ先が不足しているそうです。
友好交流をされている琴浦町民の方々に実体験を募って、町民ぐるみの友好交流をされてはどうでしょうか?
という連絡を琴浦町にさせていただきました。
日本海新聞の社員の方々も奮ってご応募をしたらどうでしょう。

なお、ご存知かと思いますが、最近お騒がせの「(韓国で)公衆の面前でブタを八つ裂きにしたデモ」がありました。
http://www.chosunonline.com/article/20070525000012 をご参照下さい。
状況は、http://killkorea.iza.ne.jp/blog/entry/178541/ をご参照下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=dm6KXmRGW2o には、より多くの生々しい写真が載っています。
韓国では、残虐な行為が平然と公衆の面前で行われるのですね。
琴浦町の皆さん方にも交流を実際に自ら体験される事を祈っています。

韓国側の動きを知らなければ、「何の相談もなく勝手に削除するのはおかしい」と思われて当然だと思います。しかしながら、韓国は世界中で「日本海」から「東海」にかえる運動をしています。初めて知った時、「何故韓国は日本と相談せず、世界中で地図を書き換えるのだろうか」と思いました。「おかしい」と思える事をしているのは、あきらかに韓国のほうです。その事実を伝える義務がある貴社が、それを読者に伝えなかった。      私はそこがとても残念であると共に、おそらくここにコメントしている方々も同じ意見ではないかと思います。 そういうわけで、「世界中で使われているから安心」だなんて、韓国には通用しないと思います。反対に、琴浦町も鳥取県も認めているじゃないか、という既成事実を与えるだけです。 私の言ってる事は 厳しいことかも知れませんが、だからといって 韓国の横魔?魔オてはいけないと思います。 「相手の立場」にたって物事を考えるのは 日本人のいいところであり、韓国の立場に立つことも大事です。ですが、韓国は日本の立場にたってはいません。相手を本当に大事に思うのなら日本人の知らないところで、「日本海」を消したり書き直す、なんてことはしないハズです。私でも そんな卑怯な事はしません。        どうか この事を社内で助ェに議論していただきたい。日々 大変かと思いますが、鳥取に住む者として、貴社の新聞を読む者として、公平、公正な記事を書く新聞社であって欲しいと願っています。

 コメントありがとうございます。諸会議で助ェなご返事ができないのですが、まず山陰中央新報の記事については、小紙は既に1カ月ほど前に掲載したネタで、この記事の内容は既報です。当然ながら当社も西部本社を中心に積極的にホームステイ先を探していますが、琴浦町とは距離的に難しいですね。
 既に記述しているように、韓国でのエキセントリックな行動には抵抗もあり、国際会議での独善的な発言にも反論したい気持ちもあります(韓国の知人も抵抗があると言ってますから、韓国内でもいろいろな考え方があるとは思いますが…)。今回の問題とは別の次元かもしれませんが、おっしゃることに全く異論はありません。その事実も伝えるべきだとのご意見も異論はありません。ただ、そのことは小紙でも既に掲載しているのです(一部かもしれませんが…)。ただ、鳥取県の地方紙という性格上、配信記事に頼るケースが多く、掲載面も外電であったり、内政面であったり、読者の閲覧率が低い面だったかもしれません。記事は新聞社が書くのではなく、新聞記者が書くのであって、小紙にもいろいろな論調が併存しているとも言われます。わずか数本の記事でその新聞社すべての論調や考え方が分かるはずもなく、できれば単に「ネットで見た」「この記事を読んだ」という見方だけでなく、文化面や解説面、論壇などをも含めて長期にわたってお読みいただければ幸いです。
 本日は土曜日ですが、終日諸会議や打ち合わせ、取材準備などがあり、助ェなご返事ができないことをお詫びします。

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