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2007年12月29日

謎の万代寺遺跡 15

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 写真は、万代寺遺跡(八上郡衙跡)付近から西を写したものです。中央奥に見える台形状の山の下部に河原城(鳥取市河原町)があるのですが、写真では小さすぎて見えません。
 河原城は、万代寺遺跡の真西に位置しています。前回のブログ(謎の万代寺遺跡 14)で紹介した国中平野の写真は、河原城から撮ったものなので、今回の写真はその逆の位置(真東)から撮ったことになります。
 八上郡衙にとっての「鎮めをなす三山」とは、北は中山(霊石山、船伏山を含む山地一帯)、東は猫山、西は河原城の背後にある山(名称不詳)ではないかと思います。
 藤原京、平城京、平安京とそれぞれ北、東、西を山で囲まれ、南は平野が広がっています。因幡国庁跡(鳥取市国府町)も、そして八上郡衙もまた同じ地理的条件にあります。
 この背景には、風水的な思想があったと考えられます。(学)


2007年12月27日

特集号作り

 今年もあとわずかとなりました。この時期、新聞社の編集制作局では日々の新聞制作のほかに、お正月の特集号や特集ページの制作に追われています。例年通り、お正月にゆっくり、そしてじっくり、さらに楽しく読んでいただく紙面を目指し、最後の追い込み作業の真っ最中です。私の担当ページもゲラ刷りが出来上がりました。早速、見出しや記事の校正チェックをしなければなりません。
 フロント面にきれいな写真を掲載し、豪華賞品が当たるクイズ特集なども盛り込んで、大勢の記者や制作担当者が心を込めた特集号となります。お正月、ぜひご一読ください。(仁)

2007年12月21日

謎の万代寺遺跡 14

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 万代寺遺跡(八上郡衙跡)の発掘調査主任を務めた三木薫さんが出版した「上代模索」は、1982年の発掘当時の様子が分かる貴重な資料です。
 万代寺遺跡について三木さんは書いています。「東は猫山、西は高山、南は半柵(はんざこ)と大江山、北は船伏山と名のある山に囲まれ、私都谷、若桜谷、大江谷、西郷谷とほとんど見渡せる。全く最高の地です」
 確かに万代寺遺跡付近に立つと、特徴のある山に囲まれ、八上郡の主要部である国中平野が見渡せる絶好の場所にあります。特に、近くに山があるのが重要です。
 写真は、河原城から眺めた国中平野です。左に霊石山の一部が見え、その背後には隠れて見えませんが船伏山があります。中央奥に小さく見えるのが猫山です。手前には千代川が流れています。
 元明天皇の平城京遷都の詔(708年)に「平城の地、四禽(しきん)図に叶い、三山鎮めをなす」とあります。国を治めるには、首都を自然の理にかなった場所に置くことが肝要、と考えたわけです。鎮めをなす三山とは平城京の場合、北の奈良山丘陵、東の御笠山、西の生駒山などいろんな見方があります。
 八上郡衙の場合も、平城京と同じ思想で建設されたと考えられます。どの山が鎮めをなす三山に当たるのでしょう。実際に現地に立って見渡すと、想像力をさまざまに刺激されます。(学)

2007年12月18日

回顧と展望

 今年も残すところ2週間。鳥取県は激動の1年でした。きょう(18日)付から地域総合面で「とっとりこの1年」を連載します。計10回の予定です。政治、経済、社会など各分野のトピックスを振り返るとともに、来年の展望も盛り込んでいます。ぜひ読んでいただきたいと思います。
 世界、日本、鳥取県だけでなく、住んでいる地域、各家庭でも今年1年を回顧してみたいですね。そして、来年はこういう年であってほしい、こういう年にしたいと家族で話し合ってみるのも一興。その前に年賀状を早く書かなくては… (M)

2007年12月15日

謎の万代寺遺跡 13

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 写真は、鳥取市国府町にある因幡国庁跡の正殿跡です。正殿の大きさは桁行(けたゆき)五間(12メートル)、梁行(はりゆき)ニ間(4・8メートル)あります。この場合、一間は柱と柱の間を指すので遺構によって長さが違います。桁行は東西、梁行は南北の長さになります。
 これに対して万代寺遺跡(八上郡衙跡)の正殿跡は、桁行七間(21メートル)、梁行四間(12メートル)あり、因幡国庁跡の約二倍もあるのです。
 お隣の伯耆国庁跡(倉吉市国府)の正殿跡は、桁行五間(15メートル)、梁行四間(10・5メートル)ありますから、因幡国庁跡の小ささが目立ちます。
 本当に因幡国庁の跡なのでしょうか。(学)

2007年12月13日

十大ニュース

 この時期の定番が「今年の十大ニュース」。本紙も「読者が選ぶ郷土の十大ニュース」を募集しています。統一地方選で平井知事が誕生し、参院選では民主の躍進が目立ちました。一方で鳥取県の人口が60万人を割るなど、人口減少、少子高齢化が急速に進んでいることも明らかになりました。
 きょうは午後から鳥取市国府町に行ってきました。同町の中央公民館で開かれている高齢者のための「万葉学校」で「この1年を振り返って」と題して講演してきたのです。とりわけ関心を集めたのが年金問題と相次ぐ食品偽装。暮らしに密着し身近なテーマだけに、興味津々の様子でした。次に関心が高かったのが未来の鳥取県の将来像。人口が減少し、産業振興も進まない地域の現状を憂いながらも、何とか将来の方向性を見い出したいという気持ちが伝わってきました。今年もあとわずか。1年を振り返りながら、地域の未来を考えることも大切なことかもしれません。(仁)

2007年12月11日

頑張れ琴光喜

 大相撲の大関、琴光喜関がきょう午前、鳥取市の新日本海新聞社を表敬訪問されました。昨日夜は鳥取市内のホテルで大関昇進祝賀会に出席。きょうは鳥取県庁、鳥取市役所などで凱旋報告し、午後は母校の鳥取城北高校を訪れるそうです。
 落ち着いた物腰と口調、女性社員が「かわいい」という笑顔。大関の貫禄十分です。「来年はさらに上を目指したい」と綱取りへきっぱり。記者が「ご結婚の予定は?」と質問すると、はにかみながら「予定は未定です」。
 平井知事からは鳥取県のふるさと大使に任命され、第二のふるさと鳥取にますます愛着を持っていただけるのではないでしょうか。横綱目指して、地元も応援したいと思います。(M)

2007年12月08日

謎の万代寺遺跡 12

 万代寺遺跡(八上郡衙跡)のある八上郡を考える上で「新編八頭郡誌(1)ふるさとの歴史・上」は、見逃すことのできない本です。
 同書によれば、古代因幡の八上、法美、高草、気多など七つの郡のうち、面積、人口、神社や寺院の数などいずれも八上郡が最も多く、八上郡の豪族の勢力の巨大さが推測される。因幡の古代史は、国庁が置かれた法美郡を中心に語られることが多いが、こういう法美郡中心史観は見直されるべきだ、としています。
 私も全く同感です。このような歴史的背景がなければ、万代寺遺跡の大きさは理解できません。
 さらに気になるのは、鳥取市国府町(かつての法美郡の一部)にある因幡国庁跡です。正殿や後殿の規模が、八上郡衙跡に比べると小さいのです。郡衙よりも小さな国庁! 何を意味しているのでしょうか。(学)

2007年12月04日

星野ジャパン

 野球五輪予選が家庭でも職場でも話題になっています。おとといの韓国戦、きのうの台湾戦、ドキドキしながら最後まで見届けました。
 ペナンとレースでは見られない選手たちの目の輝き、迫力、控えの選手たちのバックアップに正直、感動しました。両リーグの首位打者やホームラン王、沢村賞、MVPがそろった夢のチームですが、フォアザチームの精神が浸透し、これまでの日本代表で最高のチームではないでしょうか。
 トラファンとしては、阪神移籍が決まった新井の活躍、球児の全球ストレート勝負に胸のすく思いです。
 最近は大リーグの試合ばかり観戦して、日本のプロ野球への関心はいまひとつでしたが、これで日本野球への関心も高まるのではないでしょうか。ペナントレースでも国際戦と同じ緊迫感のある試合を期待したい。チームが一丸となって目標に向かって一途に戦う姿は素晴らしいですね。(M)

2007年12月03日

「くも」より「が」でしょ

 「くも」に閉口しています。といっても、虫の「クモ」ではなく、言葉。「同点に追いつくも」「球場に行くも」など、本来は「追いつくが」「追いついたが」と表現すべきところが、すべて「くも」になっています。
 この「くも」、というか「も」は、「けれども」の意味の文語的な表現で、文法的には間違いではありませんが、新聞記事を書く場合には「文語体や文語的な表現は避ける」というルールがあり、以前なら「こんな表現はすべきでない」と先輩記者にしかられたものです。
 しかし、「が」より「くも」の方が語呂がいいのでしょう。テレビのスポーツニュースなどで普通に使われるようになり、それを聞いた本紙の若い記者も平気で使うようになりました。
 言葉は生き物。社会に定着すれば、それはそれでいいのかもしれませんが、旧世代の人間には、どうしてもなじめない表現です。(吉)

2007年12月01日

謎の万代寺遺跡 11

 万代寺遺跡(八上郡衙跡)について面白い資料を見つけました。遺跡のすぐ近くにある八頭高校が1984年に発行した雑誌「翠陵」に収録された「万代寺遺跡の研究―郷土の遺跡発掘に参加して」という報告です。83年に実施された発掘調査に、同校の郷土研究部が参加してまとめたものです。
 最も関心を引かれたのは、空から見た万代寺遺跡の全景、発掘風景、柱穴群や溝跡の写真など、発掘調査時の様子が分かる写真がある点です。遺跡は地中に埋め戻されて見ることができないので、これは貴重です。
 また報告によると、万代寺遺跡付近は鎌倉時代に入ると、人は生活しなくなり荒野化したとあります。奈良・平安時代にあれほど大規模な郡衙を造り、権勢を誇った八上郡の豪族が、すでに鎌倉時代には勢力を失ったことを示しています。一体、何がそうさせたのか。興味をそそられます。(学)