謎の万代寺遺跡 14
万代寺遺跡(八上郡衙跡)の発掘調査主任を務めた三木薫さんが出版した「上代模索」は、1982年の発掘当時の様子が分かる貴重な資料です。
万代寺遺跡について三木さんは書いています。「東は猫山、西は高山、南は半柵(はんざこ)と大江山、北は船伏山と名のある山に囲まれ、私都谷、若桜谷、大江谷、西郷谷とほとんど見渡せる。全く最高の地です」
確かに万代寺遺跡付近に立つと、特徴のある山に囲まれ、八上郡の主要部である国中平野が見渡せる絶好の場所にあります。特に、近くに山があるのが重要です。
写真は、河原城から眺めた国中平野です。左に霊石山の一部が見え、その背後には隠れて見えませんが船伏山があります。中央奥に小さく見えるのが猫山です。手前には千代川が流れています。
元明天皇の平城京遷都の詔(708年)に「平城の地、四禽(しきん)図に叶い、三山鎮めをなす」とあります。国を治めるには、首都を自然の理にかなった場所に置くことが肝要、と考えたわけです。鎮めをなす三山とは平城京の場合、北の奈良山丘陵、東の御笠山、西の生駒山などいろんな見方があります。
八上郡衙の場合も、平城京と同じ思想で建設されたと考えられます。どの山が鎮めをなす三山に当たるのでしょう。実際に現地に立って見渡すと、想像力をさまざまに刺激されます。(学)