謎の万代寺遺跡16
「風水」という言葉が使用されたのは12世紀ごろだそうですが、それ以前にも風水と同じ考えは日本に伝わっていました。それを証明するのが、高松塚古墳やキトラ古墳(7世紀末―8世紀初め)に描かれた四神図(北に玄武、南に朱雀、東に青竜、西に白虎)です。
風水では、天地のエネルギーは北から起こって南に流れるとされ、北にある玄武の山は、大きければ大きいほど強いエネルギーがわくといいます。このエネルギーが風などで散らないようにするために、東西(左右)が山で囲まれた土地を選び、都や古墳などが建設されます。
写真は、万代寺遺跡(八上郡衙跡。8世紀前半から9世紀前半)付近から北方の山を撮ったものです。霊石山にまでつながる山並みは、玄武の山とするにふさわしい大きさです。この付近の山は古墳の密集地でもあり、古くから信仰の対象になっていたことをうかがわせます。北と東西に山がそびえ、南に平野が開ける場所に八上郡衙が建設されたのは、北から起こったエネルギーを平野部に流し込み、八上郡の繁栄を願ったためではないでしょうか。
万代寺遺跡を研究するには、その周囲の地理的条件を考慮することも必要です。その上で、なぜ、ここに、こんな大規模な郡衙が置かれたのかを考えることは、因幡の古代史を解明する重要なポイントになると考えています。(学)