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2008年08月25日

国別メダル数

 北京五輪が終わり、寂しい思いをしています。正直言って「おもしろかった」というのが率直な感想です。悲喜こもごもの日本選手はもちろん、ボルトやフェルプスの超人的な活躍が五輪を盛り上げました。鳥取県からも男子バレーボールの山本隆弘選手、自転車女子の和田見里美選手が出場し、本紙では二人を紹介する企画を連載し、現地からの家族、関係者の声を取材しました。男子バレーボールは予選で全敗、和田見選手も転倒棄権と残念な結果に終わりましたが、その健闘はたたえたいと思います。
 中国が金メダルをはじめ国別メダル数を誇っています。もちろん日本選手のメダル獲得を熱望はしていましたが、終わってみれば、「メダルが少ない」「多い」などと目くじらをたてることでもないでしょう。
 筆者がなぜか感動した場面ベスト3です。
①ソフトボールの表彰式後、日米豪の3チームの選手たちが2016年五輪での競技復活をともにアピールした場面
②男子マラソンで、最下位でゴールした日本の佐藤選手が観客席に礼をした場面
③射撃でお母さん選手を応援する女の子
 皆さんの感動場面は? (M)

2008年08月20日

江夏を見た球場

 米子市が明らかにした「米子城跡整備計画基本構想」の原案によると、市営湊山球場が取り壊される可能性があるとのこと。
 湊山球場がかつて担っていた「甲子園予選」開催などの役割は、すっかり米子市民球場に取って代わられていますが、仮になくなってしまうとしたら個人的には寂しい気もします。
 小学生のころ、オープン戦で米子入りした南海ホークス時代の江夏豊の速球を見たのはこの球場でした。小さな球場で、豪腕がうなっていました。高校野球の名勝負も数々あり、球場近くを通るたび懐かしさを感じます。
 整備計画をめぐっては今後、市民を巻き込んでさまざまな議論があるのでしょう。その推移を見守ろうと思います。私のような「湊山ノスタルジー派」も声を上げるかもしれません。(圭)

 

2008年08月18日

サンダーボルト

 まさに脳天に雷(サンダーボルト)が落ちたような衝撃的な走りでした。16日夜の男子百メートル決勝。ジャマイカのウサイン・ボルト選手が過去の金メダリストとも次元の違う強さを見せつけました。
 昨年夏の大阪陸上の際、鳥取市で事前キャンプしたジャマイカ選手団。アサファ・パウエル選手やベロニカ・キャンベル選手の陰で地味な印象しかなかったボルト選手が、この1年で一気にスーパースターに上り詰めました。二百メートルでは、あのマイケル・ジョンソンの大記録をぜひ破ってほしいですね。
 陸上短距離に出場しているジャマイカの選手のほとんどが鳥取でキャンプを行いました。当時、名前も知らなかった選手たちが北京で世界のトップクラスの走りを見せています。キャンプで指導を受けた鳥取の子どもたちがジャマイカ選手の活躍に刺激されて、将来の五輪選手に育ってほしいと願っています。(M)

2008年08月13日

つなぐ記憶

 幼少のころ、今は亡き祖父と一緒に風呂に入っていて、左足の太ももに穴のような傷跡が残っているのに気づきました。それはそのまま「大戦の傷跡」でした。戦争の悲惨について、じかに聞くことができたのは、今思えば貴重な体験でした。
 明日の紙面から、「つなぐ記憶―63年目の証言」を連載します。大戦経験者が少なくなる中、記者が3人の語り部の体験を記します。後世へつなぎたい、つなぐべき記憶。ぜひ、子どもさんと一緒にお読みください。(圭)

2008年08月11日

父の仕事

 北京五輪で日本の金メダル第一号となった柔道の内柴正人選手。優勝コメントは「やっちゃいました。これが僕の仕事」。妻と子どもを北京に連れていくために、苦難を乗り越え、最後は鮮やかな一本勝ち。不振や挫折を乗り越える原動力は、「強い父」を家族に見せることでした。同じ父親として、泣かせますね。
 日本勢の序盤は今ひとつ。でも、内柴選手のオヤジパワーが必ずや日本選手団を奮い立たせると信じています。(M)
 

2008年08月08日

五輪の思い出

 中国の威信をかけた北京五輪がいよいよ今夜開幕します。中国国内でのテロ攻撃の予告もあり、まずは無事に五輪が終了することを願うばかりです。
 さて、日本勢の成績はどうでしょうか。筆者の金予想は水泳で3個(北島2個プラス1)、柔道で4個、レスリング女子で2個、陸上で1個(女子マラソン)、体操で1個、野球で1個の計12個。少し甘いかも。メダルは計32個。皆さんも予想してみてはいかがでしょう。
 鳥取県出身の男子バレーボール、山本隆弘選手と自転車の和田見里美選手の健闘も祈りたいと思います。メダルは難しいかもしれませんが、最高のパフォーマンスを期待しています。
 皆さんの五輪の思い出はどの大会ですか。またどの選手ですか。筆者はやはり、1992年バルセロナ五輪での男子マラソン、森下広一選手です。惜しくも銀メダルに終わりましたが、深夜に家族そろって応援したことを思い出します。もう一つは1972年、ミュンヘン五輪でのイスラエル選手団襲撃事件です。子ども心に「スポーツの祭典なのに」と衝撃を受けました。北京五輪が二の舞にならないことを祈っています。(M)

2008年08月07日

また一人、昭和の顔が…

 昨年の植木等さんに続いて、昭和を彩ったギャグの神様、赤塚不二夫さんが死去し、きょう7日告別式が行われました。筆者の世代は「おそ松くん」。イヤミの「シェー」のポーズを1日1回はしたものでした。バカボンのパパやニャロメ、レレレのおじさんなど愛すべきユニークなキャラクター。植木等さんとともにその旺盛なサービス精神は日本人を元気づけたのではないでしょうか。
 最近の少年漫画は見ていませんが、赤塚ワールドを超えるギャグはこれからも出てこないと思います。少年時代のスターが次々と亡くなり、昭和30年代、40年代が遠くなっていきます。(M)

2008年08月06日

ヒロシマナガサキ

 東京に勤務していたちょうど一年前、日系三世の映画監督スティーブン・オカザキ氏のドキュメンタリー作品『ヒロシマナガサキ』を見ました。広島、長崎の被爆者14人が、原爆が投下された日の惨状とその後の歩みを証言します。
 筆者が「広島―原爆」を認識したのは、小学生のころに読んだ中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』でした。核兵器の恐ろしさが強烈に刻み込まれ、ページをめくりながら子ども心に強い憤りを感じたものです。それは今でも、自分の中のどこかに生きているような気がします。
 原爆で父、姉、弟を亡くした中沢さんも14人の証言者の一人として映画に登場します。「玄関の敷居に挟まれた弟の『お母ちゃん、熱いよー熱いよー』という声がもろに聞こえてくる。お母ちゃんも『みんなと一緒に死ぬ』と言ってね…」
 映画は冒頭、原宿で戯れる若者へのインタビューで始まります。「8月6日を知っているか」との問い掛けに、まったく分からない少女たち。
 映画館には年配者が多かったのですが、小さな子どもを連れた若い夫婦の姿を何組か見ました。子どもたちが記憶に宿したものはきっと大きかったでしょう。
 「あの日」を二度と繰り返さないために、どんな形であれ、「あの日」のことを知っておくことの大切さを思います。(圭)

ふくた首相

 鳥取市独特でしょうか、なぜか苗字の濁音を清音に読むのです。例えば、小谷さんはこたにさん、尾崎さんはおさきさん、野坂さんはのさかさん。鳥取に転勤したばかりですが、苗字の清音を聞くと「あれれ」と思ってしまうのです。有名人もそうです。尾崎放哉も「おさき・ほうさい」ですね。
 ここしばらく、メディアの関心は改造内閣です。記者がその話題に言及するたび、社内では福田首相の読み方が二通りあるのです。鳥取出身の社員は「ふくた」、それ以外の出身者は「ふくだ」です。内閣改造前が「ふくだ」で改造後は「ふくた」だ、などの冗談も飛び交うほどです。もちろんテレビでは濁音で読むことは承知していますが、面白いものです。(閑)

ソルジェニーツィン

 ロシアのノーベル賞作家、ソルジェニーツィン氏が死去しました。代表作「イワン・デニーソヴィチの一日」を初めて読んだのが高校3年の時。反体制を貫いた闘いに共感し、「ガン病棟」や「収容所群島」などを読破し、ロシア文学に親しむきっかけともなりました。
 ソ連崩壊後の同氏の言動も注目しましたが、民族主義的な発言に対して、青春時代から抱いていたソルジェニーツィン像が揺らぎ、最近はその存在さえ忘れてしまっていました。
 書店にソルジェニーツィン氏の書籍は少なく、自宅の本棚にも見当たらず。もう一度若き日に返り、「イワン・デニーソヴィチの一日」を読んでみようかと思っています。記者になったのは、もしかしたらソルジェニーツィン氏の影響が大きかったのかもしれません。(M)

2008年08月04日

8月6日

 広島に原爆が投下された8月6日が近づいてきました。今年は旧陸軍の原爆研究開発計画がクローズアップされ、戦時下に理化学研究所の仁科芳雄グループが原爆研究を進めていた事実がテレビや新聞で盛んに報道されています。原爆投下から63年目にして、なぜ日本の原爆研究が注目されるのか、じっくり考えてみたいと思います。
 6日に続いて9日は長崎原爆の日。そして15日は終戦記念日。筆者は戦後生まれですが、両親やおじ、おばなどから戦争の話はしっかりと聞いています。私たちの世代は親の戦争体験を子どもたちに語り継いでいく義務があると思います(M)

2008年08月01日

ゲリラ雷雨と川

 『大地の川』(草思社、関正和著)という本を読んで、感激した覚えがあります。再びひもとくと1994年刊ですから、もう14年も前です。建設省(当時)勤務の筆者は「多自然型の川づくり」を唱え、自然豊かな川の再生を主張していました。その当時、行政に頼るのではなく住民自らが住む地域を活性化しようという「まちづくり」のムーブメントが全国で盛り上がっており、昔ながらの川を取り戻す「多自然型の川づくり」はまちづくりの一環として注目を集めました。それまでの川づくりは国民の生命・財産を守るという観点から、コンクリートで固めるものでした。しかも、河川の氾濫で犠牲者を出したくないという強い思いに基づき、猛スピードで実施されました。その結果、台風が上陸しても、犠牲者の数は減りましたが、日本の川は味気ないものになったのです。川と人の間には互いを拒絶するようにコンクリートや堤防がそびえました。『大地の川』はそうした猛スピードでの整備が一息ついた節目に上梓されたのです。
 その後、この本に書かれたように川と人は再びふれあうようになりました。「親水」です。しかし、近年のゲリラ的雷雨は近づいた川と人の間を再び引き離そうとしています。神戸では子供たちが犠牲になる不幸な災害が発生しました。鳥取県内でも親水公園をチェックするそうです。とはいえ、せっかく歩み始めた道を引き返すのはどうでしょうか。著者の関さんは病魔に冒され、この本を遺書のように書いたそうです。そして、彼はなくなりました。近年、頻発するゲリラ的雷雨の被害。関さんの遺志を受け継いでわれわれも新たな川のあり方を考える時が来ているのです。(理)