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平井知事の2年

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 鳥取県の平井伸治知事が13日、1期目の折り返しを迎えました。あっという間の2年だったな、というのが率直な感想です。
 06年のクリスマス、ニューヨークにいた平井さんのもとに、突然鳥取県内の経済人らから電話やメールが相次ぎました。「片山知事が辞めた。選挙に出てくれ」と。平井さんはその時、休みを利用してニューヨークに来ていた息子たちのために、ハンバーグを作っていたそうです。
 そこからは、すんなりとはいきませんでしたが、「惜福」。鳥取県を離れるに当たって、福を残して旅立たれたのか、民間や県民が退路を断った平井さんを支えました。
 知事就任後は、突っ走りました。待つのではなく、県民の中に入っていきました、マニフェストで約束した通り。休日もイベントなどに積極的に顔を出し、県民と触れ合う。新しい知事の姿でもありました。休みのない日々で体調を壊したこともありましたが、それでも求められれば出ていく平井さんに県行政トップとしての覚悟を感じました。
 一方、平井県政の船出は、想像以上に波が高かったように思います。〝負の遺産〟となっていた米子ソウル便の搭乗率と韓国江原道との交流再開問題、長引く経済不況と有効求人倍率の低下、地場企業を取り巻く環境の厳しさなど、頭の痛い問題が重くのしかかりました。しかし、その一つ一つの課題に一生懸命に取り組む姿勢に共感する県民も多かったと思います。
 直面する課題の解決、その一方で県のトップには、将来にわたってこの地域が成り立つようにしていく責務があります。「手をこまねいていてはいけない」と、次世代のための積極果敢な挑戦。その一つが定期貨客船という夢の航路への「投資」でした。なかなか見えない具体像に「危うさ」を指摘する声もありましたが、政治生命をかけていたと思います。
 平井さんは人当たりの良さなどがよく言われますが、芯の強い人でもあります。また「優等生」でもあるだけに、非常に責任感が強い。それだけに、この2年間は苦悩の連続ではなかったかと思います。頭の中に県民のためにこうしたいという思いがあり、それが強いだけに、そうならない、なっていないことへのもどかしさがあったと思います。
 それでも、体にムチを打って頑張る。その源となっているのは、やはり県民が豊かにならねばならないということ。選挙戦で言った「改革の果実を県民のものにしたい」との思いであり、鳥取県では最も難しい「経済の活性化」をテーマにしたのもそのためです。
 よく片山前知事との比較が言われますが、本人が言うよう〝芸風〟も違いますし、たぶん平井さんが思うよりも県民の意識は飛び越してしまっていると思います。
 では、残りの2年間で何をするか、何ができるのか。リーダーには結果が求められます。そのことは平井さん自身がよく分かっていることです。奇をてらうことなく、これまで通りまじめに一歩一歩取り組んでいく、そこに結果がついていく。それこそが平井知事であり、県民とともに歩む平井県政だと思います。(鵜)

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