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造る側の論理

 1989年の大型連休。完成して数年後の瀬戸大橋を走って驚いたことがあります。高速道路なのに多くのドライバーが車を止め、写真を撮っていたからです。今では信じられない話ですが、家族連れが橋の上で「はい、チーズ」とやっていました。夜はもっとすごいのです。橋げたがライトアップされ、だれもがフラッシュをたいたり、三脚で写真を撮っていました。その年の冬、県内で最初の高速道<米子自動車道>が米子―江府で開通しました。このときも人々が平気で道路脇に停車して記念写真を撮っていました。米子自動車道は大山を仰ぐ絶好のビューポイントでしたので、誰もがシャッターを切ったのです。当時、地方の高速道はそんなのんびりしたものでした。
 きょう23日の<話題を追って>を読んで当時を思い出しました。あれから20年たちましたが、鳥取県のドライバーは高速道が少なく慣れていません。そこに持ってきて構造が複雑となれば騒ぎが起きるのは当然です。慣れていないのだから、告知徹底や分かりやすい動線で設計するのは当たり前でしょう。使う側ではなく、造る側の論理でのサービス提供という悪癖から脱しきれていない気がするのですが。(理)

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