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2009年05月29日

転ばぬ先のつえ

 今年の健康診断は思い切って、「辛い」と評判の胃カメラを飲むことにしました。兵庫・養父市の公立八鹿病院で、開腹せず早期胃がんを切除する内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)の臨床現場を取材した時、医療関係者に強く勧められたからです。
 同病院は一年半前から、最新の早期胃がん治療といわれるESDに力を入れており、四月現在、八十近い症例があります。治癒切除の確率も高いようで、早期がんなら完治が期待できると理解しました。それには早期発見が絶対条件なのです。
 初めて胃がん検診を受けた去年は、バリウムを飲みました。バリウムと胃カメラ、どちらの検査にも長短があるようなので、今年は意を決して胃カメラに挑戦するわけですが、このブログを書きながら、ふと、思ったことがあります。
 早期発見は不幸中の幸い。でも、がんにならないための日ごろの用心はもっと必要です。まずは禁煙です。(雲)

議員社会と議長のいす

 鳥取県議会で、県議会自民党と自民党クラブの合流話と役員人事、正副議長候補選びが大詰めを迎えています。両会派が合併すれば所属議員17人の最大会派が誕生、よって正副議長候補になれば必然的に選挙で新しい正副議長となります。それだけに所属議員は人選に力が入ります。
 なぜ、こんなことに血まなこになるのか。世間からすると、この議員社会の人たちは理解しにくいと思います。まあ、市町村議会もそうですが、議員となったからには議長のいすに座りたい、それが〝男子の本懐〟なのかも。特に県議会は期歴社会ですから、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、チャンスが来るのを待ち続ける。大変な世界でもあります。
 数は力。議長選や人事前には、多数派工作や水面下の駆け引きが繰り広げられます。これに独特の人間関係がスパイスとなって、なんともいえぬ攻防戦です。よく議員から「人事は最後の1日」と聞きますが、〝どんでん返し〟も潜んでいます。かつて担当した市議会では、多数派を取るために反目していた相手を取り込んだケースも。こうなれば〝寝業師〟の世界、ここまでなるにはかなり議員社会にもまれなければなりません。
 かつてはどの議会にも仕切るような大物議員がいましたが、いまは大物不在の時代。また携帯電話という便利なものができて議員が「足跡」を残さなくなり、こうした取材も大変になりました。しかし、このドロドロした世界を知ることも、記者にとっては勉強です。きょうは両会派の総会が開かれます。報道通りの人事か、どんでん返しが待っているのか。記者にも緊張感が走ります。(鵜)

2009年05月28日

フランス絵画の19世紀展

 「美をめぐる100年のドラマ」のサブタイトルが、すべてを物語っていました。松江市の島根県立美術館で開かれている、開館10周年記念展「フランス絵画の19世紀」を見てきました。特定の画家の作品展と違って、才能ある画家たちが対立や影響し合いながら、さまざまな絵画の流れをつくってきたことがよく分かりました。
 去年9月、県立美術館の担当者から取材して書いた予告記事を要約しておきます。
 「記念展では、世界最先端にあった19世紀のフランス絵画を、ギリシャ、ローマを源に美の規範を描くアカデミスムと、印象派をはじめとするモダニスムの流れを対比させながら、包括的に紹介する」
 会場では、ギリシャ・ローマ神話を題材にするなど、理想的な美を追求した、アカデミスム絵画の大作に圧倒されます。一方、こうした伝統を引き継ぐ絵画の流れに対し、ロマン主義のドラクロワ(1830年のフランス7月革命を題材にした「民衆を導く自由の女神」がおなじみ)、レアリスムのクールベ、ミレー、印象派のモネ、ルノワール、シスレーといった革新的なモダニスムの画家の秀作も多数展示されています。
 個人的には、印象派などの陰に隠れてこれまで名前を知らなかったブグロー、アングルなどのアカデミスム絵画に予想以上に引かれました。
 最高峰にあったフランス絵画の100年間のエッセンスに触れ、いろんなジャンルの絵に目移りし、自分の好みが分かる絵画展。31日まで開かれています。(酒)

2009年05月26日

元山はいま

 韓国の盧武鉉前大統領の自殺に驚いたのもつかの間、今度は北朝鮮が地下核実験を実施したというニュース。憤りとともに、いまだ冷戦が終わっていない朝鮮半島の不安定さをあらためて思い知らされます。
 北朝鮮は核実験に合わせて、江原道の元山付近からミサイルを発射させたとも伝えられています。万景峰号の寄港地で知られる元山は境港とも縁のある地ですので、複雑な思いです。
 境港市が、1992年に元山市と友好都市提携を締結した直後に現地を訪れたことがあります。まだ金日成体制で、現地では境港市が送ったマイクロバスの友好号が走っていました。世が世なら良港があり、近くには景勝地の金剛山があるいい都市なのですが。
 2006年10月に境港市が元山市との友好協定を破棄したのも、北朝鮮の核実験がきっかけでした。協定締結から丸17年、国交正常化は遠のくばかり。境港の将来を見据えて、友好提携に尽力した故下西文雄議長に今、感想を聞いてみたいものです。(Q)


砂像フェス

 開幕以来の入場者は、当初の目標の20万人を軽く超え、25日には30万人を突破。祭典実行委では新たな目標として、31日までの期間中に、あと5万人の入場を目指すそうです。
 本紙でも、連日のように会場のにぎわいを紹介。記事を読んでいるだけで、何度も会場に足を運び、砂の芸術を堪能した気分です。
 うっかりすると、このまま閉幕を迎えてしまいそうですが、百聞は一見にしかず。写真や記事では分からない、本物の魅力があるはずです。残された期間はわずか。なんとか時間を見つけ、会場に足を運びたいものです。(社)

2009年05月23日

県境の壁

 大丈夫だとは思っていても、新型インフルエンザの感染者が身近な町で確認されると、やはり気になるもの。みなさんが突然マスクを着用し始めた一週間でした。
 但馬で感染者が見つかった17日からの週に、鳥取へ会議に行って驚きました。但馬では会う人の半数以上がマスクをしていたのに、鳥取でマスク姿をほとんど見かけませんでした。
県境はあっても陸続き。両地域でたくさんの人が行き交い、特に但馬北西部は同じ生活圏にあると認識していたのに、新型インフル騒ぎの温度差に県境の壁を感じました。鳥取の人のほうが冷静なのか、いや、ひょっとすると、鳥取の人は但馬の人以上に、両地域の距離を感じているのかもしれない。そんなことが、ふと頭をよぎりました。(雲)

2009年05月21日

物申す

 「政権交代が現実に起こり得る。知事会の意思を従来以上に鮮明に出すべき」と平井伸治鳥取県知事。次期衆院選挙を前に地方分権に関する「アジェンダ(協議事項)」を各政党に示して政策論争を促す案を18日の全国知事会議に提示したところ、東国原英夫宮崎県知事、橋下徹大阪府知事が〝過激〟に反応しました。
 東国原知事「知事会が要望する案に近い政党、政治家を支持することに踏み込まないと地方分権、直轄事業負担金の問題は解決しない」。
 橋下知事「自民、公明か民主かの態度表明をすることになれば(各党は)必死になり、地方分権が進む」。
 全国知事会として支持政党を決めるという両知事の主張に対して平井知事は「知事それぞれの立場があり簡単にまとまれない」と困難視しますが、地方分権についての政党マニフェスト(政権公約)を見比べる流れは生じつつあります。
 21日開かれた地方自治経営学会で、マニフェスト評価を担当する全国知事会特別委の古川康委員長(佐賀県知事)はマニフェストの早期提示を求めている現状を説明。地方分権改革推進委員会の丹羽宇一郎委員長(伊藤忠商事会長)も各党に働き掛ける意向を示し、「どれだけ取り入れるかが国民の審判(材料)になる」と語りました。
 しかし、国民の地方分権に対する関心度はいかほどでしょう。「現在の二重行政で、地方において壮大な無駄が行われている。改革しなければ日本はない」(丹羽委員長)との認識を有権者である国民に持ってもらえるかどうかが地方自治の現場の課題かもしれません。
 「『分権』と言って霞が関から権限、財源を取るのは、国民から見ると霞が関も自治体も目くそ、鼻くそ。同じように思っている」とは過激な橋下知事の言。(風)

2009年05月20日

マスクで見える自治体の姿勢

 探しました。マスクです。新型インフルエンザの発生確認が神戸・大阪にとどまっていた時期でしたが、鳥取市内の大手ドラッグストア、大型店を巡ってもありません。売り場はあるものの、肝心のマスクが煙のごとく消えているのです。最初に訪ねた店で一緒だった老夫婦と三軒目の店でばったり出会い、情報交換。話しているうちに「意外とホームセンターにあるかもしれない」とのアイデアがひらめき、足を運んだら…ありました。マスクをこんなにいとおしく感じたことはありません。残りわずかなマスクを老夫婦と喜び合いながら購入しました。
 新型インフルエンザの感染拡大に備え、自治体を脅かしているのがマスクの備蓄数です。鳥取市は備えよく何十万枚とあるようですが、その他の自治体は不安のようです。数千枚の市もあれば、数万枚の町もあるという状況で、自治体の危機管理意識がマスクの枚数に象徴的に表れているのではないでしょうか。災害は忘れたころにやってくる、です。マスクを教訓に再度、万が一の備えを全自治体、企業、家庭で点検してほしいものです。(理)
 

2009年05月19日

「惜福」「分福」「植福」

090519.jpg JR倉吉駅前のすし店に今月、新たに「植福」の色紙が掲げられました。書いたのは平井伸治知事。この店には知事の「惜福」の色紙も飾られています。「惜福」は明治の文豪、幸田露伴の「努力論」(岩波文庫)の中に出てきます。自らに与えられた福を使い尽くしてしまわず天に預けておく。鳥取県の副知事だった平井さんはこの店で仲間の前で「惜福」と書き、鳥取県を離れました。
 それから数年後、ニューヨークにいた平井さんに民間から知事に出てほしいとの声が届きました。「鳥取県に帰ってきてほしい」とのラブコールです。鳥取県に福を残して旅立った平井さんは、再び福にめぐり合いました。福が戻ってきたのは、鳥取県のために一生懸命に汗を流していたことを仲間は分かっていたからです。
 その平井知事が1期目を折り返しました。前半戦は県民の中に入り続けた2年間でした。そして何とかこの鳥取県を浮上させようと、もがいてきました。それはなぜか。選挙戦で県民と約束したことを守るためです。改革の果実を県民の豊かさに結び付けるという。
 「植福」とは、将来にわたって幸福であるよう、今から種をまいておくこと。未来への種まきです。折り返しの今、平井さんは自らに言い聞かすように「植福」と書きました。厳しい経済情勢の中、どんなに一生懸命にやっても、なかなか結果が出ない、それどころか難題が次々に襲いかかる。もどかしさがあります。それでも県民のため、県の未来のために厳しい今こそ、着実に種をまきたい。その一つが韓国、ロシアを結ぶ定期貨客船の就航なのかもしれません。
 幸田露伴はもう一つ「分福」といっています。幸福を分け与えることです。まいた種が開花し、県民が幸福を、豊かさを感じる日が来てほしい。そのときは、このすし店に3枚目の色紙が飾られます。(鵜)
 

2009年05月18日

鳥取市にギャラリーがなぜ多い?

 鳥取市の若桜街道を歩いていると、いろいろなギャラリーが軒を並べています。多彩な展示が行われており、ついのぞいてみたくなります。まさにギャラリー通りといっていいように整備されてきました。これに対して、米子市にはギャラリーと名のつく場所が数カ所しかないそうです。同じ県内でありながら、この違いはなぜでしょう。
 識者の一人は「公立美術館の公開度の違いだよ」と指摘します。つまり、鳥取市にある県立博物館では民間のグループ展などがほとんど開かれていません。このためギャラリーで展示するしかないのです。これに対し、米子市にある米子市美術館は個人による短期の展示会にも貸し出しているので、ギャラリーの整備される土壌ができにくいというのです。
 なるほど。これまで鳥取が米子よりも芸術活動が盛んだからだと思っていましたが、そんな単純な問題ではないようです。(い)

2009年05月14日

インフルと国際交流

 連日報じられている新型インフルエンザ。その関連ニュースで懐かしい出来事を見つけました。智頭農林高校がカナダの高校と20年来取り組んでいる交流をことしは延期するとのニュースです。
 平成元年、智頭町の最深部でログハウス群を建てるイベントが企画されました。過疎の村(今で言う限界集落でしょうか)に、にぎわいの拠点となるログハウス村を設け、交流人口を増やすとともに、地域住民の意識を活性化しようという鳥取大学教授や地元住民団体の試みでした。プロに依頼するのではなく県内外から参加者を募り、労働力を提供すれば一定回数は無料で宿泊できるというイベントです。そして、ログハウス建築の講師としてカナダから一人の女性が招かれました。それがカナダ・オンタリオ州の高校で体育教師をしているジュディ・アップさんでした。
 イベントで困ったのは指導役のログビルダーでした。住民団体は、参加者とともに建築の過程を楽しむようなログビルダーが招へいできないものかと企画しました。その意を受けて鳥大教授は知り合いのカナダの大学の教授に紹介を依頼していましたが、彼が紹介してくれたのがジュディさんだったのです。
 当時、ジュディさんは身内に不幸があり、寂しさを紛らわそうと一人でログハウスを造ったのですが、それを教え子の新聞記者が報道したことがありました。その記事を見てカナダの教授がジュディさんを紹介したのです。
 ジュディさんは2カ月間、智頭町に滞在し、ログハウスを建築しながら地元の人々と親しく交流。見る見る明るくなったといいます。住民の優しさが肉親を失って傷ついたジュディさんの心を癒やしたのでした。帰国後、ジュディさんは講演などを通じてすばらしかった智頭の出来事を広め始めました。ふさぎがちだったジュディを立ち直らせた智頭とはどんな町なのだろう。智頭への関心が高まっていきました。
 そのころ、住民団体はログハウスイベントに続き、地元の若者の育成事業を計画していました。高校生の留学事業です。留学先として白羽の矢を立てたのが、ジュディさんの勤める高校でした。打診を受けたカナダ側に異存があろうはずがありません。ジュディさんが立ち直ったすばらしい町なのですから。当初は非公式な交換留学生でしたが、やがて正式な制度になり、学校同士の交流に育っていきました。カナダの高校は平成10年に鳥取県で開かれた全国高校総合文化祭にも参加し、成功に貢献しました。
 それから10年を積み重ね、両校の交流は20年を迎えました。始めた当初、誰が20年も続く交流になると想像したでしょうか。残念ながらことしは延期となりましたが、来年以降も新たな交流の歴史を刻んでほしいと願っています。(閑)

〝一石三鳥〟の伯州綿

 明治時代に一大産地として全国に名をはせた弓浜半島の「伯州綿」。境港市でこの特産の復活プロジェクトが進行中です。市の農業公社が昨年度、同市中野町の遊休農地4アールで試験栽培した結果、約60キロの綿を収穫し、茨城県のふとん屋に販売。「弾力性や保温性があってふとん綿に最高」との評価を得たそうです。
 本年度からは3年間、国のふるさと雇用再生事業を活用して5人を雇用。1000キロの収穫を目標に栽培面積を1ヘクタールに拡大し、産地の復活を目指します。33人の応募者の中から5、60代の男性5人が5月1日付で採用され、来週には伯州綿の種まきが行われます。
 販路開拓にも力を入れ、無農薬有機栽培の国産オーガニックコットンとして、紡績した糸を子供服やジーンズなどのメーカーにも売り込む予定です。伯州綿は繊維が短く、紡績機で糸にしにくいのが難点で、公社の職員が課題克服に知恵を絞っています。
 遊休農地の有効活用と雇用の創出、特産の復活という〝一石三鳥〟の取り組みに注目しています。(酒)

三朝のジンショの表記は

 GWの4日、三朝町伝統の大綱引き「三朝のジンショ」が三朝温泉花湯まつりのメーンイベントとして行われました。今年は3月に国の重要無形民俗文化財に指定されたこともあって、関係者によると「例年以上の人出」ということでした。13日付の本紙の入り込み客数まとめでも、前年より500人増となっています。
 大綱を編み上げる前日の「綱からみ」から見ましたが、綱の材料はすべてフジカズラ。これを地区民総出で長さ八十㍍、胴回り1・5㍍、重さ約2㌧にもなる大綱を2本、東と西(雌雄)に分かれて編み上げるのですが、その見事なこと。堅くならないよう、採ってから2週間ほど三徳川に漬けていたそうですが、それでもけっこう堅くて太いカズラをきれいに綱として編み上げていく様には感心しました。
 ところで、「ジンショ」という表記ですが、昨年までは「陣所」の文字が広く使われていました。しかし、今年からは「ジンショ」とカタカナに。なぜ?と思い、三朝町の担当記者に調べてもらったところ、実は、ジンショの表記にはこれまで、陣所のほか、「神所」「神緒」、ひらがなで「じんしょう」「じんしょ」などがあったそうです。それぞれ語源の意味は微妙に違ったり、当て字という説もあったり…。そこで、民俗文化の伝承に当たっては根拠、出典がはっきりしない場合はカタカナ表記するのが通例、ということで、国の重要無形民俗文化財に指定されたことを機に、「ジンショ」とカタカナ表記で統一されたそうです。
 ちなみに、今年は東が圧勝。昨年に続いて“豊作”が約束されました。(虎)

2009年05月13日

森山堤防潮通し

 干拓事業が中止された中海・旧本庄工区の森山堤防で、開削工事の総仕上げとなる鋼矢板の引き抜き作業が行われ、境水道から同工区への潮通しが徐々に始まっています。起重機船のクレーンが、幅40㌢、長さ10㍍以上の鋼矢板をゆっくりと吊り上げている様子は、中海の自然再生の幕開けを告げるようです。
 干拓のために築かれた同堤防は長さ3・1㌔。うち開削幅はわずか約60㍍。堤防開削は本来、干拓工事で遮られてしまった境水道から本庄水域を経て中海湖心へとめぐる反時計回りの潮の流れを復活させ、中海の水質改善を図ることが目的でしたので、今回の小規模開削への評価については意見が分かれるところですが、少なくとも本庄水域への効果は期待されています。
 潮通しによって、漁業環境の改善へ期待が高まりますが、中海にはかつて赤貝紛争の歴史がありました。地道な調査研究、資源保護の取り組みとしばしの辛抱が必要のようです。(Q)

2009年05月12日

鉄道ファン

 大学3年の春、ゼミに入りましたが、誰も知り合いはいません。歓迎会でぽつねんとしていると、1人の先輩が話しかけてきました。「君の出身は」「鳥取県の米子市です」。するとその先輩は米子駅周辺の駅名を並べ始めたのです。米子、伯耆大山、淀江、大山口、名和、御来屋…。思わず手をたたいて「すごいですね」。先輩は誇らしげに言いました。「全国の駅名を覚えているんだ」。もうお分かりでしょう、この先輩は鉄道ファンだったのです。夢は「全国の鉄道駅を鈍行列車で走破すること」。鉄道ファンではなかったので夢は共有しませんでしたが、なぜかうまが合い、親しく付き合うようになりました。
 その年の夏休み、ゼミ合宿で岡山、広島を一緒に旅したときのことです。合宿の最終日、先輩は朝早く起きて友人と午前中いなくなりました。どこへ行ったかなあ…と思っていると、昼ごろひょっこり。「どうしたのですか」「ついに、呉線に乗った」。全国制覇に励んでいたのでした。念願を果たし、満足そうな笑顔です。帰路の電車では、一緒に行った鉄道ファンの友人と呉線の感想を話し合っていました。
 その先輩の姿を見たのはそれが最後でした。ゼミ合宿後、実家がある滋賀県に帰郷。琵琶湖で遊泳中におぼれ、帰らぬ人となったのでした。訃報を知ったのは、夏休みが終わってからでした。
 いまは「鉄、てつ、テツ」などと呼ばれていますが、鉄道ファンという言葉を聞くと、呉線を制覇した時の先輩の笑顔を思い出し、じーんとなります。日本海新聞の会員制組織「日本海クラブうさみみ」HP内に、鉄道ブログが誕生しました。日本海新聞の鉄道ファンが熱い思いを語っています。先輩が生きていたなら連載してもらうのに、と思いました。皆さんも読んでみてください。アドレスはhttp://www.nnn.co.jp/mt/usatetsu/(理)

2009年05月08日

球児に学ぶ

 GWに開催した北但西部地区少年野球大会、今年もいろんなドラマがありました。真っ向勝負の直球を痛打され、マウンドで涙をぬぐう投手。彼の悔しさが痛いほど伝わってきます。泣けるほど悔しいと感じたことはいつ以来でしょう? 忘れかけていた大切なものを思い出させてくれたワンシーンでした。
 香住―佐津の決勝戦は圧巻でした。5回裏まで3―0で香住がリード。今大会の両チームの戦いぶりから「もう決まった」と勝手に思い込んでいましたが、逆転劇はそこから始まりました。「絶対勝ちたい」という気持ち、あきらめない気持ちは、何をするにも忘れてはいけません。子どもたちから学ぶことはたくさんあると、あらためて教えられました。佐津シャークスの皆さん、初優勝おめでとう。(雲)

2009年05月07日

サービスエリア

 大型連休を利用して家族で九州に行きました。さすがは「高速千円」です。激しい渋滞でした。
 昨年、東京から友人夫婦が来て、高速道路の話になりました。友人夫婦いわく、道路公団の民営化以降、都会の高速道SA(サービスエリア)は魅力度競争に拍車がかかっているそうです。ドライバーに休憩や給油サービスを提供するSAから、「もうけるSA」に変わったからです。売店と食堂、ガソリンスタンドという三点セットに加え、消費を誘引するさまざまな工夫が凝らされており、夫婦はSA巡りをマイブームにしていました。
 当然、経営資金は限られていますから、都市部のSAが充実すれば地方高速道のSAは衰退していきます。SAの「選択と集中」が始まっているのですね。今回の九州往復で気になったのは、この市場原理導入によるSAの内容の濃淡でした。岡山、島根、広島の中国縦貫道SAはガソリンスタンドを閉鎖するなど経費削減による衰退が目立ち、売店も楽しいものではありませんでした。半面、九州道に入ると福岡近郊のSAは数年前よりも格段に充実していました。PAをSA並みの機能に拡充するところもあり、それこそ巡っていて楽しいものでした。
 民間企業としてこの「選択と集中」は正しい取り組みです。都市と地方の格差が広がっても、民営化された以上、われわれが不満を抱くのは感情でしかありません。ましてや公営時代の無駄を復活させてはなりません。ただ、うまくいかないものだとつくづく思います。地方にとって国営サービスの民営化は必ずしもバラ色一色ではないのです。SAを通して地方に住む悲哀を実感したドライブでした。(閑)

境港の七不思議

先日、境港市に住む知人のお父さんが亡くなりました。葬儀には出席できませんでしたが、出席する人に頼んで香典を出してもらったところ、お返しにもらったのが、そう、森永のキャラメル! そういう風習があることは知っていましたが、もらったのは初めてでした。
 おおむね80歳以上の長寿で亡くなったときに会葬者に配られるそうで、他の地域には見られないことから「境港の七不思議(?)」の筆頭にも挙げられます。取材してみましたが、なぜキャラメルなのか、なぜ森永なのかは正確なところまでは分かりませんでしたが、大往生を皆で祝おうということのようです。
 境港にはこのほか、うるう年には墓を建てたり直したりしない、カレー粉などを果物の盛りかごのように仕立ててお供えにする-などといった他では見られない葬儀にまつわる風習があるようです。これらについても追って真相を突き止めたいと思います。 (倉)

2009年05月03日

ロックスター逝く

 忌野清志郎さんが亡くなりました。無念。
音楽はジャンルやアーティストの世代にかかわらず聴きますが、ひと回りか、もう少し上の世代のスターへの憧憬はなぜか特別です。気骨とかしぶとさとか渋みのようなもの。仕事でもそうですが、引っ張られたり勇気づけられたりする「兄貴分」の存在を、誰もがどこかに求めているような気もします。
 清志郎さんが組んでいたバンド「RCサクセション」の曲を、高校時代の文化祭で同級生が披露し、会場が熱狂したのを思い出します。今でも同年代あこがれのロッカーの一人でしょう。ラブソングも社会のありようを問い掛ける歌もメッセージの力にあふれています。
 調べてみると、清志郎さんは2005年の夏に米子市公会堂でコンサートを開き、SC鳥取(現・ガイナーレ鳥取)のユニホームを着て「がんばれSC!」とシャウトしたとのこと。映画「妖怪大戦争」に出演、主題歌も手掛けるなどわがふるさととの縁もありました。
 ステージで躍動する姿、ライブを一度は見てみたかった…合掌。(圭)

2009年05月02日

横浜に眠る御小人

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 「因州」と刻まれた墓碑が横浜の本牧にあります。
 1853年のペリー来航で、因州こと鳥取藩は本牧警備を担当。墓碑は、役所の走り使いをする身分だった「御小人(おこびと)」を供養した塔です。
 出兵地で亡くなった事情は定かではありませんが、供養塔は幕末の動乱の一端を物語ります。横浜ではこの大型連休に合わせて開港150周年イベントが始まりました。海外の貨客船が出入りする現代の港は、御小人の目にどのように映っているのでしょうか。
 海風の吹く墓地に、御小人の供養塔はひっそりと建っています。(風)