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インフルと国際交流

 連日報じられている新型インフルエンザ。その関連ニュースで懐かしい出来事を見つけました。智頭農林高校がカナダの高校と20年来取り組んでいる交流をことしは延期するとのニュースです。
 平成元年、智頭町の最深部でログハウス群を建てるイベントが企画されました。過疎の村(今で言う限界集落でしょうか)に、にぎわいの拠点となるログハウス村を設け、交流人口を増やすとともに、地域住民の意識を活性化しようという鳥取大学教授や地元住民団体の試みでした。プロに依頼するのではなく県内外から参加者を募り、労働力を提供すれば一定回数は無料で宿泊できるというイベントです。そして、ログハウス建築の講師としてカナダから一人の女性が招かれました。それがカナダ・オンタリオ州の高校で体育教師をしているジュディ・アップさんでした。
 イベントで困ったのは指導役のログビルダーでした。住民団体は、参加者とともに建築の過程を楽しむようなログビルダーが招へいできないものかと企画しました。その意を受けて鳥大教授は知り合いのカナダの大学の教授に紹介を依頼していましたが、彼が紹介してくれたのがジュディさんだったのです。
 当時、ジュディさんは身内に不幸があり、寂しさを紛らわそうと一人でログハウスを造ったのですが、それを教え子の新聞記者が報道したことがありました。その記事を見てカナダの教授がジュディさんを紹介したのです。
 ジュディさんは2カ月間、智頭町に滞在し、ログハウスを建築しながら地元の人々と親しく交流。見る見る明るくなったといいます。住民の優しさが肉親を失って傷ついたジュディさんの心を癒やしたのでした。帰国後、ジュディさんは講演などを通じてすばらしかった智頭の出来事を広め始めました。ふさぎがちだったジュディを立ち直らせた智頭とはどんな町なのだろう。智頭への関心が高まっていきました。
 そのころ、住民団体はログハウスイベントに続き、地元の若者の育成事業を計画していました。高校生の留学事業です。留学先として白羽の矢を立てたのが、ジュディさんの勤める高校でした。打診を受けたカナダ側に異存があろうはずがありません。ジュディさんが立ち直ったすばらしい町なのですから。当初は非公式な交換留学生でしたが、やがて正式な制度になり、学校同士の交流に育っていきました。カナダの高校は平成10年に鳥取県で開かれた全国高校総合文化祭にも参加し、成功に貢献しました。
 それから10年を積み重ね、両校の交流は20年を迎えました。始めた当初、誰が20年も続く交流になると想像したでしょうか。残念ながらことしは延期となりましたが、来年以降も新たな交流の歴史を刻んでほしいと願っています。(閑)

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