「惜福」「分福」「植福」
JR倉吉駅前のすし店に今月、新たに「植福」の色紙が掲げられました。書いたのは平井伸治知事。この店には知事の「惜福」の色紙も飾られています。「惜福」は明治の文豪、幸田露伴の「努力論」(岩波文庫)の中に出てきます。自らに与えられた福を使い尽くしてしまわず天に預けておく。鳥取県の副知事だった平井さんはこの店で仲間の前で「惜福」と書き、鳥取県を離れました。
それから数年後、ニューヨークにいた平井さんに民間から知事に出てほしいとの声が届きました。「鳥取県に帰ってきてほしい」とのラブコールです。鳥取県に福を残して旅立った平井さんは、再び福にめぐり合いました。福が戻ってきたのは、鳥取県のために一生懸命に汗を流していたことを仲間は分かっていたからです。
その平井知事が1期目を折り返しました。前半戦は県民の中に入り続けた2年間でした。そして何とかこの鳥取県を浮上させようと、もがいてきました。それはなぜか。選挙戦で県民と約束したことを守るためです。改革の果実を県民の豊かさに結び付けるという。
「植福」とは、将来にわたって幸福であるよう、今から種をまいておくこと。未来への種まきです。折り返しの今、平井さんは自らに言い聞かすように「植福」と書きました。厳しい経済情勢の中、どんなに一生懸命にやっても、なかなか結果が出ない、それどころか難題が次々に襲いかかる。もどかしさがあります。それでも県民のため、県の未来のために厳しい今こそ、着実に種をまきたい。その一つが韓国、ロシアを結ぶ定期貨客船の就航なのかもしれません。
幸田露伴はもう一つ「分福」といっています。幸福を分け与えることです。まいた種が開花し、県民が幸福を、豊かさを感じる日が来てほしい。そのときは、このすし店に3枚目の色紙が飾られます。(鵜)