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がんばれ県議

090616.jpg 議会好きである。質問戦が始まるといても立ってもいられない。忙しい中、時間をやりくりして議会を傍聴している。なぜ、ここまで議会に関心があるのか考えてみると、やはりそこは、あらゆるものが詰まった記者にとっては宝物のような場所ということ。鳥取県や市町村の今が瞬時に見えてくる。その点では議会からいろいろなことを学ばせてもらった。一方、記者としてはこの決定機関で話し合われていることを、県民に伝えたい。そのため、どうしても議会が始まると力が入る。
 鳥取本社に転勤となって2度目の県議会定例会が開かれている。平井県政誕生後は出先からCATVやインターネットで傍聴していたが、やはり議場に足を運ぶようにしている。不思議なもので、あとで議事録を読んでも、その場のニュアンスは伝わらない、皮膚感覚が大切だ。
 ところが、どうも最近の県議会は、フィットしない。かつての片山県政時代のイメージがあるためか。というか、緊張感が薄れ、迫力に欠けているように感じる。確かに片山時代には「何が飛び出すか分からない」部分があり、記者も一挙手一投足を注視していた。「的はずれ」と切り捨てる知事、時には問題発言も。議員も知事発言にかみついた。
 平井知事は自ら言うように、片山知事とは〝芸風〟が違う。議員の首を傾げたくなるような質問にも、相手に恥をかかさないように上手に答える。人の良さだ。ただ、平井知事の場合は、やはり聞き手が一定レベルの質問をしてこそ、初めてその〝芸風〟が生きてくるのだと思う。むしろ厳しい追及をされたほうが、平井知事の、どんなことにも対応できる〝力量〟が発揮されるのでないか。そのことは、傍聴する県民に、県政や県の取り組みに興味を持ってもらうことにつながる。
 その点では、議員側の質問が弱い。例えば16日の一般質問。指定管理者をめぐる問題が出たが、単に考え方を聞くだけでなく、県内の実態を例に出して言えば、その質問にリアリティーが出てくる。これ以外にも、地域と人を知る県議は、執行部がどんなにきれいなことを言っても、現場の実態はそうなっていないことをよく知っているはずだ。それは十分に質問のスパイスになる。
 余談だが、かつては県議会の質問戦の日は記事になるネタが4、5本あって、その日の紙面に入らないため翌日回しにしたもの。ところがいまは仕立て上げないとできない。議員のせっかくの質問、できるだけ紙面に出してあげたいのだが、その質問 ―答弁にめぐり合えないのが実情だ。
 しかし、この模様を県民、有権者はCATVで見ている。いろいろなことを考えながら。
 県議会の質問戦はまだまだ続く。いっそうの奮起に期待。(鵜)

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