「役人」か 「政治家」か
8日付の本紙に目を引く記事が載ってました。大阪府の橋下徹知事は地方分権実現のため、首長連合で次期衆院選で応援する政党を表明したいとしています。これに対し、鳥取県の平井伸治知事が定例会見で「(私とは)美学が異なる」と発言したことに対し、橋下知事が「行政出身の方のへ理屈だ」と批判したというもの。
前日の本紙を見てみると、平井知事はこう述べています。「首長が意図的に自分たちの影響力を行使して選挙の動向に影響を与えるのは、私の美学とは異なる」「選挙の主役は有権者であり、政権選択の選挙を過度にゆがめるのはいかがなものか。賛同しかねる」。
2人の意見は8日に都内であった全国知事会政権公約評価特別委でも真っ向対立しました。県が近畿知事会に加入し息のあった2人は「兄弟のよう」(県議会本会議)と評されていましたが、政治家として自らの信念は譲れないということでしょう。
ここで注目したのは、橋下知事が「行政出身の方の…」と言っていることです。たぶん「あなたが言うことは役人の考え方だ」ということだと思います。橋下知事はそれでは何も変わらない、と言いたいのでしょう。
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考えてみれば、平井知事ほど、前任者と比較される知事はいないのでないでしょうか。よく耳にするのは片山善博前知事はその発言も含め政治家の側面が強かったが、平井知事は「行政トップ(役人)の域を出ない」というもの。優等生的な発言や人柄などもあるでしょうが、「政治家」っぽくは見られていないのは事実でしょう。
しかし、私はこうした発言を聞くたびに首をかしげてきました。まず役人的か政治家かという違いは、何に力点を置くか、またその基準によって変わってきます。例えば私の場合、総務部長として着任した平井氏の印象は「役人(官僚)らしくない人」でした。平井氏は明らかに、これまで見てきたキャリア官僚とは違っていました。だからこそ、付き合ってこれたのだと思います。
私だけでなく、「役人らしからぬ」という評価は、多くの経済人や県民から聞いてきました。だからこそ、ニューヨークにいた平井氏に民間や県民から知事選出馬を求める声が上がったのだと思います。たぶん平井氏が「役人」だったら、こうはならなかったでしょう。
よく型破りな行政マンを「役人らしからぬ」と言いますが、本当にそうでしょうか。こういう人に限って案外権威的だったりします。大切なのは「目線」です。
まあ、こういう評価を下したがるのは政治関係者ぐらいのもので、県民は、休みの日に雨の中率先して用水路の清掃に励む平井知事の姿を見て、「役人出身」とは考えないでしょう。
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平井知事と片山前知事を見た場合、その違いは「経済」への取り組みに表れています。一線を画す片山知事と、一歩踏み込む平井知事。定期貨客船への取り組みなど際たるものだと思います。いつまでたっても確かなものにならなかったこの案件は、行政にとっては〝あぶない話〟であり、片山知事だったらたぶん実現していなかったでしょう。
一方、平井知事は鳥取県の将来を考えた場合、北東アジアと直結するこの航路を何としても実現したいという確固たる信念がありました。そのため批判を恐れず、海外の企業に間接支援という形で税金を投入する、さらには議会の支援を取り付け民間を巻き込む。ある面、政治生命をかけた決断ではなかったでしょうか。平井知事は結構、「政治家」だと考えますが。
冒頭の〝既成のシステム〟にどう対処するかの橋下知事と平井知事の考え方の違いについて、県の関係者が次のように話していました。そこに橋下知事や東国原英夫宮崎県知事との違いが浮かび上がります。
「片山知事にはわれわれは行政のプロだという自負があった。平井知事も行政のプロであり、非常に頭がいい人。たぶん、このことはここまではできる、ということが分かっている。そんなことに血まなこになるより、平井知事には目の前の県民が雇用や生活に苦しんでいる姿が映っている。それを何とかしたい、いまはその一心だと思う」。
平井知事は当選直後、「地方自治に、鳥取県にこの身をささげる」と言いました。そのために、任期を全力で全うする。そう考えれば、役人か政治家かという「色分け」などどうでもいいような気がします。(鵜)
=写真は三朝町が初開催するイベントの報告に来庁した町長らを激励する平井知事(7日)