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定数議論から見えてくるもの

0907131.jpg 「県民の代弁者は多いほうがよい」「役に立たない者がなんぼおってもダメ」―。11日付本紙に鳥取県議会の定数議論の話題が。そのコメントがむしろ、今の県議会の姿を映し出しているようで注目しました。なかでも気になったのは「ただでさえ、議員活動が見えないと言われているのに」というくだり。分かるような気がします。
 各議員は年4回の定例会に出席し、選挙区内に事務所を設け、節目には後援会報を配ったりしています。ところが、住民には日々の生活の中で、地域の中で「議員の姿」が見えてこない。一体なぜでしょう。「議員を減らせば県政に県民の声が届かなくなる」とのコメントもありましたが、そもそもいま、県民の声は届いているのでしょうか。
 県議には政務調査費が支給されていますが、県政課題について調査活動したり、さらには議員立法など政策立案に取り組んだり、県民の代弁者としての十分な活動ができているかということです。個人的には定数が何人というより、そもそもの話が気になります。
 このブログで以前、もっと質問戦の充実をと書いたことがありましたが、これに通じてきます。普段の活動がしっかりできていれば、当然質問内容や追及の仕方が変わってくるということ。これはわれわれ記者も同じで、現場に足を運んで声を聞いていろいろなことを分かって書く記事と、単に行政情報だけで書く記事とはおのずと深みが違ってきます。
 選挙を知る議員は分かっていると思いますが、かつてに比べ有権者の意識がかなり変わってきました。見る目も厳しくなりました。半面、住民にとって県議の存在感は「希薄」なんだと思います。だから「議員活動が見えない」と言われるのでしょう。
 実はこの希薄さは記者としても感じています。つまりかつてに比べると、地域の中で県議の「影響力」がなくなっているということ。かつては記者が県政課題や地域の懸案事項について取材しようと思えば、核心部分をつかんでいる県議のもとに走ったものでした。ところがいま、政局以外では県議の姿を見なくても仕事ができる。片山、平井県政になってその傾向は顕著になりました。見方を変えると、執行部に対して「VS」のベクトル(議員のチェック機能)が働いていないということでもあります。
 そら昔は大物県議がおって…と言われるかもしれませんが、本当にそれだけでしょうか。議員の「地域とのかかわり方」の部分―日常活動につながっているのではないでしょうか。
 記事には「数よりも質を向上させることが大事」というコメントがありました。普段の活動を点検することも大切ですし、有権者はよく見ています。本当の意味で「県民と県政をつなぐパイプ役」になってください。(鵜)
 

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