いろは丸事件
鞆の浦(広島県福山市)の埋め立て問題で、司法は「差し止め」の判断を示しました。景観が国民の利益であることを示した画期的な判断です。八ツ場ダムの建設中止もそうですが、判断が示された背景には大規模な公共工事に象徴されるまちづくりが大きな転換期を迎えている現実があります。そして、そのことは人々の幸せ感が変わってきていることに源泉があるのはいうまでもありません。
印象的だったのは新聞記事の書き出しです。<万葉集に詠まれ、人気アニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台ともされる瀬戸内海の景勝地・鞆の浦…>。鞆の浦をコンパクトに表現した見事な記述ですが、肝心なものを忘れているだろ、と思ってしまいました。いろは丸事件の舞台です。
1867年5月、江戸時代の最末期ですね。鞆の浦の沖合で紀州藩の明光丸と坂本竜馬率いる海援隊のいろは丸が衝突しました。日本最初の蒸気船同士の衝突であり、過失割合を初めて万国公法で裁決した事件となりました。幕府の権威は失墜していたとはいえ、一民間人の坂本竜馬が御三家を向こうにまわし、近代的法律で戦い抜いたのです。さらに竜馬は巧妙な世論醸成をしています。<船を沈めたその償いは 金を取らずに国を取る>。有名な俗謡を花街の長崎・丸山から流行らせ、非は紀州藩にあり、を印象付けます。その結果、海援隊は8万3千両という多額の賠償金を紀州藩に払わせたのです。鞆の浦にはそうした事件の舞台となった史跡や記念館があります。
鞆の浦は国内で初めて万国公法が運用された記念すべき土地なのです。そして今、新しい幸せ感に基づく国内初の司法判断が出された地になりました。歴史の奇妙な符合です。鞆の浦ではこれから新しい街づくり計画が策定されるでしょうが、他の参考になるような、新しい幸せ感に基づく計画であってほしいものです。
ちなみに竜馬が暗殺されたのはこの年の11月です。手元に資料がなく、記憶がおぼろげなのですが、竜馬および海援隊は紀州藩からの賠償金(最終的には7万両に値切られた)を受け取っていないはずです。いったい、7万両はどうなったのでしょうか。そのなぞは別の機会に…(閑)