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2010年11月29日

「憂国忌」に想う

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『絹と明察』(新潮文庫)
 昭和を代表する作家、三島由紀夫が東京・新宿の自衛隊市ケ谷駐屯地で自決してから40年。三島関連本が次々出版され書店に並び、三島事件とは何だったのかを問う論評が新聞紙面を飾っている。
 25日の「憂国忌」、新宿ゴールデン街にいた。作家や文化人が売れない時代や若かりしころに通った飲み屋が連なっている。その中の「M」は94歳のママが現役で客の相手をする。船乗りだった夫を亡くし、この世界に飛び込んで50年。ゴールデン街の最高齢だ。
 6人も座ればいっぱいのカウンターで、ママは自身の半世紀を語った。店の稼ぎで6人の子どもを育てたこと、そのうち2人が自分より先に旅立った悲しみ、新しい恋、そしてゴールデン街の移り変わり。話に引き込まれていた営業マンが「きょうは三島が割腹自殺した日だね」とポツリ。ママは当時のことを語り出した。近くの市ケ谷で三島が自決したニュースでゴールデン街が騒然となったこと。そして「国民のためにもっと書いてほしかった」と続けた。
 その話に20年前、確か新橋だったと思うが、三島が駐屯地に向かう前、同志と最後の盃を交わした割烹旅館に行ったことを思い出した。古い日本建築の建物で、室内に凛とした空気が漂っていたことを覚えている。
 『金閣寺』や『仮面の告白』などの代表作で知られ、スター作家の三島がなぜあのような行動に出たのか、真相は今もはっきりしない。ただ、なぜか三島文学や生き様に引かれてしまう。
 その三島が、鳥取県倉吉市出身の労働運動家をモデルに本を書いていたことをご存じだろうか。『絹と明察』。昭和39年に発表された。琵琶湖がある滋賀県を舞台に、実際にあった近江絹糸(オーミケンシ)の労働争議に題材をとった。当時は全国で労働争議や組合ストがひんぱんに起こっていた。三島が取材のため足を運んだこの労働運動家はその中心人物で、よく知っている元鳥取県議は「彼なくして、日本のインターナショナル(労働運動)はなかった」と説明する。
 20年前、滋賀県彦根市のこの男性の自宅を訪ねたことがある。もちろん当時は一線を退いていたが、眼光鋭く、一種のオーラのようなものを感じた。あの三島が小説のモデルにするような男とはどんな人物だろうと思って汽車に乗ったが、納得するものがあった。男性はその後、滋賀県議として活躍。県議を辞めても民主党県連の幹事長を務めるなど、やはりリーダーとしての資質があったようだ。
 男性に面白い話を聞いた。彦根は城下町で知られるが、何とかまちづくりに生かそうと、故郷で白壁土蔵群がある倉吉市に議会議員らを連れて行った。今の彦根の姿は倉吉がモデルとなった。彦根はその後、本家・倉吉をしのぐ、古い町並みを生かしたまちづくりを進める。ゆるキャラNO・1にも選ばれた「ひこにゃん」を擁し、今では観光でにぎわっている。さすが近江商人といったところだ。
 話がそれたが、この『絹と明察』(新潮文庫)のあとがきに、評論家の田中美代子が興味深い解説を載せている。昭和62年に書いたものだ。
 「この翌年、40代に入った三島は、ライフワーク『豊饒の海』の執筆にとりかかるとともに、実際に政治的な行動―とくに「楯の会」を通して日本の防衛問題に身を投ずることになる。(中略)この作品には、若者の行動の歓喜を通じて作者の新しい出発のはじまりが暗示されている」
 『絹と明察』発表から6年後の昭和45年11月25日、三島は自決した。(鵜)
 

2010年11月19日

激変するメディア環境

101119.jpgスマートフォンをめぐる携帯電話各社の競争激化を伝える10月8日付の本紙記事
 アパートのある東京の下町から都心の職場まで約50分。首都圏のサラリーマンの平均通勤時間からすると、いい方だが、田舎で車に乗り付けた体には朝の満員電車はこたえる。
 その電車内の風景が様変わりしている。新聞が消えたのだ。20年前、都内の通勤電車はぎゅうぎゅう詰めの中、新聞を二つ、四つ折りにして活字を追う乗客であふれていた。その多くがスポーツ紙と経済紙を読んでいたと思う。
 ところがいま、タッチパネルを触っている。スマートフォンが圧倒的なスピードで浸透中だ。サラリーマンや若者のみならず、女性も多い。個人的な感覚だが、乗客の手にあるものは、スマートフォン=4、携帯電話=4、残りの2割が携帯ゲーム機、音楽、新聞。スマートフォンが電車内を席巻するのは時間の問題だ。
 しかし、なぜここまで、雑誌も含め紙媒体を読む人が減ったのか。新聞社に勤務する者としては驚きと同時に不安も感じる。
 例えば私の場合、行きの通勤電車では駅売りの一般紙を読み、帰りはタブロイド版の夕刊紙を買っている。これが日常だ。駅の売店で各紙の見出しを見て手を伸ばす。大阪地検の不祥事のスクープ記事は見出しが目に飛び込み、続報を読むために何日間か買い続けた。スポーツ紙も含め新聞は1面の右上、つまり駅売りで読者が目にする4分の1に命をかける。特ダネは都内の最終版のみに掲載、各紙がしのぎを削っている。
 ところがインターネットの普及でメディアをめぐる環境、ニュースの入手方法が変わった。その特ダネも数時間後にはネットの検索サイトで見ることができる。聞くところによると、いまは行きや帰りの電車内で携帯電話からインターネットに接続し、またスマートフォンでニュースのトピックスを見て終わり。この部分は新聞でいうとリードの一部であり、通常ならさらに詳細、次が読みたくなるものだ。ところが新聞は読まない。私らの感覚とはかなり違ってきている。
 先日、携帯電話会社のスマートフォンの発表会に出掛けた。一流ホテルのホールはマスコミ関係者であふれ、海外のアーティストを起用したテレビCMが大画面で放映された。別室に新機種の体験コーナーが設けられていたが、もはやスマートフォンは自然なものとなっている。
 数日前には倉吉市内のインターネット関連会社の役員が上京し、スマートフォンも含めた新しい通信環境について学んでいた。驚いていたのは「変化のめざましいスピード」だ。先を見据えないと、もはや業界で生き残れないという。
 ただ、この点については既存のメディア側も認識している。赴任直後、セミナーで大手広告代理店の役員が広告メディアの活動領域について「クロスメディアからクロスジャンルに入った。大きな視点で考える必要がある」と指摘し、「自分たちの強み、原点とは何かを確認したい」と話していたのが印象深かった。
 代理店関係者からは「広告を打っても一番反応が良いのは新聞」と新聞の信頼性にこれからも期待する声が多い。
 報道媒体、ニュースを伝える側としてはどうか。ネット社会で簡単に情報が手に入るようになった半面、記者が現場に出て汗をかかなくなったなどの指摘もある。現場で直接取材対象者から話を聞き、その思いを受け止め、活字にして伝える新聞は、単に情報伝達や入手する手段ではなく、心に訴え、生きる上での指針となるような、計り知れないものを持っていると思うが。一方で読者の期待や満足度に十分応えているか、自問自答もしている。
 メディアをめぐる環境が大きく変化する中、新聞は何を伝え、新聞社は持っている強みをどのように発揮していくか。(鵜)

2010年11月16日

対立候補はあるのか?

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民主党の馬淵国交相(右)に高速道路整備を要望する平井知事(中央)。知事選への対応についても要望したい?=10月20日、国交省
 平井鳥取県知事が再選出馬を表明し、支援者らの動きも出てきた。今後の焦点は対立候補に移るが、今のところ表立った動きはない。そうはいっても統一地方選メーンの知事選、片山前知事の2期目のような無投票はないと思うが、態度を明らかにしていない民主党、市民団体での候補擁立の形を取る共産党の今後の動向が気になる。
 平井知事は再選出馬するなら、「県民党的な立場で」を当初から頭に思い描いていたと思う。自民党が一歩引いた形を取ったことで、また水面下で民間を中心とした支援の動きがあることで、その方向はある程度は見えてきたが、知事もまさか政権党の民主がこんなにゆっくりしているとは思わなかったのでないか。
 表明後、民主党の県関係国会議員2人に受け止め方を聞いた。
 湯原衆院議員は平井知事の1期目について「県民の信頼もあり、ほぼ評価できる内容だった」とした上で、「次の4年間でどんな県づくりをしたいのか、政策の中身を見て判断させていただく」との考え。湯原氏らしいが、県民党についても「その中身が大事」と付け加えた。
 これに対し、川上参院議員は「政権の枠を超えて県民党で出馬した方がいいと思っていた」と述べ、県予算などで平井氏とは協力関係にあることを強調。ただし、「県民党というのは特定の政党の公認・推薦は受けないという意味だと思う。相乗り禁止の党内規定は生きており、自民が公認・推薦した候補には対立候補を出さないといけない立場。自民が平井氏を公認・推薦となると、おかしくなる」とクギを刺した。
 自民はこれからどう出るのか、民主の「相乗り、不戦敗、自主投票」などはあるのか、現実的な話になってくると難しい局面も予想されるだけに平井知事にとっては頭の痛いところだ。もうひとつ、ここにきて気になることがある。菅内閣の支持率の急落だ。仮に解散風など政局になれば、自民、民主の二大政党間の対立が激化し、予期せぬ方向に転がっていく可能性もある。
 一方、前回自公推薦の平井氏への対立候補を立てた共産党はどうか。共産党には苦い経験がある。片山前知事を「無投票にした」8年前、合わせて行われた県議選鳥取、米子両選挙区の候補がいずれも落選したことだ。確かに当時の片山知事は「革新的」だったが、無投票では党の存在意義が失われる。やはり共産党は選挙でも常に対立軸を示し、票を掘り起こさないといけない。
 地方議会に与野党はないが、県議会が「オール与党」のような状況下、気を吐いているのは共産党議員だ。質問戦で知事が唯一、「本気」になるのは同党議員への答弁のとき。他の議員の場合は質問者を持ち上げて上手に答えているが、海外資本の定期貨客船への税金投入などを批判する共産党だけには気色ばむ。どんな形であれ、共産党は対立候補を出すはずだし、出さないと党勢維持はできない。
 ただし、今回も前回のような平井氏VS共産・市民団体の一騎打ちでは「信任投票」の色合いが濃くなり、有権者の関心が心配だ。選挙の妙味という点でも、前回平井氏が獲得した約23万票が1期目を終えてどのようになるのか見てみたい。平井県政への県民の評価を知るためにも、選挙戦は必要不可欠だ。
 平井知事自身にとっても無投票はいけない。選挙戦で自らの主張や政策を堂々と述べ、意見を戦わせてこそ、その主張は県民や部下である県職員に浸透し、県政が力強いものになる。実際、1期目に激しい選挙戦を経験した町長の方が信任をバックに自信を持って町政に当たり、2期目は無投票の例が多い。平井知事の場合、初出馬時に本当の「選挙の洗礼」を受けていない。
 ただ、仮に県にゆかりのある官僚がいたとしても、勝ち負けが先に来て危ない橋は渡らないだろうし、県民に一定の人気がある平井知事に向かっていくのにはかなりの度胸も要る。県内の政治家も事情をよく知っているだけにまずない、真っ先に県町村会が出馬要請するぐらいだから。
 が、その平井知事も身内、つまり県職員とはしっくりいっていないという話をよく聞く。トップが部下に厳しいのは当たり前なのだが、職員が知事に付いていけていない。想像するにこういうことだと思う。知事は自ら県内を奔走し、鳥取県、県民にプラスになることはどんどんやろうという考えだ。特に経済的なものには一歩踏み込む、また踏み込まないと現在の経済情勢では成果や結果は生まれてこない。合わせて部下には、そのことへの共通認識とスピード感を求める。
 ところが、前述の定期貨客船にしても貨物が上向かない。これは当初から予想されていたことで、県職員が民間企業や関係業者との仲介役、セールスなどの役割を担うが、現実には行政マンだ。民間でいうところの営業的なことはまずできない。知事は結果を求めるが、結果は出ない。不夜城と言われるほど残業をしても。あせり、フラストレーションがたまる。知事と周りにいる経済人らは考え的にもイコールなのだが、実動部隊とは現状認識に対する違いがある。よって「オール県庁」のような総合力発揮とはなっていない。
 下剋上ではないが、仮に県職員から出る形になれば、結構「踏み込んだ」選挙戦にはなる。「どこかの知事のように辞めても東京に帰らない。この鳥取県に骨をうずめる」「八方美人にはならない。できないものはできない、NOと言える知事になる」「東大出の官僚ばかり重要ポストに登用しない。生え抜きが意欲を持って働けるような人事をする」。言ったらいい。貨客船の投資効果、一転公立化へかじを切った環境大経営改善問題なども争点となりそうだ。
 ただ、実現はちょっと無理か。過去の鳥取県政を見ると、年末の12月に何かが起きているのだが…。(鵜)

2010年11月13日

陳情について考えた

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陳情風景=5日、議員会館
 衆参両議員会館を回っていると、鳥取県内の首長や議員団に出くわす。よく知った顔も、東京で会うと懐かしい気になるから不思議だ。
 下ろし立ての背広を着て、手土産に地元の銘菓を持った議員も。高規格道路の整備促進など地元の期待を背負って上京しただけに、気合も十分だ。
 自民党時代は年末の風物詩でもあった陳情だが、「陳情行政」などマイナスイメージの言葉とともに、手土産はなくなり、随行者も減らすなど自粛傾向に。民主党が政権を取ってからは陳情や団体要望は幹事長室への一元化となり、権力の集中や政治主導の在り方をめぐって県内の首長からも批判があったのは記憶に新しい。
 これまで陳情や要望活動は数限りなく取材してきた。鳥取県は社会基盤整備が遅れ、民活などあってないようなもの。道路一つとっても、前提となる予算を確保しなくてはならない。合わせて国のGOサインも。行政や議会のみならず、各種団体も代表者が上京し、県選出国会議員や関係省庁に力強い支援を求める。
 陳情という言葉は、お上にすがるような依存型、お願い型のイメージを連想させ、またそいういう手法を批判する意見もあるが、個人的には違和感はない。その行為を通して、陳情する側と受ける側が地域の課題について共通認識を持ち、意見交換することでより良くするためのヒントも浮かぶ。地方が住民が声を上げていくことも必要なことだ。
 先日、倉吉市議会の1会派が地域高規格道路・北条湯原道路の整備促進を要望していた。鳥取県中部と高速道路を直結する同道路は住民や産業界の長年の悲願でもあるが、完成にはまだまだ時間がかかりそうだ。というのは鳥取県側のさらなる整備も必要だが、肝心の岡山県側が遅々として進まない。この道路整備に対し岡山県側に熱意があるのだろうか、との声も出ている。
 議員らは、県中部の振興のためになぜこの道路が必要なのかを訴え、冬場の積雪などでいかに危ないか、陳情書に写真を張り付けて県選出国会議員らに後押しを求めた。与党の参院議員の事務所では、この議員自身が実情をよく分かっているだけに、厳しい今の現状を受けて今後どのように取り組んでいくかなどの話になり、陳情した市議側も「来てよかった」と喜んでいた。
 陳情しても、聞き置くだけで終わり、関係省庁に話をつなぐケースはまれとも聞くが、別の事務所でも熱意を持って応えてもらい、市議からは「陳情の在り方も含め12月議会での質問に取り入れたい」など、意欲的な声が上がっていた。
 公共事業全盛期と打って変わって、国の道路予算の行方もどうなるか分からない時代。農業関係の陳情も途切れることはない。ただ、いま話題のTPPもそうだが、地方や地域、農村の視点がある。陳情したからどうなったなど、その効果は県民には計り知れないところだが、そこに活路を見いだす人たちが永田町や霞が関を飛び回っている。(鵜)

2010年11月06日

「お荷物」から誇りへ

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マニフェスト大賞で表彰される倉吉市議会の代表(右の2人)=5日、東京・六本木
 倉吉市議会の有志12人が快挙を成し遂げた。5日、都内で開かれた「第5回マニフェスト大賞」で最優秀成果賞を受賞。上京した議員は大喜びだったが、一番驚いたのは市民かもしれない。
 定例会のたびに会派間の対立を繰り返し、市民からは市政の「お荷物」とまでやゆされた倉吉市議会がなぜこうも変わり、政策提言や議員立法に取り組むまでになったのか。
 背景には議会を取り巻く環境の変化があろう。議会内では新旧交代が進み、いわゆる重鎮と言われる議員が不在になった。それに伴い、執行部との「裏ワザ」的な駆け引きが利かなくなった。これによりかつてその陰で委縮していた若手議員が堂々と勝負できる環境が生まれた。
 一方、行政を取り巻く環境も大きく変わった。市財政はひっ迫し、ハコ物が次々建つような時代ではなくなった。旧来型の議員は「出番」がなくなる。議会の外はどうか。市民生活は困窮し、合わせて有権者の議会議員を見る目も厳しくなった。報酬分の活動ができているのか、市民の目は議員の日常をしっかり見ている。
 本来、批判の的だった倉吉市議会だが、個人的には執行部の追認機関のようなシャンシャン議会よりも好きだ。感覚的にも現状認識や問題のとらえ方ができ、何より執行部に対してはっきりモノが言える。その点では議員としての潜在能力はあったと思う。
 ところが、これまでは目の前に映る「対立」にこだわりすぎ、肝心の議員としての仕事がおろそかになっていた。議員は一体、何をしているのか、市民は厳しく批判した。ただ、市政がうまく回らないのは、実際には執行部側の問題もあり、議会だけが悪いわけではなかった。
 では、議会の本来の役割とは何か。最高の意思決定機関として施策をチェックする。市民の声を拾い上げ、市政に反映させる。そして今求められるのは議会が政策立案能力を高めていくこと。政策で勝負できる議員を一人でも増やしていくことだ。
 今回、議員は疲弊する倉吉のまち、市民生活、雇用がなく若者が流出してしまう現状に対し、まず生活の基盤となる産業に息吹を与え、地域を元気にしようと、議員発議という形で執行部に条例制定を提案した。この条例を基に、今度は執行部が具体的な振興ビジョンを作り上げた。議会と執行部の姿、そのため市民の声を吸い上げるという作業に、議員らは自らがやるべき仕事を再認識したと思う。
 表彰式で倉吉市議会の活動を講評した大学院教授は、一連の着実な取り組みを評価した上で「これにより将来、どんな成果が生まれたのか聞いてみたい」と語った。市民と共に歩む議員を生業とする者にとって、最高のほめ言葉だ。
 ステージに上がった議員の代表からは真っ先に「市民とこの喜びを分かち合いたい」との言葉が出た。その意識が大事だ。代表が言ったよう、今回の受賞はまさに議会の「勲章」であり、自信を持って今後の活動に取り組める。そういう議員がいることは市民にとっても誇りだ。
 慰労会で議員らは「きょうは本当にいい一日だった」と口をそろえた。その気持ちを忘れず、市民のための市政実現へこれからも着実に歩んでいってほしい。(鵜)

2010年11月02日

「県民党」って? その姿は

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関西広域連合の設立許可申請を終え、手を握り合う平井知事(左)ら=1日、総務省
 平井伸治鳥取県知事の再選出馬への環境づくりが最後の詰めの段階を迎えている。悩みに悩んだ知事だが、1日、顔色は良かった。県町村会が全会一致で出馬を促したのが、知事の心に光を差したようで、その点では三朝町長は大きな仕事だった。
 このほか、民間が平井知事支援の署名活動をしている地域があるほか、個人支援組織では「県民党」の話が持ち上がっている。
 しかし、驚いたのは自民党県連だ。知事が出やすい環境づくりへ一歩引いて「丸抱え」しない配慮、こんな対応ができるとは。このまま政党とのかかわり方で悩み続けたら嫌気がさして「辞める」と言いかねない、と思ったのだろうか。県民党への一定の理解も示している。
 一方の民主党県連は冷静だ。「表紙は県民党でも一皮めくれば…では」とけん制する。確かに、広く支持を集めるという意味では「県民党」というスタイルはベターだが、問題はその中身だ。誰が選挙態勢を担い、どんな運動をするのか。きれいな話で済めばよいが、個別具体の話になると難しい問題も出てくる。実際、どんな県民党となるのか、今のところ、その姿は見えてこない。
 もう一つ気になることがある。人気もんの知事を担いでここで一気に流れをつくりたいとの思いもあろうが、まずこの4年間を検証することが先だ。平井知事には初当選時のマニフェスト(公約)を基に、できたこと、できなかったこと、なぜできなかったのかを県民に提示してもらいたい。それを受け、再選出馬するなら次の4年間に何をするのか、そのビジョンを分かりやすく示す。それがあってこそ「県民党」だ。
 また、その作業こそが県政を身近なものにし、鳥取県に足りないものや今後必要とするものを示してくれる。「知事はようがんばっとんなるがな」との声をよく聞くが、政策的なことをきちっと判断できるような選挙に変えていきたい。それができるのが平井知事ではないか。
 平井知事はかつて総務省の選挙部政党助成室長を務めていた。今の「選挙」が抱える問題点もよく分かっているが、一番は選挙にお金がかかることだと思う。事務所の維持費、人件費、活動費。ボランティアといっても、それだけでは済まない。これは現実的な問題だ。
 もし出馬するなら、選挙そのものへの挑戦もしたらどうか。金をかけない選挙。例えば、任期ぎりぎりまで力いっぱい仕事をし、告示後、ポスターとマイク(選挙カー)だけで戦う。支援者は勝手に運動する。最低限の選挙だ。武器となるのは4年間の検証と今後4年間のマニフェストのみ。県民の意識に訴える選挙であり、これこそ「県民党」ではないか。十分、全国発信もできよう。
 ただ問題もある。周りの理解が必要ということだ。おせっかいな議員や業界関係者が集まってくるとそうはならない。「平井さん、あんたはみこしに乗っとったらええ。あとはわれわれがやるけぇ」。選挙前からいろいろな人に気を使い、神経をすり減らす知事の姿が見えてくる。「県民党」という言葉はいいが、平井知事にとっては最後に乗り越えなければならない試練かも。(鵜)