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2011年01月25日

よもやま話@東京4題

 ○…全国各地でタイガーマスク運動が起こっている。テレビ番組が放映されていたころは小学生、「虎の穴」が次々送り込む刺客に伊達直人ことタイガーがズタズタにやられながらも最後は勝利する。そのファイトマネーを名前も名乗らず孤児院の子どもたちのために寄付する。ハラハラドキドキと心にしみるあったかさ、大好きな漫画だった。
 タイガーに刺客を送り込んだのが虎の穴のミスターX。その声優が新宿ゴールデン街で小さな店を構えている。店内にはプロレスの初代タイガーマスクと握手している写真も。半面、「萌え」のにおいがする。声優さんやその卵たちの「たまり場」となっているようだ。
 自らもアニメの声優を務めるミスターXの奥さんと話していたのだが、鳥取県で来年開催される国際まんがサミットのことを全く知らない。そんなのあるの~の世界だ。ちょっとショック。「アキバ」好きの平井知事、もっとPRが必要なようです。

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とうふちくわは人気の的
 ○…「取材に行くだらあな」。本紙のOBから電話がかかってきた。東京ドームで開催された日本最大級の食の祭典「ふるさと祭り東京」。半ば強制的に取材に行かされた。会場の鳥取市のブースに行くと、別の本紙OBが「おう、来たか」。元記者だけによく分かっていて、概要資料を手渡すなど段取りがよい。
 ドームのグラウンドには、全国各地の名物や特産品、B級グルメの屋台が並ぶ。にぎわう写真が撮れるタイミングになるまで、「日本一周名物の旅」。だんご汁や特産牛のコロッケ、サバのくし刺しなどを味わう。逸品だけあって、うまい。
 鳥取市のブースに戻ると、「あ~、あった」と黄色い声が。女性2人組が大喜びで、とうふちくわを買っている。聞けば「あこがれていた」という。なんでも漫画にとうふちくわが出ていて、ぜひ食べてみたいと思っていたそうだ。とうふちくわは東京では珍しいが、「食いつき方」が違う。食のみやこ発信のヒントになると思うが。

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起死回生策はあるのか
 ○…通常国会が召集された。衆院本会議場には着物姿の女性議員も。風景が違うなと思ったら、ひな壇が寂しい。内閣改造で、「陰の総理」とも言われた仙谷官房長官の姿がない。尖閣沖漁船衝突事件の対応や横柄な態度で野党の批判を浴びたが、いい悪いは別にして、菅内閣は仙谷氏で持っていたようなものだ。
 菅首相が施政方針演説をした。野党からのやじの中、TPP「平成の開国」などを力強く訴える。昨年の臨時国会では覇気がなかったが、ことしになって両院議員総会、党大会のあいさつはハツラツしている。党大会では党所属の国会議員らに「自信を持ってほしい」と訴えた。が、党の迷走ぶりや支持率低下、統一地方選を前に自信が持てないのが実情では。
 菅首相の評価の中でよく、国家観がないと言われる。この国のリーダーとして、厳しい現状をどう乗り越え展望を開くか、国民にビジョンが見えないということだ。実際、予算委での棒読みとのらりくらり答弁にはがっかりさせられた。野党時代の舌鋒の鋭さはどこに。首相になってこれほど変わった政治家はない。
 来年度予算案と予算関連法案の年度内成立へ、今度こそリーダーシップを発揮できるか。野党協力や修正協議が整わない場合、3月危機説もささやかれる中、正念場を迎えている。

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読み応え十分です
 ○…都内の知人が「面白い本が出たよ」と言う。政治資金規正法違反での逮捕第1号となった元国会議員秘書が書いた本だ。タイトルは『実録 政治vs特捜検察―ある女性秘書の告白』(塩野谷晶著、文春新書)。著者はその後逮捕された〝オヤヂ〟の政策秘書になる前、県選出国会議員の事務所で勤務していた。
 取調室での検事との闘い、供述調書をめぐる攻防などが生々しく書かれ、一方で秘書の実態や事務所の問題点を明らかにしている。いま小沢民主党元代表の政治資金規正法にかかる問題がクローズアップされているだけに興味深い。
 著者は小沢氏の元秘書で東京地検特捜部に同法違反で逮捕された石川知裕衆院議員にインタビューしている。収支報告書について、著者、石川氏ともに第三者のチェック(監査)の必要性を説いているところに、根本的な問題を感じる。
 さらに、元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏にもインタビュー。大阪地検特捜部の不祥事に絡む厚労省元局長の冤罪事件があっただけに、検察のあるべき姿を語るインタビュー内容は考えさせられた。
 永田町の秘書の世界についても書かれており、面白い。ぜひ一読を。(鵜)
 
 

2011年01月21日

霞が関から吹く風は…

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大雪で傷んだ野菜を手に支援を訴える平井知事=東京・霞が関
 先日、東京に出張された竹内鳥取市長が「東京は暖かいでしょう」。豪雪に苦しむ鳥取県からすると太平洋側は恵まれていると感じるが、東京もここ数週間は寒く、風が冷たい。いわゆるビル風だ。基本的に寒がりでコートなしでは外を歩けない。東京では電車の中もそうだが、人が群れている。平井知事のようにインフルエンザをもらわないよう、帰ったらうがいの毎日だ。
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 その知事がマスクをして霞が関に現れた。衝撃だった。「危ない」と近寄らないようにしたが、そうも言っておれず、マフラーをマスク代わりに取材。今回の豪雪について、国に激甚災害の指定と財政支援を求める要望活動だった。
 ところがある官庁で、さらに衝撃的なことが起こった。通常、省庁取材は「頭撮り」となる。冒頭の部分のみ写真やテレビカメラの撮影が許され、その後は外に出て待機するのだが、その官庁ではわずか数分で追い出されるように外に出されてしまった。シャッターを数枚切っただけ。写真はまだいいが、困るのは映像だ。要望に来た人の顔すら満足に撮れない。ちょっと待ってくれだ。当然、報道陣からはブーイング。昔からこういう時は気分が高揚する。ただ大人になったのか、冷静に、皮肉もちょっぴり、胸に突き刺さるように。要はこれでは人に伝えられない、ということだ。
 私などまだいい、地元の実情も分かるし、フォローもできる。しかし在京の記者やカメラマンは、地元局の依頼を受けて取材に来ている。これではプロとして、応えるだけの仕事ができない。
 写真が使えないため仕方なく、知事がその後行く別の省庁で待機。ここは取材慣れしているのか、秘書官らもきちんとした対応だった。要望を受けた大臣は東北地方の出身。やはり大雪の大変さを知っている人は違う。
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 そもそも、頭撮りとは何なのか。記者はとりあえず写真を押さえ、外に出てきたところをつかまえて「ぶらさがり」で話を聞き、記事にする。しかし、実際にはその場で見たり聞いていたわけではない。往々にして片側(出てきた側、しゃべる側)の話が基になる。今回の場合は要望した知事側だ。しかし、受けた側がどんな回答をしたかはあくまでも伝聞となる。
 省庁取材の新参者の私は、頭撮りという取材スタイルが通例になった経緯などは分からないのだが、記者である以上、自分の目や耳で確かめたい、その場の空気の中で取材したいというのが本来だと思う。一方で省庁側の考えやまだ公にしたくない部分もあり、「折衷案」的にこの頭撮りスタイルができたのかな、とも想像する。
 ただ、中身によりけりだと思う。今回の場合、大雪で県民生活に大打撃が出ている、知事が上京しその深刻さを訴え支援を求める、たぶん受ける側も「可能な限りのことはやります」だと思う。記者がそのやり取りを聞いていて問題になるようなこととは思えない、むしろ、国はしっかり対応するとアピールすべきことだ。
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 記者になってから、行政の「非公開」には猛烈に反発した。知る権利を声高に叫ぶつもりもなかったし、オンブズでもないが、非公開にするようなものでないものまで当たり前のように隠す姿勢が理解できなかった。取材される側にも言い分があることは分かるが、具体的な作業部会に入ろうとも思わないし、仮に個人にかかわる話が出たとしても、そんなことは書くはずがない。後できちんと説明し、理解を求めればよい。
 その行政も、情報公開と説明責任を掲げた片山知事の出現で徐々に変わっていった。知事が言ったのは当たり前のことだが、それが新鮮に映るぐらいだった。県庁はその後、予算案など政策の立案過程もホームページで公開。片山効果で情報公開する姿勢は県議会や市に広がっていった。
 その片山知事がいいことを言った。「隠すとロクなことがない、謝ってしまえば楽だ」。不祥事が起きればを隠そうとするが、会見を開いてオープンにする。隠そうとするから、そのことが発覚した際にボロが出る。私の経験からも全くその通りだ。
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 かつてと比べると、行政も格段に情報公開に前向きになった。いまやネット社会、アピールしたり、発信することも行政の重要な要素となった。公開・非公開の在り方を考えるとき、大事なのはどこを向いて仕事をするか、だと思う。県民や国民はそのことを敏感に感じている。知事として霞が関改革を訴えた片山総務相には、おひざ元から新たな風を巻き起こしてほしいのだが。(鵜)

2011年01月13日

なぜここまで頑張れるか

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吉本新喜劇の舞台に立った平井知事
 平井伸治知事がダウンした。直接の原因はインフルエンザのようだが、年末年始の雪害対策など過労も要因だろう。大阪の吉本新喜劇に出演し、とんぼ返りで再び雪害対策。正月も休む暇がなかった。というか就任以降、休日もイベントへの出席などでほとんど休みを取っていない。たぶん、体はくたくただと思う。なぜ、知事はここまで頑張れるのか。
 今だから言えるが、平井知事のダウンは就任後、2回目だ。1度目はブラジル出張から帰国後。十二指腸潰瘍を患い、体に黄疸ができた。知事日誌には内部協議とあったが、知事室を抜け出し中央病院で点滴を受けていた。そんな状態でも休まない。秘書が休日の催しへの出席キャンセルの話をしても、「もう少しで盆休みだから。そうしたら家族で過ごせる」と振り切って出て行った。就任から1年半後、初めて連休を取った。こんな知事はまずいない。 
 知事は若くして父親を亡くしたからか、健康にも気を配っている。酒もたばこもやらない。息子2人は県外に住んでおり、私邸に妻と二人きり。祝賀会に出席しても、帰ってから議会の議案資料に目を通すぐらい優等生だ。基本的にまじめ人間だ。
 東京の神田で生まれ、子どものころは秋葉原などで遊んだ。父は弁護士。頭がよく有名私学の開成中―開成高から現役で東大法学部に進学。卒業後は自治省に入り、米国のUCLAにも留学。片山前知事の下で全国最年少で副知事に就任した。絵に描いたようなエリート人生だ。半面、スポーツは大の苦手。おしゃれのセンスはない。好きな食べ物はオムライスとコーヒー牛乳という庶民派の面も持つ。
 知事を支援してきた経済人らは「官僚臭さがなかった」と話す。東京育ちのエリートだが、副知事時代から上から目線ではなく、謙虚。フランクに話せ、人の話をよく聞いてくれる。これまでの官、鳥取県庁にはいないタイプであった。講演に行ってもその後の懇親会で仲良くなる。必ず顔と名前を覚える。目線が同じで民間に近い感覚を持っている。これで一発でファンになる。ある面、人たらしだ。
 一方、庁内の評価は少し違っている。部下には強烈に厳しい。片山県政時代、職員は知事室に入るより、副知事室に入ることを恐れていた。では、なぜそこまで叱るのか。平井知事は県職員が民間や県民に対して横柄な態度をとることをものすごく嫌っていた。県民の目線で仕事をしない、基本が分かっていない職員は相手にしない。県職員の仕事が理解できていないということだ。
 ただ、職員には能力差もある。頭の回転が早い知事と違って、一つのことをやるにも時間がかかる職員もいる。全員が知事のように達者ではない。成果も出ない。職員の一部は、庁外の県民に見せる顔と庁内での対応の二面性に戸惑い、それが評価を分ける。
 しかし、知事には信念があるのだと思う。この鳥取県のトップとしての。それはどのように形成されたのか。
 面白いものである。優等生であれだけまじめな平井知事が大阪の吉本新喜劇の舞台に立ち、眉毛を太くし笑われる側を演じる。確かに「二面性」がある。パフォーマンスもやり、新聞やテレビに取り上げられることが好きだが、不得手なことをやっているように感じる。テレビカメラの前でラーメンを食べてみたり、県内企業が生産した商品を上手にほめてみたり。知事がここまでしないといけないのかとも思う。
 別の優等生の片山前知事なら絶対やらない。それをなぜできるのか。根底には、経済への踏み込んだ考え方がある。線引きをしていても始まらない、鳥取県を豊かにしたい。関西連携の中で大阪に売り込んだり、食のみやこをアピールしたり、県内の民間企業を元気にしたり、そのためには何でもする、私を上手に利用してもらったらよい、との考えだ。
 半面、今回の雪害対策で見せたように県民の生命と財産を守るためなら全力を挙げる。議会や各種団体とも良好な関係を築く中で政策的なことはきちっとやっていく。その点では片山前知事とも東国原前宮崎県知事とも橋下大阪府知事とも違う。平井流であり、この指とまれ、一緒になって鳥取県を良くしようやという考えが念頭にある。ただ、知事だけが走り回り今回のようにダウンしている。その点では肝心の県庁の総合力はまだ発揮できていないのだが。
 では、何が知事を突き動かすのか。これについては私見だが、初出馬時の自らの体験がベースにあると思う。自民党の候補になかなかならしてもらえなかった自分。順風満帆にきた人生だったが、その時に胸に突き刺さったものがあり、それを超えるため頑張る。当時、知事は「鳥取県に命をささげる」と言ったが、本心だったと思う。だから、病気をしても休もうとしない、休んでいられない。推測の域を出ないのだが、知事には将来、ぜひ本を書いてこの点を説明してもらいたい。知事経験者の地方自治の教科書のような本よりも、よほど読み応えがあろう。
 「熱が下がった」ということで平井知事は12日夜上京し、13日午前に激甚災害指定の要件緩和を各省庁に要望した。相変わらず休まない。(鵜)
 

2011年01月11日

新年に想う@TOKYO CITY

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葛飾柴又は寅さんのふるさと
 ○…新年早々、足に豆をつくった。4日から3連チャンで代理店やスポンサーへのあいさつ回り。鳥取なら車でチョイだが、東京では地下鉄を乗り継ぎ、地上に出てからも歩き、足がパンパンになる。
 3日目は、出版社にあいさつに伺った。まずは音羽グループの講談社や光文社へ。ロビーのショーケースに並ぶ本を見て、この本はここが作っていたのかと勉強になる。続いて古書街で知られる神田神保町へ。ここには小学館を中心とする一ツ橋グループの出版社がある。出版社も大小さまざまだが、入った瞬間、社風のようなものを感じ面白い。老舗の岩波書店のあと、飛び込みで有斐閣へ。法律の専門書などを扱っている出版社だ。聞けば創業125年とのこと。学生時代に使っていただけに(実際には持っていただけだが)、歴史を感じるロビーの展示物は興味深かった。
 この日1日で9社を訪問。ご縁を大切にしたいと思うと同時に、東京では革靴は履けないなと思った。
 ○…正月といえば寅さん。葛飾柴又の帝釈天にお参りした。アパート近くの荒川を越えると葛飾区だ。京成電鉄の高砂駅で金町線に乗り換える。といっても2駅しかない路線だ。電車の外側には人気漫画「こちら葛飾区 亀有公園前派出所」のポスターが。下町ののどかな雰囲気が漂う。
 ところが、柴又に着くとものすごい参拝者。駅前に寅さんのブロンズ像があるのだが、携帯カメラで記念撮影する人でいっぱい。帝釈天までの参道はほとんど歩けない状態で、沿道に並ぶ名物の草だんごは食べられる状況にない。人の多い所は苦手だ。
 帝釈天は本堂の彫刻の美しさなどでも知られ、敷地には尾崎士郎の人生劇場の碑もある。参拝は2回目だが、前回は猿回しも行われていた。近くには寅さん記念館、さらに矢切りの渡しもある。今後は墨田区のスカイツリーと合わせて、観光コースとしての人気に拍車がかかりそうだ。
 初めて知ったことがある。柴又の伝統工芸品は「亀の子たわし」だそうだ。足を運んで学ぶことも多い。
 ○…年末に最新式の3D対応のスマートフォンを買った。東京ではスマートフォンは当たり前の世界、「激変するメディア環境」に少しでも慣れておきたい。しかし、IT関連機器の進化はすごい。音声でグーグルの検索もできる。動画やナビ、音楽…これ一台で大抵のことはこなせる。
 スマートフォンは、アプリケーションを張りつけるのだが、その中に大手5紙のニュースが見れるアプリがある。見出しを押せば、前文が見れ、さらに「元記事」まで読める。しかも無料だ。ありがたいことだが、同業者としては今後、紙媒体はどうなっていくのか心配になる。
 新聞は持った際に、独特の質感がある。見出しがあり、写真があって記事が流れ、整理記者が価値判断に基づき、読みやすいようにレイアウトしている。手段としてのネット検索やスマートフォンが優れていても、記事内容や料理の仕方など、いわば頭脳や職人技にはまだ対応できていない。また、信頼性や読み応え、読者に訴える力など新聞媒体の強みは変わらない。
 しかし、情報を受ける側の環境の変化に対して、新聞側も電子新聞などで対応していかねばならないのも事実。すでに始めているところもある。距離感は難しいが、2011年はいろいろな意味で「再構築」の年か。(鵜)

2011年01月07日

駅とまちづくり…こだわる理由

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駅北開発はどうなるのか
 13日の民主党大会を前に、党内が緊迫している。菅首相ら執行部と小沢グループによる対立は日を追って激しさを増している。大会前日の両院議員総会、さらには内閣改造、通常国会召集、小沢氏の政倫審出席と強制起訴。政局は先が読めない状況だ。一方、昨晩から携帯電話が鳴る。聞けば、県議が理事長を務める倉吉市内の社会福祉法人の問題。こちらも春の統一地方選を前に緊迫している。
 「あれはあれでいいんじゃないですか」と中部本社の記者。前回、ベールを脱いだ新倉吉駅のことを書いたが、やはり評価はさまざまのようだ。鉄道好きだけに思いが強いのだが、駅周辺整備はこれからの倉吉のまちづくりにも大きく影響する。これまでの取り組みも含め、一回整理しておきたい。
 まず、倉吉駅には他にない大きな特徴がある。鳥取でも米子でも、泊でも八橋でもそうだが、通常市街地は駅の北側に広がっている。ところが、倉吉だけが駅南に街が形成されている。よって、倉吉市にとってはいかに駅北側を開発するかが、まちづくりのキーワードになっていた。
 河北地区の区画整理事業に伴い、大型量販店が国道9号に近い旧羽合町に隣接する地域に進出。車社会の到来など時代の流れとともに、倉吉の中心部は北側に移行していく。これに伴い、成徳、明倫地区などかつての商店街はシャッターが目立つようになる。一方、駅北側は民家が密集し道路も狭く区画整理から取り残されていた。そこで駅北整備への取り組みが始まる。
 行政や経済界などはかなり前から、倉吉の発展には駅北の整備が不可欠と認識していた。国道9号と直結する道路の整備など、いかに早く山陰道までつなぐか。青年経済人らは市発展のグランドデザインを描くなど、早くから議論してきた。ところが、行政側との歯車がなかなかかみ合わない。
 一方、市選出の県議は東伯郡選出の大物県議をかついで、県議会に倉吉駅周辺整備の特別委を設置。単に駅周辺のみならず、中部全体の振興策に取り組む狙いだった。倉吉駅は倉吉のみならず、中部や温泉郷の玄関口との認識は多くの人が持っていた。
 その後、駅の橋上化と自由通路の整備など駅北開発の計画が練り上がったのだが、一つ欠けていることがあった。ここまで議論され、市民の悲願であったのに、この整備計画が市民の中で共有されていなかったことだ。だから、期待感が出てこない。
 実は私自身もどんな絵が描かれるのか、いまだよく分かっていない。もちろん、こういう仕事をしているから、水面下の話やそれに関する意見の衝突などは耳にしていた。しかし、倉吉の駅周辺がこんなに変わるんだよと人に説明できなかった。ある時、市内の著名人が今度の駅にはエスカレーターがつかないそうだ、と言う。橋上化やバリアフリーなどを考えてもさすがにそれはないと言ったが、市役所をよく知る人でもその程度の認識だった。
 石田市長は奥ゆかしい性格だが、もっとアピールしてもよい。倉吉100年の計だ。大看板を作ったり、駅周辺整備に伴う事業イベントなどを次々展開し、市民に中部の住民に期待感をもたせてもらいたい。発信していくというのも行政の重要な要素だ。その中でまちづくりにどう生かしていくかなど意識の共有化も図られる。
 駅はシンボリックなものだと考えている。映画の題材にもなるが、まちの将来像を考える大きなポイントになる。外から倉吉に来た人をどう迎えるか、その意味ではもてなしの最前線だ。旅行をしていても駅に降り、そこで観光地への行き方を聞いた際、丁寧に答えてもらったら、その町が本当に好きになる。場合によっては、もう一度来てみたいと思いながら帰りの列車に乗る。
 さらに、駅はコミュニティースペースでもある。地域の人たちが駅で待ち合わせをしたり、お年寄りが待合室で談笑したり、都会から帰ってきた息子を迎えたり、元気で頑張れよと送り出したり。あったかいものを感じる。かつて待合室の座布団を作ったり、人知れず花瓶の花を換えているおばあさんの取材をしたことがある。無人駅は寂しいが、その中でも駅を大切にしたいという気持ちが伝わってきた。
 その点では、利用者や地域の人たちが作り上げていくのが駅と言っていいのかもしれない。建物ができて竣工式をしてお終いではなく、それを地域のためにどう生かしていくかをみんなで考える。新しい倉吉駅は市民に大きなテーマを投げ掛けている。(鵜)

2011年01月05日

帰省ラッシュと倉吉駅

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帰省ラッシュの中、スーパーはくと(右側)に乗り込もうとする乗客=3日、JR倉吉駅
 大雪の正月が明け、3日上京するためJR倉吉駅へ。この日は帰省ラッシュのピーク。予想はしていたが、駅構内は混雑している。持っている切符は自由席。「スーパーはくと」は倉吉発で姫路までは座れるが、姫路からの新幹線は「立ち」を見込んでいた。案の定、「ひかり」はデッキまで帰省客でぎっしり。空間がある列車中央に入っていったのだが、それが良かったのか、新大阪で降りる人があり、東京まで座ることができた。ラッキーだ。今年はいいことがありそうな予感。
 何十年ぶりに帰省ラッシュに遭遇し、考えることがあった。中部の人は過去、倉吉―東京間は寝台特急「出雲」を使っていた。空港は降りてからが面倒。寝てたら着き、2便あり便利だった。東京での陳情を終えた市役所幹部も出雲号で帰り、朝そのまま仕事へ。それが1便となり、ついには伯備線経由・上郡乗り換えの「サンライズ出雲」に。ただ、中部の人は使いにくい。
 列車に限らずなのだが、無くなってみて初めてそのありがたみが分かる。出雲号廃止の際、中部本社の記者がその様子をリポートした。かつて廃線となった倉吉線も絡め、記者は「そこには乗らない自分たちがいる」と締めた。その指摘に対し、出雲号を愛していた県選出国会議員からおほめの言葉をいただいた。「鉄ちゃん」でもあった。
 私も汽車が好きだ。学生時代は「青春18きっぷ」で北海道などを旅した。オホーツク海に面したローカル線と掘っ立て小屋のような駅舎。哀愁を感じた。私は鉄道の音を聞くとわくわくする。あのガターン、ゴトンと揺れる音、列車がすれ違う際のヒューンという音。いわば「音鉄」だ。倉吉に帰省する際も高額な飛行機ではなく可能な限り列車を使う。経費削減にもなる。
 その倉吉に年末、新しい駅舎が姿を現した。悲願の駅北開発と連動した整備で自由通路で南北の一体化が図られるという。が、その駅舎を目にし、なぜか違和感を感じた。ガラス張りを前面に木材が縦線を描いた、和風の雰囲気を醸し出す建物。表現が難しいが、私の感覚では首相官邸風だ。
 駅の隣には倉吉のまちの特徴を生かした土蔵風の派出所、さらに回廊(バスターミナル)の先に瓦屋根の情報プラザがある。設計者には意図があり、コストやその後のメンテナンスのこともあることは分かる。土蔵風がいいとは言わないが、私の感覚とはフィットしないのだ。
 夜の街の何カ所かで複数の経済人と一緒になったが、だいたい同じことを言う。県外関係のようだが、倉吉のいい面も悪い面も知っていたら、ああいう建物にはならないのでないか、ということだ。もちろん、私は建築の素人で主観がおかしいのかもしれないし、すでに出来上がっておりどうにもならないのだが、いろいろなことが頭をめぐる。
 これから開発が進む駅北からの風景はどうなるのか、倉吉駅は中部の、温泉郷の玄関口でもあるが、倉吉は遥かな町で売り出しているが、かつて倉吉はトイレ一つにもこだわったが、バブルの塔のような未来中心はコンペ方式を採用したが。倉吉の高校が甲子園に出たら懸垂幕はどうするのかまで考えてしまう。
 設計や建築の世界は、地図に残る仕事であり、いまの評価と50年後の評価は違うであろう。倉吉市役所は著名な建築家の作だが、いまとなってはそのことを言う人も少ない。斬新なものでも、使い勝手はどうかということもある。見る角度によってさまざまな声があり、評価も人によって違う。目が慣れてきたら、周囲に溶け込んでいくものでもある。
 一方、外からの目は内の人間が気付かない、息吹のようなものをもたらしてくれることがある。その点では、可能性のある新倉吉駅と言っていいのかもしれない。かつてこんな話を聞いたことがある。「出張から帰り、上井(現倉吉駅)から倉吉線に乗ってカーブに差し掛かると、打吹山がシルエットで見えてくる。倉吉に帰ってきたんだなあと思う」。市民の心の中に入っていくような倉吉駅であってほしい。(鵜)