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帰省ラッシュと倉吉駅

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帰省ラッシュの中、スーパーはくと(右側)に乗り込もうとする乗客=3日、JR倉吉駅
 大雪の正月が明け、3日上京するためJR倉吉駅へ。この日は帰省ラッシュのピーク。予想はしていたが、駅構内は混雑している。持っている切符は自由席。「スーパーはくと」は倉吉発で姫路までは座れるが、姫路からの新幹線は「立ち」を見込んでいた。案の定、「ひかり」はデッキまで帰省客でぎっしり。空間がある列車中央に入っていったのだが、それが良かったのか、新大阪で降りる人があり、東京まで座ることができた。ラッキーだ。今年はいいことがありそうな予感。
 何十年ぶりに帰省ラッシュに遭遇し、考えることがあった。中部の人は過去、倉吉―東京間は寝台特急「出雲」を使っていた。空港は降りてからが面倒。寝てたら着き、2便あり便利だった。東京での陳情を終えた市役所幹部も出雲号で帰り、朝そのまま仕事へ。それが1便となり、ついには伯備線経由・上郡乗り換えの「サンライズ出雲」に。ただ、中部の人は使いにくい。
 列車に限らずなのだが、無くなってみて初めてそのありがたみが分かる。出雲号廃止の際、中部本社の記者がその様子をリポートした。かつて廃線となった倉吉線も絡め、記者は「そこには乗らない自分たちがいる」と締めた。その指摘に対し、出雲号を愛していた県選出国会議員からおほめの言葉をいただいた。「鉄ちゃん」でもあった。
 私も汽車が好きだ。学生時代は「青春18きっぷ」で北海道などを旅した。オホーツク海に面したローカル線と掘っ立て小屋のような駅舎。哀愁を感じた。私は鉄道の音を聞くとわくわくする。あのガターン、ゴトンと揺れる音、列車がすれ違う際のヒューンという音。いわば「音鉄」だ。倉吉に帰省する際も高額な飛行機ではなく可能な限り列車を使う。経費削減にもなる。
 その倉吉に年末、新しい駅舎が姿を現した。悲願の駅北開発と連動した整備で自由通路で南北の一体化が図られるという。が、その駅舎を目にし、なぜか違和感を感じた。ガラス張りを前面に木材が縦線を描いた、和風の雰囲気を醸し出す建物。表現が難しいが、私の感覚では首相官邸風だ。
 駅の隣には倉吉のまちの特徴を生かした土蔵風の派出所、さらに回廊(バスターミナル)の先に瓦屋根の情報プラザがある。設計者には意図があり、コストやその後のメンテナンスのこともあることは分かる。土蔵風がいいとは言わないが、私の感覚とはフィットしないのだ。
 夜の街の何カ所かで複数の経済人と一緒になったが、だいたい同じことを言う。県外関係のようだが、倉吉のいい面も悪い面も知っていたら、ああいう建物にはならないのでないか、ということだ。もちろん、私は建築の素人で主観がおかしいのかもしれないし、すでに出来上がっておりどうにもならないのだが、いろいろなことが頭をめぐる。
 これから開発が進む駅北からの風景はどうなるのか、倉吉駅は中部の、温泉郷の玄関口でもあるが、倉吉は遥かな町で売り出しているが、かつて倉吉はトイレ一つにもこだわったが、バブルの塔のような未来中心はコンペ方式を採用したが。倉吉の高校が甲子園に出たら懸垂幕はどうするのかまで考えてしまう。
 設計や建築の世界は、地図に残る仕事であり、いまの評価と50年後の評価は違うであろう。倉吉市役所は著名な建築家の作だが、いまとなってはそのことを言う人も少ない。斬新なものでも、使い勝手はどうかということもある。見る角度によってさまざまな声があり、評価も人によって違う。目が慣れてきたら、周囲に溶け込んでいくものでもある。
 一方、外からの目は内の人間が気付かない、息吹のようなものをもたらしてくれることがある。その点では、可能性のある新倉吉駅と言っていいのかもしれない。かつてこんな話を聞いたことがある。「出張から帰り、上井(現倉吉駅)から倉吉線に乗ってカーブに差し掛かると、打吹山がシルエットで見えてくる。倉吉に帰ってきたんだなあと思う」。市民の心の中に入っていくような倉吉駅であってほしい。(鵜)

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