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2009年05月28日

DD54

 西行きのブルートレインが廃止になり、残ったのは「あけぼの」「北斗星」「日本海」「北陸」の4つ。いずれも赤い交直流電気機関車が牽引します。東京発のブルトレたちは青い電気機関車に引かれていました。一番最近はEF66、その前はEF65-1000、EF65-500で、長い間受け持っていました。

 僕たちが中学校のころは空前のブルトレブームで、EF65-500の全盛のころでした。ヘッドマークも輝かしくきらめいていたんです。ところが、そのころに110㌔で走るフレートライナーというコンテナ専用の特急貨物が登場して驚かされました。それを引いていたのはEF66。14両編成の寝台を引いていたEF65の2550KWの出力に比べ、50両ものコンテナ台車を引くEF66は3900KWという出力で、遅い代名詞の貨物輸送に革命をもたらしたのです。この機関車にブルトレを牽引してもらい、その雄姿を写真に撮るのがあこがれでした。でも、それはそのころにはかないませんでした。

 そのころに山陰線を走っていたのがDD54というドイツの技術を移植した赤いディーゼル機関車。姿形がEF66の面影を持っていて、赤い出雲のヘッドマークも青い20系客車も良く映えるカッコよさでした。DF50と時々交代していましたが、出雲のDD54牽引姿を撮ることにもあこがれたものです。いろいろなトラブルで短命に終わってしまったのですが、今でも夢に出てくるほどのカッコ良さを持っていました。だってその後に出雲を長年牽引したのはまったく華のないDD51だったんですから。(修)
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コンテナを牽引して名古屋駅を通過するEF66 鳥取駅付近で貨物を牽引するDD54

2009年05月27日

大東京の地下鉄の謎(2)

東京支社に在勤中、最寄の駅だったのが「赤坂見附」である。ここは永田町駅と改札内で連絡しているため、銀座線・丸の内線・半蔵門線・南北線・有楽町線の5路線が乗り入れることとなり、都内の地下交通の要所となっている。MITUKE010.jpg

赤坂見附駅は銀座線の駅として五島慶太が設立した東京高速鉄道によって昭和13年に建設された。駅の形状は、今と同じくB1とB2にホームが分かれていたという。その後、昭和34年にそれぞれのホームの隣に営団地下鉄丸の内線のホームが建設された。

赤坂見附駅にまつわる謎 「丸の内線 赤坂見附駅は戦前から存在した」
「戦後開通した線の駅が戦前から存在するわけない」と怒られそうだが、東京高速鉄道略史によると新宿~赤坂見附間は戦前から既に着工されていたというのだ。東京の地下鉄で戦前から開業していたのは銀座線のみで、次に開業した丸の内線、その次に開業した日比谷線とも開業は戦後である。ところが地下交通のインフラは戦前から整備が進んでいたと言われる。東京の地下鉄網が戦後飛躍的に広がっていったのにはこういった背景がある。

「東京の地下鉄各駅の地底には、戦前の国家機密が眠っている。」
戦前の赤坂見附・永田町といえば国会議事堂の他にも陸軍参謀本部があり、今と変わらず国政の中心地であった。したがって、戦前・戦中にかけて外敵から安全な地下インフラの整備を急いでいたとしても何ら不思議はない。一説によると、首都高速三宅坂JCTの千代田トンネルも戦前から既に掘られていたものだと言われているように、東京の地下には様々な謎が眠っているのである。(岳)

2009年05月25日

絶滅危惧種② キハ58系

先日、岩美駅に懐かしい気動車が止まっていました。キハ58+28の2両編成で、岡山電車区気動車センター所属(岡オカ)とありました。おそらく週末の「あまるべマリン号」で使用するため、因美(または伯備線?)・山陰線経由で回送中だったものと思われます。3番線でカラカラと音をたてながら、上下の定期列車が過ぎ行くのを待っていたようでした。

山陰線でもつい最近まで「とっとりライナー」に使われお馴染みだった気動車ですが、2003年の山陰線高速化工事完了に伴う新型車両(キハ126)の導入により、姿を消してしまいました。

旧型客車の普通列車が残る時代、「快速わかとりライナー」として華々しく登場した頃は斬新でした。鳥取―米子を2時間以内で結ぶ快速は常に満員だったように記憶しています。高校時代は通学に使用しました。元々急行型気動車なので、ボックス席もゆとりがあり、座席と通路も分けられていたので、古くても快適な車両だったように思います。

岡山で保存されているのは、2007年7月のダイヤ改正で消滅した「急行みよし」に使用されていた車両だそうです。国鉄色に戻され、因美線で「みまさかスローライフ列車」としてしばしば使用されています。

この車両も、イベントでしか姿を見せなくなりました。そう考えると、急速に世代交代が進んでいます。(北)

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2009.5.15 岩美駅

2009年05月22日

表定速度

  いつも乗っている列車がどれくらいの速度で走っているかご存知でしょうか? 速度の表示の仕方にも何種類かあって、最高速度や表定速度などとして表されます。日本の列車の営業運転の最高速度はご存知「のぞみ」500系とN700系の時速300㌔が国内では最速です。500系は運用変更によって現在はこだまに使用されているため、300㌔運転を行っていないのかもしれないのですが・・・。在来線では北越急行のほくほく線を走る「はくたか」が時速160㌔運転をしているのが最高。JRでは130㌔が最高速度と定められています。私鉄は近鉄の130㌔が最高。名鉄、東武、京急などが120㌔、その他は110㌔です。

 それぞれ最高速度は、レールの強度(新幹線用は1㍍60㌔㌘、ローカル線などは1㍍40㌔㌘など)、カーブの半径、線路の構造、車両の性能などに左右されます。北越急行は全線立体交差となっているため、踏切事故などの危険がないので160㌔運転しているんです。車両はJRの「サンダーバード」などと同じ681系なので、物理的にはJRでも湖西線などで160㌔運転は可能ですが、ごく限られた区間となるため、到達時間短縮などがごくわずかとメリットが少ないので行われていません。

 新幹線や近鉄、阪急などの一部の私鉄、大阪市営地下鉄などは1435㍉のレール幅、在来線は1067㍉のレール幅で、前者は標準軌、後者は狭軌と言われており、世界標準は1435㍉となります。幅が広ければ安定感が増すのはごく当然のことではあります。この狭軌の世界で160㌔運転を行っているのは狂気ともいうべき、信じがたいことです。

 山陰線は鳥取-出雲市間は120㌔、その他の区間は95㌔となっています。智頭急行区間や山陽本線は130㌔、「スーパーはくと」が速いと感じるのは現実にスピードが出ているからなのです。ちなみに、「スーパーはくと」の車両HOT7000系も160㌔運転が可能な車両です。
 
 最高速度はこんな感じですが、列車で評価されているのは出発駅から到着駅までの走行距離を到達時間で割って表される表定速度です。これは、停車駅での停車時間も含まれますので、高い速度を維持するためには停車時間を短くしたり、山陰線などの単線区間ではどこでどう列車をすれ違わせるかなど、ダイヤ編成には大きな苦労がついて回っているのです。事故や故障などである列車が遅れたりすると、ダイヤ編成担当がものさしで線を引いた修正のダイヤグラムができないと、列車は走ることができないのです。大勢の乗客の安全を確保したうえで日々の運行を行っているのです。

 そんな中で、鳥取-米子間の「スーパーまつかぜ」は表定速度94㌔と、信じられないスピードで駆け抜けているんです(「はくたか」でも表定速度は102㌔、在来線の最高はJR北海道の「スーパー北斗」の106㌔)。181系時代の「まつかぜ」や「あさしお」、「はまかぜ」は60㌔台だったんですよ。ディーゼルでもインフラがあればできるということを証明してくれています。鳥取の鉄道ファンも胸を張って、「スーパーまつかぜ」や「スーパーはくと」が自慢できます!!(修)
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千代川橋梁を疾駆する82系まつかぜ=1974年


2009年05月20日

大東京の地下鉄の謎(1)

大東京の地下は謎だらけ。中でも有名なのは東京メトロ銀座線「幻の新橋駅ホーム」

わが国で最初の地下鉄を走らせたのは、地下鉄の父と呼ばれる「早川徳次」である。彼が経営する東京地下鉄道は昭和2年に浅草~上野間をいち早く開通させたあと、昭和9年には銀座まで線路を延ばし、同年6月に新橋まで延伸させた。ところがその早川の前に立ちはだかった男がいた。東急電鉄の創始者「五島慶太」である。
 五島の経営する東京高速鉄道は昭和10年から、虎ノ門を起点に地下鉄建設を始めた。昭和14年には虎ノ門~渋谷、虎ノ門~新橋までを一気に完成させた。
 ここでお解り頂けよう、今の銀座線渋谷~浅草間は1本でつながっていなかったのである。それぞれの新橋駅で乗りかえる必要があったのだ。これより、相互乗り入れを主張する五島とそれを頑なに拒む早川との新橋駅をめぐる男の戦いが繰り広げられる。
 最終的には鉄道省の調停により、東京地下鉄道側の新橋駅で線路をつなぐことを認めさせた。五島の全面勝利である。結果、東京高速鉄道側の新橋駅は1年足らずで姿を消してしまった。これが今も現存する「幻の新橋駅ホーム」なのだ この「幻のホーム」は現在の銀座線からも乗り入れが可能なため、留置線として使用されている。地下鉄開通80周年を記念して一昨年の12月、この幻のホームは一般公開された。
 次は赤坂見附、赤坂見附です。(岳)

2009年05月18日

絶滅危惧種 キハ33型

(修)さんが形式のお話をしてくれたが、山陰本線の鳥取―浜坂間で運用されている車両のひとつに、両運転台のキハ33型という希少で貴重な形式の車両がある。客車にエンジンを載せて無理矢理ディーゼルカーに改造された、波乱に満ちた人生を送ってきた車両である。全国でわずか2両しか製作されなかったが、両運転台で使い勝手がいいのか、いまも現役で使用されている。

 この車両は、元々50系客車として山陰でも活躍していた。マニアじゃない方でも、あずき色の客車を覚えている人は少なくないだろう。50系客車は旧型客車(ドア開けっ放しの青色の客車)に変わる新鋭として登場したが、その後ディーゼルカーへの切り替えが進んだため、年数が経過していないにもかかわらず余剰が生じた。そこで、1988年に50系客車(オハ50形)を改造して、このキハ33が誕生したのである。新車よりも低価格で気動車を増備し、なおかつ余剰車両を有効に活用することができると考えられた。(参考文献:ウィキペディア)

 小学生の頃、私は祖母の家に行くため米子―倉吉間を母に連れられてよく往復していたが、あずき色の50系客車の登場は斬新だった。過ぎ行く風景と線路を眺めることができる最後尾が私の特等席で、駅に止まると暖房用の蒸気で窓の外が真っ白になったことを思い出す。静かで明るく、広々として乗り心地の良い客車だった。線路の継ぎ目を刻む軽快な音が心地よく、まさに「鈍行の旅」といった感じだった。山陰でもその後ディーゼルカーが普及し、50系客車は一部トロッコ用を除いて廃止されたが、高校生の頃、久大本線まで乗りに行ったことがある。

 前置きが長くなったが、キハ33型は、そんな50系客車が前身だ。両端に運転台が設置され色もオレンジ色に変わっているが、角ばった顔立ちや窓枠など、どことなく50系の面影を感じないでもない。乗ってみると、座席などは雰囲気的にキハ40とあまり変わらないが、運転台がフラットで前面展望も良く、今の120系や3セク車両の原型のようにも思える。ワンマン列車としても使い勝手が良さそうで、廃車を免れて現在も使用されていることに納得がいく。長らく境線で運用されていたが(魚列車や鬼太郎列車だった)、2004年8月頃に鳥取鉄道部西鳥取車両支部に転属し、鳥取―浜坂間で運転されるようになった。ちなみにトイレがないため、キハ47とセットで使用される。

 ステンレス製のキハ120系や126系、127系への置き換えが西日本で進む中、この形式もいつまで走り続けるか分からない。最近あまり姿を見ないので「もしや廃車か」と思っていたが、つい先日福部駅で生息を確認したので写真に収めた。いずれ姿を消す絶滅危惧種。50系の思い出とともに、乗るなら今のうちかも。(北)

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2009年5月12日 福部駅にて

2009年05月15日

車両に貼ってあるアレって何?

 前回は貴重なフィルムを使って・・・などと書いたのですが、こんな写真も撮っていたなんて、とほほ。今回はこれらの写真を題材に。
 高校2年から3年になる時の春休み、京都から出雲市行きの「山陰」号に乗っていました。乗っていた車両は-ナハ10 310- という番号がついていました(ナハ10というのはまったく記憶にないので適当)。妙に”310”という番号が気になっていましたが、3年生のクラスは10組になりました。こんなところに暗示があったのには少々驚きました。ところで、この「ナハ」とか「キハ」とか「HOT」などというこれらの記号?って何なのでしょうか。
 一般客車(機関車に引かれて走っている車両)は左から重量記号、用途記号(緩急車については記号の末尾に「フ」が付く)、 車種を表す番号、台車の構造を表す形式番号、製造番号の順に並んでいるんです。ちなみに右の写真ではオハフ45 6とありますが、オ(32.5t~37.5t未満)ハ(普通車)フ(緩急車・簡単に言えばブレーキ付)4(一般形客車)5(2軸ボギー台車)6(製造番号)ということになります。昔の列車は長い編成が多かったので、機関車が引っ張る重量を非常に気にしていたのです。でも、ブルートレインが北行きだけになってしまい、機関車が客車を牽引する列車はほとんど無くなってしまいました。ところで見にくいけれど、別府経由東京行きという列車のネーミングはご存知ですか?
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 この辺を走っているのは気動車(ディーゼルカー)と呼ばれていますが、左の写真を参考に言いますと、キ(気動車)ハ(普通車)8(特急型、181系以降では18と標記)2(80系の第2系列)、5(製造番号)となります。スーパーはくとはいわゆる私鉄なので旧国鉄の型式にしばられることなく、ネーミングされています。HOT7000系は兵庫(H)岡山(O)鳥取(T)のイニシャルを使用しています。7000は710馬力エンジンを搭載しているからか?
 鉄道ファンの奥はまだまだ深いのです。ゆっくりともぐって行きましょう。(修)

2009年05月11日

鉄な景色

私は昨年夏まで東京に単身赴任していましたが、当時撮り貯めた風景写真からお気に入りの1枚をピックアップします。
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聖橋と総武線と東京メトロ丸の内線が交差する御茶ノ水駅付近です。丸の内線の車両しか写っていないのが残念ですが、モダンな都会の風景に鉄路がベストマッチングで、ここは私的な東京百景には欠かせないポジションなんです。

次回はそんな東京時代の思い出から、地下鉄にまつわるいくつかのお話をしようと思います。(岳)

2009年05月09日

181系最後の活躍

 先日、特急「はまかぜ」が新型車両に置き換えられる、というニュースが飛び込んできました。日本海新聞ホームページでも、アクセスランキングは堂々1位(4月)で関心の高さが感じられました。発表された内容とイラストを見る限り、新型は「スーパーまつかぜ」「スーパーいなば」で利用されているキハ187系とは異なる、全く新しい車両のようです。形式は発表されていませんが、順番でいくとキハ189系でしょうか???いずれにしても、今から楽しみです。
 ファンとしては、新型車両の性能や設備などにも興味津々なのですが、これを機に現在使われているキハ181系が廃車されるということに、やはり寂しさを感じます。智頭急行が開通するまで、優等列車といえばこの形式でした。少年時代、心を弾ませながら乗った特急「あさしお」は、181系でした(他の2人の執筆者は80系世代でしょうけど…)。「おき」もこれでしたね。忘れている人も多いかもしれませんが、「はくと」も開通当初は一部これでした(スーパーはくとではなく、通常のはくとです)。
 発車時の大げさなエンジン音。重厚な車体。ディーゼル特有の黒煙。電車と比べると、決してスマートな顔立ちとは言えませんが、山陰地方にとっては、非常に馴染み深い形式です。
 今や、この形式が現役で使われているのは「はまかぜ」だけになりました。全国でもここだけです。新型車両の導入は2011年春。もう少し、ロスタイムがあります。余部鉄橋と181系の共演も最終章です。人々の夢を運び続けた181系の最後の活躍を、静かに見守りたいと思います。
 願わくば、0系のように最後にもう一度、国鉄色に戻してほしいのですが―。(北)

■関連ニュース
ゆったり快適に はまかぜ新車両、11年春運行へ
2009年04月07日
http://www.nnn.co.jp/news/090407/20090407038.html

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夜明け前の鳥取駅で出発を待つ「はまかぜ2号」大阪行。181系の活躍もカウントダウンに入った

2009年05月07日

線路は続くよ.....

岳さんのコメントによると、僕は「撮り鉄」ということになるのでしょうか。親父のカメラを持って友達と二人で夜中の駅をうろうろしたのが中学生の頃。その頃はあんまり仲間(同類)はいなかったので、いっつもベストポジションからの撮影が可能でした。ただし、カメラも旧かったけど、さらにストロボが古くて、球を1球ずつ取り替えるやつ(知っていますか?)。フィルムはもちろんネオパンSS。1枚1枚が貴重な光源やフィルムで撮られたものでしたが、写真のできは今一から今二。いまどきのデジタルカメラがうらやましい...を通り越して、夢のような機材です。通過していく列車たちも懐かしいが、名古屋駅のホームのきしめんが、すっごくうまかったのを一番よく覚えています。今でも、名古屋に行くときしめんを食べて帰ります。最近はとんと撮影には行かなくなり、すれ違いざまに1枚などと、堕落もはなはだしくなっていますが、線路は続くよどこまでも同様、鉄道ファンスピリットも永遠です。(修)
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八東駅舎に寄りかかる案山子のかなたに続く続く線路

2009年05月02日

Vol.2 “鉄”にもいろいろありまして…。

鉄道に乗るのが好きな人を「乗り鉄」、鉄道写真を撮ることを趣味にしている人を「撮り鉄」と言うが、時刻表を読みながら机上旅行に勤しんでいた私はさながら「読み鉄」になるのだろうか。

そんな私の子供のころからの愛読書だったJTB時刻表がこのたび通刊1000号を迎えた
この時刻表には旅のすべてが詰まっている。電車・バス・飛行機など大方の国内交通機関の時刻表から運賃・ホテル代・弁当代など旅の経費計算までなんでも来いだ。

利便性はネットの路線検索にかなわないとしても、目的地までの道程を地図と時刻表を交互にめくりながらじっくり考えてゆく楽しさはネット検索では味わえない。根強いファンに支えられ、1000号まで到達したのはこの時刻表ならではの魅力があるからに他ならない。(岳)