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2009年07月31日

鉄の体にも温もりが

 鳥取城北高校のみなさん、野球部甲子園出場おめでとうございます。創部40年の悲願達成、心よりお祝い申し上げます。
 わが母校も草創の頃より、何度か甲子園に出場させていただいております。何度か甲子園にも応援に行きました。鳥取県勢はなかなか勝ち上がれないのですけれど、アルプスで久しぶりに会う友人たちと一緒に応援しているというのはめったに得られない貴重な体験になりますよ、応援に行くみなさんも一生懸命応援してあげてください。
 応援には、よくバス何台で、昨日の何時に出発しましたとか実況のアナウンサーが紹介していたりしますが、鳥取は地の利も良いためJRの(国鉄?)の応援列車もよく出ていました。僕が応援に行ったのは車でしたが、列車で、志が一つの人たちが乗り合わせて行くのは、それはそれは楽しいに違いないのではと想像しています。
 中学のときは修学旅行で修学旅行用団体列車「こまどり」に乗って東京へ行ったりしたこともありました。鉄道は鉄の軌道上を鉄の車輪で走る無機質なものに感じますが、応援列車を仕立てたり、修学旅行用列車を運行したり、無機質ではないところをちゃんと持ち合わせているんですよ。
 中学のときには中日球場にドラゴンズを応援によく行きました。降りる駅は名鉄の中日球場前という、準急も止まらない駅ですが、試合がある時は特急も含めて、どの列車も止まるんですよ。この前、西武の試合がパリーグ史上、最長とっなた時、西武鉄道は通常の最終電車後に臨時列車を走らせ、野球ファンの気持ちに応えてくれました。胸のすく出来事でした。
 利益優先の経済倫理にだけとらわれていないということを身をもって示してくれました。心温まる、粋な出来事でした。
 自動車がそうではないと言っているのではありませんが、鉄道はそうした心優しい、地域の人々に密着した面を持っているということを皆さんも覚えていてほしいなと思います。
 ところで、今年は応援列車が出るのでしょうか?応援列車はどんな経路で甲子園まで行き、甲子園口でみんなが降りるのでしょうか?乗ったことがないので、申し訳ないのですが知りません。ついででいいですから、教えてください。(修)

2009年07月29日

鉄旅 in korea③

2時間待ち合わせの後、ようやく列車は目的地ドラサンに向け出発する。

出発してすぐに臨津江を渡る。進行方向右側に見えるのは、かつて複線だった京義線の橋脚の残骸である。imujingawa.jpg
朝鮮戦争の傷跡が生々しい。折からの大雨、暗欝な気分が募ってゆく。

列車は5分ほどで、ドラサン駅に到着。dorasaa1.jpg
2000年の南北首脳会談で合意された南北鉄道連結事業で駅は全面改装され近代的な駅に生まれ変わっている。手荷物検査場や出入国窓口など、駅には将来の南北直通列車運行のための施設が用意されている。残念ながら、現在和平交渉は現在暗礁に乗り上げている、北朝鮮がいち早く交渉の席に戻ってくるのを祈るばかりである。dorasan2.jpg


ここからツアーバスに乗り換え、戦争時に掘られた大塹壕「第3トンネル」に向かう。一歩駅を出れば、写真撮影はできない。外の景色を撮ろうとしたら、案の定憲兵さん見つかってしまい、けたたましい警笛を鳴らされてしまった。

第3トンネルはすっかり観光施設化していた。ヘルメットをかぶりカタカタとトロッコに揺られながらテーマパークを周遊している感じ。もっとも塹壕なので天井は低く、時折コツンと頭を打つ。トラ展望台へ向かうが、あいにくの大雨で国境付近の景色もかすんだまま。爆撃を受けた機関車の残骸なども見えずじまいだった。雨にたたられたおかげで、結局ツアー自体は味気ないものとなった。

靴とジーンズはぐっしょり。真夏の韓国DMZツアー、思いだされるのは雨・雨・雨だ。
最後に、ソウル到着後に食べた「参鶏湯」samgetan.jpg
が五臓六腑に沁み渡ったことを付記しておく(岳)

2009年07月27日

【鉄な鉄則】駅では池を探せ

国鉄時代から続く、ある程度の規模の駅には、なぜか池があります。
たいてい水が無く枯れれていますので、正確には、池の「跡」です。
必ず、というわけではありませんが、探してみると、小さな田舎の駅でも、意外とあるものです。

ここ、山陰本線福部駅でも発見しました。

池は、駅舎と呼んでいいのか迷うほど小さな待合室を出て、右手数㍍のところにあります。
植栽に隠れていますが、それらしきものがちゃんと残っています。

昔の駅舎には、小さな庭園や池があり、
それらがきれいに整備されていたものです。
駅長や駅員の「誇り」だったのでしょう。

今はさびしい無人駅ですが、この枯れ池のどこかに、
在りし日のにぎわいが映し出されているように感じました。

みなさんも、駅で「池」を探してみてください。
ただし、近隣住民や駅員さんに怪しまれないよう。(北)

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簡素な待合室しかない福部駅。池は写真左の植栽付近にあります。

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2009年07月24日

EF58 1号機

 先週はブルートレインを牽引して名古屋駅を通過するEF65を特集して紹介しましたが、今週はEF58をご紹介します。直流電気機関車です。東海道・山陽本線でブルートレインのいなば・紀伊、出雲2号などを牽引していましたし、銀河、桜島・高千穂、あおもりなどの数々の急行列車や東海道・山陽本線、東北本線のほか、高崎線、紀勢本線などで総数170両以上の機関車が普通列車や貨物列車を引いて1986年まで現役で活躍。1952年の量産開始から30数年に渡ってあちこちを走り回っていました。EF58と言えば天皇陛下が使用されるお召し列車を牽引するぶどう色の60号機、61号機が有名です。古くは緑色に塗装されて「青大将」というニックネームを付けられたものなど東海道・山陽本線でつばめやはと、たくさんのブルートレインを牽引しました。下に貼った写真は昭和49年頃に名古屋駅で撮影した1号機です。なかなか、1号機なんていうのにはお目にかかれませんので、私にとっては貴重な1枚です。
 山陰本線ではD51蒸気機関車、DD54、DF50、DD51といったディーゼル機関車が客車、貨物列車を牽引していたのでよくご存知でしょうが、出雲が廃止され、貨物列車がなくなった今はもう目にすることはできません。(修)
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名古屋駅に停車中のEF58-1号機

2009年07月22日

鉄旅 in korea②

思わぬ大雨と冷房の利きすぎた車内にいたせいで、メンバー4人とも鼻などすすっている。ここイムジンガンでDMZツアーのチケットを手に入れたはいいが、目的地の都羅山(ドラサン)行きの列車がくるまで2時間余り。はてさてどうやって時間を潰すか?そして、体力は持つのか?

 イムジンガン駅構内の壁一面が寄せ書きで埋められているimujin1.jpg
。おそらく我々のように列車の待ち時間に書かれたものだろう。しかし、悲しいかななんて書いてあるのか読めない。ほとんどがハングルで書かれたもの。つぶさに見てみると、日本語で書かれたものを1つだけ発見!せっかくの記念だ私も書いてみるimujin2.jpg
。まあ、なんと他愛のないいたずら書き・・・。今思えば「南北平和」位書けなかったのかのかと赤面してしまう。
 構内の売店兼食堂が開いたようだ。何か温かいものないかなと思いつつメニューを物色、あった~(涙)
鍋焼きうどん!なんと気の利いたメニューなんだ。ところで韓国にもうどんがあったの?ああーん、そんなのどうでもいい。とにかく掻き込めimujin3.jpg
。眼鏡も真っ白です。まさに命のうどんだ。ようやく生気がみなぎってきた~。
 そんなこんなでようやく列車の時間が近づいてきた。改札前に手荷物チェックをされる。非武装地帯に足を踏み入れるのだ、観光といっても西側(古い言い回し?)の人間のひとりなのだから・・・。ホームに立つ数人の兵士たちimujin4.jpg
。厭がおうでも緊張が高まってきた。

続きは次週に(2週じゃ収まらない)・・・。 (岳)

2009年07月20日

いで湯のわく駅

貝殻節で知られる浜村温泉。同温泉の玄関口である浜村駅には、貝殻をもった子供たちのオブジェがあり、その下に温泉がしゃんしゃんと湧いています。何年か前に足湯も整備され、気軽に温泉が楽しめるようになっています。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も訪れた温泉地ですが、かつての賑わいはどこへやら。今は旅館が1件だけしかなく、閉鎖した旅館が朽ち果てながらそのまま残っている姿は無残としか言いようがありません。智頭急行が開業し、確かホームの高さが合わないことが問題となり、浜村駅に特急が止まらなくなりました。そして、ますます寂れていきました。いや、列車で温泉を訪れる客が既に少なかったからホーム改修まで行わなかったのか。どちらが先か知りませんが、悪循環に陥っていったことは確かです。

しかし裏を返せば、この寂れた感じが、また良いのかもしれません。駅から歩いて5分ほどの場所に共同浴場や展望露天風呂のある「浜村温泉館」もあります。途中下車して、次の列車の時刻までのんびりと足湯に浸る。駅前の喫茶店「ベニヤ」に入れば、時が止まったような感じがします。

鹿野温泉の玄関口でもあります。
鹿野には全国発信している劇団「鳥の劇場」もあります。
1日に数本でも特急が停車すればいいのに。

同駅を猛然と通過していく「スーパーはくと」を見ながら、ふとそんなことを思いました。(北)

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2009年07月17日

不幸な出来事

 中学時代の写真を何度か紹介しましたが、これらもそう。列車番号1番の「さくら」3番の「はやぶさ」5番の「みずほ」「富士」「あさかぜ」「瀬戸」など、みんな牽引のEF65の前面に誇らしげにヘッドマークを表示していました。山陰方面へは「出雲」と「いなば」(東京‐名古屋は紀伊を併結)の2往復が走っていました。「いなば」はごく短期間で「出雲3号」に名称変更されましたのでヘッドマークは造られませんでしたから、写真は撮れませんでした。ところが、名古屋駅で順々に到着するブルートレインを待っていて、次々にフィルムに収めていったのですが、「出雲」を引いてきたEF65にはまったく残念ながらヘッドマークが取り付けてありませんでした。山陰の鉄道ファンには非常に不幸なことでした。その後、山陰線でも「出雲」の写真を何度か撮りに行きましたが、DD51にもヘッドマークが付いてなく、僕の写真コレクションには「出雲」のヘッドマーク付の写真は無いということに、この間気づきました。鉄道ファンを標榜しながら、そのコレクションが無いことに気がついたのは、「出雲」が廃止されてから2年も経った後だなんて、ファンという名を返上して”好き”ぐらいにしておいた方が良いと思っているこの頃です。(修)
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さくら、みずほ、はやぶさ、富士、あさかぜ、瀬戸に燦然と輝くヘッドマーク。ソニーの乾電池のおまけに付いてきた出雲のヘッドマークと20系出雲の後姿

2009年07月15日

鉄旅 in korea①

先週の7日から10日まで韓国に社員旅行に行ってきました。この旅の最大目的は韓国の鉄道に乗ること。南北朝鮮分断の歴史の象徴でもある京義線に乗り、第3トンネルなどDMZ(非武装中立地帯)に足を踏みいれました。OPツアーでは味わえないスリルとサスペンスに満ちた旅でした。今週、来週と2回に分けてレポートします。

メンバーは私を入れて4人。ホテルを6時半に出発し、ソウル発ムンサン(汶山)行き7時半過ぎの列車に飛び乗る。最新型の車両だったのでちょっとびっくりtetutabikorea1.jpg
。座席は日本の通勤電車と同じ対面シート。ちょっと拍子抜け。前日の酷暑から一転、朝から大雨で少し肌寒いにもかかわらず冷房全開。冷蔵庫状態の車両で、前夜飲みすぎて腹を下していたメンバー約1名が人生最大のピンチを迎える。一人だけ下ろすわけにもいかず、4人で途中下車。

次の列車が来たのがそれから20分後。汶山まで1時間足らずの道のり。汶山から乗り換え、2駅先のイムジンガン(臨津河)で下車。ここ臨津河がDMZ(非武装中立地帯)ツアーの起点となる。朝からの雨はゲリラ豪雨となり駅舎から足を踏み出せない状態tetutabikorea2.jpg
。目的地ドラサン(都羅山)行きの列車がくるまで2時間あまり、寒くて死にそう。さてさて続きはいかに・・・。(岳)

2009年07月13日

山陰新幹線

商工会議所青年部山陰地区協議会のメンバーが、山陰線へのフリーゲージトレイン導入をめざし、国交省で要望活動を行ったとの記事が、8日付の本紙で報道されました。

フリーゲージトレインとは、新幹線から在来線に直接乗り入れが可能な可変軌間列車のこと。新幹線と在来線は線路の幅が違いますが、列車の車輪と車輪の間の幅を変えることで、相互乗り入れを可能にしようというものです。国が実用化に向けて試験中ですが、まだ導入のメドは立っていません。商工会青年部の方々は、東西に走る山陰線に導入できないか、ということで活動されているそうです。

山陰に新幹線を通す計画は、昭和48年11月に、大阪市を起点に鳥取市付近、松江市付近を主な経過地として下関市を終点とする路線として、基本計画が決定されています。しかし、「オイルショックなどによる国家財政の悪化、国鉄の民営化などの煽りを受け、いまだに実現の見通しが立っていません」(山陰新幹線期成同盟会HPより)。

夢のまた夢に思えるかもしれませんが、北陸、北海道、九州で建設中の整備新幹線が開通すれば、次の整備新幹線として可能性があるかもしれません。まず間違いなく四国が手を挙げるでしょうが、山陰も今のうちから、準備を進めておかなければなりません。

では、どのルートに、どんな新幹線を通すのか。この点を絞っておく必要があります。青年部の皆さんが要望されたような、在来線を活用したフリーゲージトレインは建設費は抑えられるかもしれません。ただ、個人的には「フル規格」の山陰新幹線を望みます。ミニ新幹線やフリーゲージトレインでは、時間短縮効果がそれほどないからです。東西を結ぶ山陰線に沿って建設すべき、という点は大賛成です。伯備線経由では、これまでと同じように山陰が分断されてしまいます。

財源や採算性から「何をあほなことを」と思う方もいるかもしれませんが、夢ぐらい見たっていいじゃないですか。いや、夢で終わらせたくはありません。ハードルは相当高いのは承知の上です。でも生きているうちにひょっとして、鳥取駅のホームに新幹線が滑り込む日が来るかもしれない(?)と思うと、なんだかわくわくしてきませんか。単線非電化のローカル線から一気にフル規格新幹線へ。鳥取から大阪まで1時間、東京まで3時間半(?)。開店休業状態の期成同盟会を復活させ、ぜひとも山陰に新幹線を走らせようではありませんか。(北)
http://sunin-s.on.arena.ne.jp/

2009年07月10日

堂々長大編成

 京阪神と連絡するスーパーはくとは繁忙期には6両編成、伯備線のやくもも6両編成。サンライズ出雲は7両。これが現在の優等列車の長い方の編成です。昭和36年に山陰本線に初めて82系特急まつかぜが登場したときは9両編成でしたが、昭和47年頃には大阪―鳥取間は13両編成での運行となり、山陰線を走る列車としては最長の編成となりました。その後、出雲が特急に格上げされ、ブルートレイン化された時には11両編成+電源車の12両連結の列車となりました。いずれの列車にも食堂車が連結され、堂々長大編成で長距離列車の体を成していました。(出雲の食堂車が廃止されると聞いたときは、同僚に頼んで、取材にいってもらいました。)
 現代は、スーパーいなば、スーパーまつかぜは全国でも最短の2両編成で運行されています。それぞれ6往復、8往復(スーパーおき含む)と利用者の利便性を確保するために短編成とし、運用コストを下げながら本数を確保しています。
 時代が変わって、特急、快速、普通という列車構成になり、ステータスやあこがれの存在ではあり続けることができず、堂々長大編成は過去のものとなり、ノスタルジーとなってしまいました。(修)
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上:餘部橋梁をわたる9両編成まつかぜ(S50年頃)、下:生山付近を走る8両編成やくも(S60年頃)

2009年07月06日

倉吉線

倉吉線跡を歩くトレッキングが、にわかブームとなっています。
旅行商品にも組み入れられ、根強い人気があるとか。
レールファンとしてはうれしい限りです。

私はこの路線、残念ながら現役時代に乗ったことはありません。
少年時代、倉吉線の運転最終日に倉吉駅から関金方面へ列車が出ていくのを、
指をくわえて眺めていました。ああ、乗っておけばよかった。

それから10年ほどたった高校生の頃、宮脇俊三著「失われた鉄道を求めて」(文春文庫)に刺激され、
2万5千分の1の地形図を片手に、倉吉線の廃線跡全線完歩を試みました。
上井~上灘のあたりにもまだ線路が残っていて、ひたすら、
絶妙な歩幅で敷いてある枕木の上を歩いたものです。
旧打吹駅で記念館に入り、西倉吉から先は自転車道として整備されたアスファルトの上を歩きました。
関金あたりで路盤を見失い、それらしきものを発見したものの、うっそうとしたジャングルのように
草木が生い茂っていたため、ついにあきらめてしまいました。

ところが、近年になって地元の方々が廃線の魅力に着目してくださり、
関金から先がきれいに除草されたと聞き、10年ぶりに倉吉線を探す旅に出ました。

草木に覆われ、朽ち果てかけていた泰久寺駅のホームは蘇っていました。
いつまで待っても列車が来ることはないのに、ホームにはベンチまでありました。

写真は昨年の秋のものです。関金―泰久寺間です。
どうです。今にも汽笛が聞こえてきそうでしょう?
線路に立つと、胸が躍ります。癒やされます。

倉吉線は、県境を越えて中国勝山まで続く計画でつくられた路線です。
岡山県に向けてまっすぐ伸びる線路は、まさに「兵どもが夢の跡」なのです。
登録有形文化財に申請してみてはどうでしょうか。

残念ながら終点の山守駅にはホームも駅名票もありませんが、
大きな桜の木が、かつてそこに駅があったことを教えてくれます。

県民の遺産として、保存、活用しなければなりません。(北)
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2009年07月02日

鉄道ファンの究極は

 鉄ちゃんと言われる方たちにも色々あって、阪急電車の型式をすべて知っている人、JR全駅を覚えている人、JR全線を踏破した人、時刻表を暗記している人(?)など、さまざまなジャンルで趣味が高じていく。写真撮影では撮影ポイント、種類など極めてもきりがない。時刻表も毎月毎月ダイヤが変わるので、永遠に追い求めてもエンドレス。そんな中では、乗車趣味の人は全線踏破したら一段落するかも。もうひとパターン、現状を追い求めるのがいやな人は自分で線路を敷設して、自分でダイヤを作って自分で運転するのである。これが鉄道模型ファン。しかし、車両やジオラマなどはリアリティーを追い求めてしまう。いずれにしてもあまり趣味が高じてしまうと、家族に眉をひそめられることにもなります。ほどほどに。(修)
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      高校の時に買った オハネフ25           三朝温泉「いわゆ」さんに展示してある
                                     トウゴウさんのジオラマ

睡魔との闘い

 因美線上りの最終列車、22時15分20090701221020.jpg
の智頭ゆきにどうにか間に合う。これを逃せば帰りの足はタクシーしかない。ローカル沿線に住む悲しい性だ。
 列車は今郡家駅、行き違いのスーパーはくとをやり過ごしたところ。国英まであと二駅。睡魔との戦い。ああ眠い。