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2010年06月29日

○○鉄

「あなたは何鉄?」
そう聞かれて困ることがあります。
あえて言えば「乗り鉄」ですが…。

 いつ頃からでしょう。ちまたでは、鉄道マニアを「撮り鉄」「乗り鉄」「時刻表鉄」「音鉄」「模型鉄」などに分類されるようになりました。鉄道という趣味の幅の広さと奥の深さを言いたいんでしょうが、果たして鉄道愛好者をこれらの属性に分類することは本当に可能でしょうか。

 私の場合、基本的に鉄道に乗ることが好きですが、(腕前は別として)写真を撮ることもあれば、模型を走らせて楽しむこともあります。車内放送を録音したこともあります。記念切符を集めたり、時刻表を読んで机上旅行することも好きです。

 したがって、単純に「乗り鉄」と括ってほしくないのです。鉄道そのものが好きなのであって、そうすれば当然、車両も、鉄道写真も、システムも、線路も、時刻表も、歴史も、すべてが好きになります。

 言いたいことは、上記の「○○鉄」というレッテルは、鉄道マニア以外の人たちが一方的に決め付けた分類だということです。マスコミが作り出したのかもしれません。

 「ママ鉄」に至っては、もはや興味の対象を示していません。どういう人が鉄道を好きになっても、別にいいじゃありませんか。

 「○○鉄」というレッテルを貼られることに違和感を感じるのは、私が各分野に中途半端に足を突っ込んでいるからでしょうか?(北)

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鎧駅を通過するキハ181系「はまかぜ」。乗るのも好きだが、見るのも好き。エンジン音を聞くのも好き。これって何鉄?

2010年06月28日

さらば余部鉄橋

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 今日から本紙「読者のひろば」欄で、さよなら余部鉄橋の特集が始まりました。やはりみなさん、鉄橋に対して色々な思いを持っておられるようですね。山陰に住む人は誰しも、一度や二度はこの鉄橋を渡ったことはあるはずです。人生の節目節目において、さまざまな感慨を持って、多くの人がこの橋を往来したことでしょう。どんな投稿があるのか、あす以降の紙面も楽しみです。

 さて、私自身も旅行や受験、帰省などでこの鉄橋に何度もお世話になったわけですが、昨日、乗り納めをしてきました。

 まず浜坂から普通列車に乗り、鎧まで向かいました。浜坂駅には観光バスが横付けされ、2両のキハ47は満席となっていました。こうしたにぎわいが見られるのも、あと3週間ほど。

 久谷を過ぎると勾配になり、「桃観トンネル」に差し掛かります。このトンネルは、1911年(明治44)に完成。山陰線のトンネルの中で1番長く(全長1,991m)、約4年間の年月をかけた難工事だったと伝えられます。掘削工事にあたった多くは朝鮮人労働者で、多くの殉職者を出しました。鉄橋と並ぶ近代化遺産と言えます。

 ディーゼルカーはエンジンを唸らせながらトンネル内の勾配を走りますが、蒸気機関車のころはもっと大変だったそうです。当時機関助手として働いていた元国鉄職員の川戸稔功さん(67)の話によると、トンネルの中は煙と蒸気で大変高温となり、腕が火傷するほどだったそうです。このトンネルを通過するために、専用のマスクまで積載されていたとか。「重たい貨物列車を引っ張る時なんか、本当にきつかった」と振り返ります。昔の輸送というものは、鉄道マンたちの汗と努力の上に成り立っていたんですね。

 トンネルを出てからは下り勾配が続きます。その勾配の途中に、餘部駅があります。この駅は鉄橋1955年(昭和30年)に、地元住民の強い要望によって開業しました。それまで余部地区の住民たちは、鉄橋を渡り、トンネルをくぐって1.8㌔離れた鎧駅まで歩いていたといいます。

 現在の餘部駅は、工事中のため島式ホームのような配置になっています。ホームの北側に余部鉄橋を渡る現在の線路があり、南側に新橋を渡る新線が敷いてあります。大きく様変わりしました。

 餘部駅を発車すると、もう余部鉄橋です。今回は最後なので、あえてカメラを持たず、五感でしっかりと鉄橋を渡る感覚を確かめました。左手に雄大な日本海を望みながら空中に飛び出した列車は、ゴトンゴトンと渡っていきます。眼下には余部の集落があり、鉄橋下ではたくさんの人がこちらに向かって手を振っています。鉄と鉄による摩擦やレールの継ぎ目が生み出す音が、谷全体に響きわたるようです。あっという間に310㍍の橋が終わりました。

 鎧で折り返し、帰りは建設中の新橋にも目をやりながら鉄橋を渡りました。コンクリートの橋は上部の幅が広く、下からあおってくる風も通さないので、今より安全でしょう。「蒸気機関車で鉄橋を渡る時は、スコップなどが飛ばないように奥にしまいこみ、自身も吹き飛ばされないよう鉄の棒にしがみついていた」という川戸さんの話を思い出しました。鉄橋の上はやはり、それほど風がきついようです。

 餘部駅で降り、今度は横や下から、橋脚を眺めました。解体工事の準備か、すでに橋脚には足場が付けられていました。もはや絵にはなりません。

 時刻表によると、余部鉄橋を渡る最終列車は7月16日の下り特急「はまかぜ5号」となりそうです。別れを惜しむファンでにぎわうのでしょうか。寂しいですが、今はただ、鉄橋に感謝するだけです。余部鉄橋の雄姿は、私たちの記憶の中に永遠に生き続けることでしょう。ありがとう余部鉄橋、そしてお疲れさま。(北)

2010年06月21日

一畑電鉄の旅③~一畑口から薬師までのアクセス改善を

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一畑薬師で毎年5月に行われる2歳児まいりの様子


 一畑電鉄の設立の目的どおり、まさに電車に乗って一畑薬師参りにやってきたわけですが、一畑口で降りた客の中に参拝客は私たち以外いませんでした。今は車で行く人が圧倒的に多いようです。

 まあ少数派なのは別にいいのですが、ここで大きな問題にぶち当たりました。一畑口駅から同薬師までのアクセスが非常に悪い。平田生活バスという市営バスが走っているのですが、必ずしも松江方面からの電車と接続していません。

 私たちが一畑口に到着したのが13:08。一畑薬師行きのバスは、わずか4分前の13:04に発車するダイヤになっています。全国的に見ても、こんな無茶苦茶なダイヤ設定はありえません。改善すべきです。

 次のバスは14:00までなく、これでは同時刻から始まる祈念の行事に遅れてしまうので、やむを得ずタクシーを呼びました。バスであれば片道200円の距離が、1500円以上かかりました。

 ただ、タクシーの運転手さんは非常に親切でした。独特の出雲弁で、今はなき一畑駅の跡地や、同駅から薬師に向かって延びる石段(参道)の場所を教えてくれました。「駅周辺には宿坊や土産物屋があったそうです」「昔は今のような道路がなく、参拝客は電車から降りて1200段もの石段を上っていたんですよ」などと解説してくれました。

 一畑薬師は山のてっぺんにありました。「目のお薬師さま」として、古くから信仰を集めてきたお寺です。「め」と大きく書かれたたくさんの絵馬が、風に吹かれてカラカラと涼しげな音をたてていました。

 境内は既に多くの子ども連れでにぎわっていましたが、この中で電車を使ったのはおそらく私たちだけ…。

 同薬師の2歳児まいりの謂(いわ)れを少し。その昔、ある両親がわが子の眼病平癒のため、お堂の周りを御真言を唱えながら一心不乱にまわり、遂にはその眼病を治したと言われています。その両親の強い信仰心と、わが子への愛情にちなんで行われる行事です(同薬師HPより)。

 本堂で法要が行われたあと、草踏み行事といって、大勢の人が子どもと一緒に本堂を回りました。最後に、導師さまから子育ての心得などありがたおお話を聞きます。「人間は手を合わせる姿が一番美しい。親子で、手を合わせる習慣をつけましょう。すべてのものに感謝しましょう」。

 同薬師は見晴らしの良い場所にあります。説法のあと、眼下に広がる雄大な景色を眺めました。緑の山々の向こうに、宍道湖が鏡のように光っています。心が洗われるようでした。

 帰り道はバスに乗りました。乗客は私たちだけでした。乗客が少ないんだからせめて利便性あげようよ…。一畑口からは、電鉄出雲市経由で帰路につきました。

 次は子どもが4歳になったとき、再び同薬師にお礼参りに来ようと思います。もちろんその時も、車ではなく「バタデン」(一畑電鉄)で。(北)

2010年06月19日

500-730A

 500系は居住性の問題で「のぞみ」運用から離脱することになりました。乗車中、先頭車に行って、その居住性を確認してみました。3列シート側の窓側シートは確かに2~3センチほどシート幅が狭いのです。窓側の席は景色を見る点で優遇されますので、シート幅で少々我慢をしなければならないようです。足元は同じですが肩の辺が少し窮屈です。横幅の広い人は苦しいかも。しかし、6号車の4列席は非常に快適だったので、全車両4列シートにして、プレミアムのぞみにすれば、生き延びることができるでしょうに、やはり残念です。ギネスブックにも載った車両が、その性能を抑えて生き延びているのはどことなく寂しさを隠しきれません。N700系のぞみは肩を怒らせて・・・みたいな、はたまたジャミラみたいに頭が張っているように見えてしまいます。しかし、振り子式システムの採用でポイント、曲線の通過速度が飛躍的に向上しているので、乗り心地や安全性に貢献している点は、さすがということにはなります。(修)
“なで肩”の500系。丸く見えるので、生き物のようにも見える。N700は肩が張っている(上・中)一目でわかる窓側シートの狭さ。6号車の4列シートは最高!(下)
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2010年06月18日

一畑電鉄の旅②~一畑口駅のスイッチバック

 切符はまつえ宍道湖温泉から電鉄出雲市まで購入しました。一畑口のみ途中下車が認められることを、窓口で知りました。ちなみに、一畑電鉄を乗りつぶしたり、往復する場合は、フリー乗車券がお得です。

 先頭車の一番前を陣取りました。ロングシートなので体は横を向いていますが、首を右に向ければ進行方向を眺めることができる<特等席>です。私鉄にはこういう車両があります。

 12:41、まつえ宍道湖温泉を定刻に出発。旅館街を通り抜けると、青い宍道湖が目前に広がります。「まるで海の中を走ってるみたい」という妻の言葉に、「わが意を得たり」と思わずニンマリしてしまいます。

 左右に揺れながらのんびり走る電車にわが身をまかせ、およそ50分で一畑口に到着しました。

 一畑口は面白い駅です。松江方面から来た電車は一度北向き(一畑薬師の方向)に突っ込んで停車し、乗客が乗り降りした後、南向きに進行方向を変えて発車。その後西に進路をとり、電鉄出雲市をめざします。いわゆるスイッチバックで、これまで先頭だった車両が最後尾になります。運転士はホームを歩いて運転席を移動します。

 なぜこういう構造なのかは、同電鉄の歴史を紐解いていけば分かります。同社は今をさかのぼること98年前、一畑薬師への参詣客の輸送を目的に設立され、1915(大正4)年までに出雲今市(現電鉄出雲市)―一畑間が開通しました。一畑駅は今の一畑口より約3キロほど北にあり、薬師への最寄り駅でした。一畑口は当時、小境灘と呼びました。

 その後、小境灘―北松江(現まつえ宍道湖温泉)間が1928(昭和3)年に開通。東西からの路線が小境灘で合流し、手を合わせるような格好で一畑へ向かっていたわけです。しかし、不幸にも戦時中の1944(昭和19)年、鉄の供用のため小境灘―一畑間は運休、そして廃止に追い込まれてしまいます。

 同電鉄は、かつて名実共に一畑薬師への参拝のための重要な交通手段であり、今はなき一畑駅が終着駅だったわけです。その名残が、一畑口駅のスイッチバックに見られるということです。(北)

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一畑口駅のホームから南(宍道湖)側を臨む。左に離れる路線は松江方面、直進し右へ折れる路線は電鉄出雲市へとつながる。

2010年06月17日

一畑電鉄の旅①

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 島根県のローカル私鉄・一畑電鉄を舞台にした映画「RAILWAYS(レイルウェイズ)」が、全国で上映されています。封切りと同時に映画館へ行く勢いでしたが、諸事情により、まだ見ていません。切符型の前売券を大事に持っており、近く見に行く予定です。

 その話題の一畑電鉄に、先月の大型連休期間中に乗る機会がありました。

 今回の(本来の)目的は電車ではなく、一畑薬師へ行くことでした。同薬師では、毎年この時季に「二歳児まつり」が開かれており、満2歳を迎えたわが娘の健やかな成長を願いお参りに行ったのです(本来は数えの2歳児が対象です)。

 車で行くほうが便利なようですが、乗り鉄の私としては当然鉄道を選びました。

 5月3日午前10時13分、倉吉駅から特急「スーパーおき3号」に乗車。久々に山陰本線を西に向かって走ります。乗り物好きの娘は何かを察して大興奮です。

 大型連休中と言えども、山陰本線の特急は自由席でも7割程度の乗車率でした。指定席は1両増結し計3両編成でした。

 進行方向右側の座席を陣取りました。天気が良く、日本海がきれいでした。米子からは中海、大橋川を眺め、倉吉からわずか57分で松江に到着。鳥取・島根両県の高速化の恩恵です。

 松江で下車し、一畑電鉄のまつえ宍道湖温泉駅までバスで移動。松江は道が狭く、両駅間の移動は時間がかかります。JRとの接続はこの点がネックです。途中で昼食をとる時間がなく、パンやお菓子でしのぎました。

 売店では、レイルウェイズの関連グッズが並んでいます。映画にも出てくる同電鉄の「デハニ50」のチョロQを衝動買いしました。

 頭端式ホームに、折り返し電鉄出雲市行が入ってきました。元京王の5000系の2100系電車でした。(北)

2010年06月16日

500系こだま

 先日、念願叶って500系こだまに乗車しました。本当の念願は、500系を写真に収めることでしたが…。指定券を購入するとき、わが社の旅行部経由で購入したのですが、JRの人から「なぜいまどき“こだま”?珍しい人ですね」と言われたそうです。乗車した列車はこだま730号新大阪行き8両編成(列車番号730Aの広島―岡山間)。指定席はこだま500系には1両(時刻表では)しかありません。片側2列シートで、元グリーン車でしょうか、非常にゆったりしていて、超快適でした。その他の号車は5列シートです。こだまの中には全車4列シートの列車もあるのに、少し差別されているような気もしますが、修学旅行用などで大量輸送の場面があるのかも知れませんね。
 こだま730の6分後に広島を出発するのぞみ8号は岡山まで40分で到着する(この区間の平均速度は241.95㌔、最高は300㌔)んですが、こだま730は89分かかります(平均速度は約108キロ、最高は285㌔)。のぞみが過密ダイヤになっているため、すべての停車駅で通過待ちをする、とてものんびりした旅となります。こだま730は始発の博多から終着の新大阪までの622キロを5時間弱で走りきり、表定速度は約125㌔です。在来線で一番速いスーパー北斗の約108㌔を上回り、各駅停車でもこだまの勝ちです。乗り心地はN700系と遜色なく、これが300㌔運転できないのはとても残念な気がします。89分の乗車でしたが、いろいろ体験できましたので、500系については、続報いたします。(修)
岡山駅に到着した500系こだま、11分ほどゆっくり停車中。8両編成だからこのポジションで撮影できる。16両だと、ホームから出てしまいます。
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2010年06月08日

特急を牽引(けんいん)した蒸気機関車

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きょう8日付の本紙23面に、岩美町役場で展示されているC59形蒸気機関車の模型が紹介されています。元国鉄マンの男性が「一生かけて」作られた力作だそうです。私も先週実物を拝見しましたが、実に精巧に作られています。

 現代に育った私はSLの形式に疎く、同形式は山陰でもなじみがありません。そこで、同形式が静態保存されている京都市の梅小路機関車館のHPをのぞいてみました。

 HPによると、同形式は1941年から47年の間に173両が製造された完成度の高い大型の旅客用機関車。東海道本線の電化まで「つばめ」「かもめ」「さくら」などの特急列車をけん引して人気を集めたそうです。

 戦前から量産され、戦後は1970年ごろまで走っていました。日本の復興期を支えた機関車と言えるでしょう。

 動輪直径は1750㍉、最大出力は1702ps、最高速度は時速110㌔です。私が大好きな機関車「C62」の基礎となった機関車です。

 やはりSLはいいですね。同町によると、この模型は、来月31日に開かれる「岩美駅開通100周年イベント」(午前11時~)に合わせ、駅前の観光会館で展示されるそうです。ほかにも楽しいイベントがありますので、山陰本線に乗って出掛けてみませんか。(北)

2010年06月04日

韓国鉄道新旧の顔⑳~エピローグ・旅の終わりはセマウル号で

 ソウルの東の玄関口・清凉里から出発する夜行列車も見てみたいが、次の目的を果たすべく、地下鉄中央線で龍山へ向かった。地下鉄といっても、高架橋を走る。ソウルを貫く韓江に沿って走るので、対岸のネオンが美しい。

 龍山で京釜線の通勤電車に乗り換え、ひたすら南下。会社帰りの通勤客で混雑していて、座れないのがキツかった。もう22時を過ぎているが、日本のような酔客は少なく、みな真面目な残業組のようである。国民性の違いか。

 日付が変わる直前、水原(スウォン)で下車。ここは優等列車も止まる駅。すぐに窓口に行き、折り返し23:58発ソウル行セマウル号の切符を買う。8200ウォン(702円)。

 ここまでして乗りたかったのが、このセマウル号なのである。KTXの運転開始以来、徐々に活躍の場が減っており、今回の旅でも乗る機会がなかった。10年前は食堂車も備えた堂々たる優等列車だったのだが。

 セマウル号は両端のディーゼル機関車で客車をサンドイッチして走る。電化が進む韓国で、この列車はいつまで走るのだろう。架線の下をディーゼル列車が走るのは不自然で、淘汰されるのは時間の問題かもしれない。

 釜山から約4時間半かけて走ってきたセマウルは、7分遅れでホームに滑り込んだ。8両編成。ステンレス製の特徴あるボディは、薄汚れてはいるが、ムグンファと比べると高級感がある。

 指定された2号車(普通車)に乗る。椅子の座り心地は最高。シートピッチが広く、身長174㌢の私が足を思い切り伸ばしても前の座席につかえない。リクライニングは、歯医者の椅子かと間違えそうになるほど、恐ろしく倒れる。

 時間が時間だけに乗客はほとんどいないが、数人の乗客が椅子をほぼ水平にして熟睡している。客車なので静かだ。

 かつての食堂車はムグンファ同様、ビュッフェに様変わりしていた。銘板は「1993年現代精工」。まだまだ使えそう。KTXより安く、乗り心地も悪くないので、人気があるのかも知れない。考えてみれば牽引車の動力がディーゼルか電気か、なんてことは乗る人には関係ない。

 午前0時半を過ぎた。間もなく終点のソウルに到着し、今回の鉄道の旅は終わる。次に訪韓の機会があれば、DBSクルーズで境港から東海(トンヘ)に入り、江原道周辺を乗り潰したいと思っている。その時もまだ、長距離客車列車が残っていますように―。<完>

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KTXに次ぐ速達列車、セマウル号。徐々に活躍の場は失われてはいるが、車両はまだまだ現役バリバリ

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かつての食堂車はビュッフェカーに。食事とビールを楽しみながら大陸的な風景を眺めたあの日は遠い記憶のかなたへ

※長い間自己満足のような紀行文に付き合っていただき、ありがとうございました。鳥取県から韓国へはアシアナ便や定期貨客船があり、とても近い国です。みなさんも機会があればぜひ、韓国の「キチャ(汽車)」を楽しんでください。(北)

2010年06月03日

韓国鉄道新旧の顔⑲~東の玄関口

 龍山駅からソウル駅までは、通勤電車で2駅。以前にも記したが、東京と品川の関係に似ている。

 今夜はツアーに参加した社員全員での夕食会。明日が帰国なので、韓国最後の晩餐(ばんさん)である。久々にソウルのホテルに戻り、バスで焼肉屋へ向かった。

 にぎやかな宴席だった。その後は2次会と称してソウルの街に繰り出す人、明日の早朝の出発を控えて大人しくホテルで寝る人と、2種類に分かれた。

 私はいずれの道も選ばず、性懲りもなく鉄道に乗りに行った。もう午後9時を過ぎていたが、まだ乗り足らない。自分でもあきれつつ、ホテル最寄りの市庁駅に向かった。

 地下鉄1号線に乗り、8駅目の清凉里(チョンヤンニ)へ。ここは、市の東にある駅で、京春線や中央線、嶺北線の列車が発着する。龍山が品川とするなら、ここは新宿のような存在と言われる。

 しかし、20年前に出版された「韓国・サハリン鉄道紀行」(宮脇俊三著)では、「新宿とは比較にならぬ小さな駅で、ホームの幅が狭く、照明も暗くてわびしい」と駅の様子が描かれている。

 その記述に惹かれてやってきたわけだが、20年の歳月は長く、駅は明るく立派な建物に建て替えられていた。ただ、確かにソウルのような華やかさはない。

 5番線に、南春川行最終列車が停車していた。6両編成のムグンファ。もちろん客車である。時刻表によると、清凉里を22:00に発車し、南春川には23:50に到着する。春川と言えば、冬のソナタのロケ地で有名。駅のホームでは、恋人同士が手をつなぎ、別れを惜しんでいた。韓流ドラマのワンシーンを見ているようであった。(北)

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深夜の清凉里(チョンヤンニ)駅。韓国北東部へ向かう列車はここから発着する

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出発前の最終列車の側で手を取り合う男女。このあと男性は列車のデッキに立ち、見送る女性と名残惜しそうに会話をしていた

2010年06月02日

韓国鉄道新旧の旅⑱~終着駅へ

 益山から湖南線に入り、北上する。複線電化区間を時速100㌔ぐらいで走っていく。途中、セマウル号やKTXと交換。益山を出て最初の停車駅、論山ではブルートレインのような特別列車とすれ違った。韓国の定期列車に寝台車はないが、臨時列車としては存在するという。軍用の貨物列車も見かけた。

 その後は広い田園地帯を行く。眠たくなり、ビュッフェでコーヒーを飲んだ。西大田では、下り麗水行ムグンファと交換。同じ編成だが、向こうはディーゼル機関車2両の重連である。

 西大田から2㌔ほど走ると、釜山から来た京釜線と合流。その後、KTXの専用路線が左へ分岐していった。この辺は複雑で分かりにくい。ともかく、わがムグンファ号は在来線の京釜線を北上し、龍山をめざす。

 鳥致院からは、忠北線というのが東に伸びている。鳥取県と姉妹提携を結んでいる江原道や、鳥取市の姉妹都市・清州市へとつながる。いつか乗りたい路線の1つである。

 長安まで来ると、風景はマンションだらけとなる。JR神戸線を連想させる複々線区間となり、側線を走る通勤電車を次々と追い越す。

 平澤という駅でお客さんが増え、立席も目立ち始めた。短距離利用が多いようで、もはや長距離急行列車の雰囲気はない。

 KTX高速路線と合流し、最後の停車駅・永登浦に停車。数人の客が入れ替わり、ムグンファは客車らしいゆっくりとしたスピードで発車した。

 終点の龍山には、16:51の到着予定である。間もなく、韓国の伝統的な琴で奏でる「Let it be」がスピーカーから流れ、終着駅が近いことを教えてくれる。

 全州から3時間半、念願の客車急行の旅が終わろうとしている。急速に発展を遂げる韓国で、いつまでこうした客車列車に乗ることができるのだろう。韓江の長い鉄橋を渡りながら、ふとそんなことを考えた。(北)

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天安を過ぎると複々線となり、通勤電車を頻繁に追い越す。電車にはあまり興味はないが、形式はさまざまあるようだ

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ソウル近郊を走る短距離急行列車「ヌリロ」と思われる列車。違ったらゴメンナサイ

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終点の龍山に到着。湖南線の発着駅はKTXを含めてここなので、ソウルへは乗り換えが必要

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韓国2日目のルート

2010年06月01日

韓国鉄道新旧の顔⑰~カラオケ列車?

 大通りでタクシーをつかまえ、全州駅へ。タクシーは手を挙げれば難なく止まってくれるが、肝心な「駅」を何というか分からない。持参している韓国語会話の本にも載っていない。「汽車」を「キチャ」ということだけは知っていたので、「キチャ、キチャ」と連呼すると、無事全州駅に着いた。帰国後に調べたら、駅は「ヨク」であった。鉄道の旅の基本だった。勉強不足を反省。

 13:12分発のムグンファ号の切符を買った。ソウル近郊の龍山まで乗り換えなしで16300ウォン(1370円)。全州―龍山の距離は275.2㌔で、日本のJR(本州内)で同距離を走ると乗車券だけで4620円かかる。さらに急行料金が1260円、指定席料金510円が必要。やはり韓国の鉄道は安い。

 駅で少々時間があり、電化工事の進む構内を見て回った。現在1面2線の駅は、もう1面追加され2面4線になるらしい。

 間もなく、麗水方面から7両の客車を連ねた重厚なディーゼル機関車がやってきた。やはり列車はこうでなくては。

 7両編成の6号車、後ろから2両目の一般室に座る。益山まではさっきと同じコースを戻るだけなので、車内を見学。7号車の銘板に1997年製とある。この列車に特室はないが、4号車がビュッフェカーになっていた。食堂車を改造したものと思われる。

 女性乗務員がいて、カウンターの中でコーヒーや菓子、ジュース類を販売している。気動車のムグンファとは違い、ビュッフェが贅沢に1両丸々占領している。椅子やテーブルもあり、昔の0系こだまのビュッフェを思い出す。日本にもこんな列車があったらいいのに。

 驚いたことに、このビュッフェカーには、インターネットブース(パソコン付き)やゲーム機、マッサージチェア、そしてカラオケボックスまであるではないか!!

 カラオケボックスの丸窓をのぞき込むと、若者が気分良さそうに熱唱していた。列車に乗ってまで歌いたいか? でも日本にもこんな列車があったら、楽しいかも。(北)

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食堂車が無いのは残念だが、ビュッフェが代役を果たしてくれる。内装がややケバケバしい

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ビュッフェの一部にカラオケルームが2つ。両部屋とも埋まり、人気があるようだ。若者の歌声が漏れ聞こえてきた

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