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2012年01月09日

バリアフリー化した米子駅

明けましておめでとうございます。最近ネタと鉄分不足でなかなか更新できませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、先日、米子・勝田神社へ初詣へ出掛けて参りました。
わが家では毎年恒例ですが、同神社の最寄駅である博労町まで列車を利用しました。

快速に乗り遅れ、倉吉と米子で2回乗り換えることに。
米子の駅そばで冷えた体を温めました。
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さて、1年ぶりに米子駅に降り立ち、エスカレーターやエレベーターを備えた新たな跨線橋をまじまじと眺めてきました。ホームの狭さからか、エスカレーター幅が1人用というのが難点。ですが、5番線まである乗り換え駅にも関わらず階段オンリーだった以前を思うと、格段に便利で快適になりました。多目的トイレもあり、小さな子どものいる我々子育て世代にも大助かりです。
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これで鳥取・倉吉・米子の県内主要駅のすべてでバリアフリー化が完成したことになります。
大きな荷物を抱えて階段を一段一段のぼるおばあさんに「持ちましょうか?」と声を掛けることは、もうなくなります。今後は「向こうにエレベーターがありますよ」と案内できるようになりますね。

さて新しい跨線橋を観察して感じたのは、「動線」がよく考えられているということです。
2つあった古い橋の真ん中にエスカレーターを備えた新たな橋ができ、松江寄りの1つは廃止されました。新しい橋は改札に近く、向こうのホームに行くには、まずほとんどの人がこの橋を渡ります。
2・3番線や4・5番線はエスカレーターと階段が鳥取側に降りるように作られ、すぐに乗り場です。

境線の0番ホームは鳥取寄りにあるため、元気な人はこれまで通り古い橋を渡って乗り換えができますし、中央の橋を使ってもさほど遠回りではありません。米子駅のホームは昔の長い列車編成に基づいて設計されていますが、現在では普通列車は1~2両の短編成がほとんどなので、これで十分。昔のようにホームの両端にある跨線橋に向けて重たい荷物を持って長い距離を歩くことなく、簡単に列車に乗れるようになったのです。米子駅の利用者にとっては大変画期的なことだと思います。

1点課題を挙げるとすれば、橋からエレベーターで1番線に降りた人が「どっちが改札?」と迷っていた(改札は階段の陰に隠れる)ため、分かりやすい案内表示が必要です(地面にうっすら書いてありましたので、今後改善されるのでしょう)。

最後に「やくも」の写真を。381系も活躍の場が徐々に減っており、「くろしお」も新型への置き換えが計画されているため、最後は伯備線だけになるのではないかと危惧しております。もう製造から30年以上も経過しているんですね。私と同世代です。(北)
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2011年12月23日

智頭急行のクリスマス列車

智頭急行で「クリスマス列車」が26日まで運行されています。
雪が降りそうですが、車窓から白銀の世界を楽しむのも良いものです。
この季節だと、山陰と山陽の気候の違いも感じられるでしょう。

20日に沿線の保育園児を乗せた臨時列車が運行され、取材に行きました。
最長の志戸坂トンネルでは特別に照明が消され、ライトアップされた車内はとても幻想的。
(通常のクリスマス列車では照明は消されません)。子どもたちは大喜びでした。

この週末は一部の列車でサンタさんも登場するそうです。ぜひこの機会に。
時刻表は↓
http://site5.tori-info.co.jp/photolib/chizukyu/6680.pdf

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22日の臨時列車では、県境の志戸坂トンネルで特別に車内の照明が落とされた。LEDの電飾がとても幻想的

2011年12月01日

杉玉列車

智頭急行の普通列車で今日から杉玉列車の運行がスタート。
詳細は明日の紙面もしくは今日午後7時からのNCN「ピットステーション」をご覧ください。
撮影のため、智頭から恋山形まで乗せていただきました。(北)

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2011年11月24日

駅は歴史の証人 那岐駅来年で80周年

 因美線の那岐駅で取材がありました。学校統廃合による閉校を控えた近くの那岐小児童が、記念に駅構内にウメを植樹しました。

 久々に訪れた同駅ですが、タブレット閉塞が廃止され、無人駅になってからも植え込みがきれいに整備されています。地元の「那岐駅舎の会」のみなさんがボランティアで管理されているそうです。

 那岐駅は来年、開業から80周年を迎えます。会長さんから昔の様子を聞きました。木材の需要が高かった昭和40、50年代は那岐駅から毎日木材が搬出されていたそうです。駅前には日通の事務所や飲み屋もあり、にぎやかだったそうです。

 「戦争で出征兵士を送り出したのもこの駅。そして300人以上が死んで帰ってきたのもこの駅。よい思いでも、、悲しい思い出も両方つまっているんです」と会長。だからこそ、地元の子どもたちに木を植えてもらい、いつまでもこの駅を守ってほしい。大きくなっても駅の梅を見に来てほしい。そんな思いで取り組んでおられるようです。

 「駅舎は開業当時から同じ建物。だからこそ値打ちがある」。地元では、駅を廃墟にしたくないと、臨時診療所として活用しています。人々の思いが詰まった価値のある駅舎を、将来にわたって残していかなければなりません。(北)

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智頭発那岐行の列車がちょうど到着。車内からは高校生やお年寄りが降りてきた。わずか1両の列車も、貴重な交通手段である


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那岐駅の貨物線のレールには「1908」「1922」「1929」の文字が。開通した1932年より古く、当時から同じレールが使われていたと思われる(写真は軌道敷地外の安全な場所から望遠レンズを使用して撮影)

2011年11月02日

お召し列車をお迎えして

紙面でもお伝えしたとおり、10月31日に鳥取―倉吉間でお召し列車が走りました。
5両編成の「サロンカーなにわ」を、ピカピカに塗装しなおされた2両のDD51が牽引。
沿線には多くの住民やカメラマンが集まり、
天皇、皇后両陛下は最後尾の展望室から手を振っておられました。

当日は記者もお召し列車に同乗できたのですが、デスクの陰謀(?)で私は担当から外れてしまいました。31日朝。倉吉から出社してきたデスクが私の耳元で「県外からすごい数のカメラマンが来ているぞ」と、気になる一言。朝のミーティング中には「ピーッ」というDD51の甲高い汽笛が聞こえ、もはや気が気ではありません。「話題性があるので取材に行かせてください」とデスクに告げ、意気揚々と会社を飛び出しました。

さて、鳥取―倉吉間の有名撮影ポイントといえば泊―松崎間のカーブですが、時間の都合で鳥取市小沢見(末恒―宝木)を目指しました。鳥取方から来た列車が左にカーブしながら走行する場所で、カーブの内側から狙えば編成がきれいに撮れます。「穴場」のポイントだと思いきや、既に60―70人が放列をつくっています。警察関係者もいて、ものものしい雰囲気。人と列車を同時に入れたいので、斜面でカメラを構えました。

列車を待つ時間は、マニアたちの情報交換と交流の場でもあります。「もう(老朽化した)サロンカーなにわも最後かもしれへんな」「なんや緊張して足が震えてきたわ」「泊―松崎はすごい人やったで」「4時から来てんねんで。朝ちゃうで。昨日の夕方やで」。関西弁が飛び交います。ここは鳥取? あとで2、3人と話をしましたが、お召し専門の追っかけもいました。

鉄道に詳しくない方のために、今回のお召し列車のどこが珍しかったのかを大雑把に解説すると、
①県内では17年ぶりのお召し列車。
②東日本で運行されるお召し列車は専用の「電車」なので、機関車が牽引する「客車」は絵になる。
③使用された客車「サロンカーなにわ」はお召し専用ではないが、活躍の場は減っており、老朽化も進んでいるのでいつまで走るか分からない(現場では今回が最後だろうと推測するマニアも多数いた)。
④「出雲」廃止以来、山陰本線の定期列車は客車がなくなっており、客車列車そのものが珍しい。
⑤そもそも「お召し列車」は特別な存在。日の丸が掲げられる場合もある。

「来たぞ!」。近くの踏み切りが鳴ると、誰かがそう叫びました。全員が一斉にファインダーをのぞきます。間もなく、皇室を示す「菊の御紋」と日の丸を誇らしげに掲げた、赤い機関車がカーブのむこうから近づいてきます。「カシャカシャカシャ」。私も夢中でシャッターを押しました。最後尾では両陛下が立ったままにこやかに手を振っておられるのが確認できました。

「パチパチパチ」「お疲れ様でした!」。どこからともなく拍手が沸き起こり、なぜだか居合わせた人たちの間で妙な一体感が生まれました。これまで鉄道写真を撮った中でも、こんな雰囲気は初めてでした。(北)


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通過するお召し列車を撮影する鉄道マニアら(鳥取市小沢見)

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小沢見はこんな感じでたくさんの人が。共同通信さんによると、泊―松崎はさらに多い500人だったそうです。同社のHPに動画がアップされています

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9月に宝木駅で偶然とらえた試運転列車。このときは12系の青い客車が使われています。

2011年10月03日

子どもたちに人気のスーパーはくと君

 智頭急行の普通列車の一部車内で、今日から沿線の子どもたちによる「車内絵画展」が開かれています。列車がギャラリーで、乗客が見物客。15年も続く楽しいイベントです。詳細は明日の紙面をごらんください。
 智頭急行の智頭駅では記念セレモニーが行われ、近くの諏訪保育園の園児が絵を飾りました。
 写真は、園児らが手をふって列車を見送ったあとのひとこま。同社のマスコット、スーパーはくと君は人気がありますね。
 最後に園児の一人に話を「誰と汽車に乗りたい?」と聞いたら、「スーパーはくと」君という意外でほほえましい答えが。お父さんやおばあちゃんという答えを想定していただけに、不意をつかれました。子どもの発想は面白いですね。(北)

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2011年09月07日

妖怪のイラスト列車で鳥取県横断

 今日の日本海新聞をご覧になった方はお分かりだと思いますが、境線で運行されている妖怪のイラスト列車が来月9日、鳥取―境港間を走ります。日本青年会議所鳥取ブロック協議会の企画です。車内でクイズを解いたり、鳥取、米子、境港の各駅でのイベントを見学したり、倉吉では県内の味覚を楽しむなど、鉄道マニアでなくても楽しめそうな企画。参加費の1000円は同区間で普通に切符を買うより安く、かなりお得です。

 ねずみ男、ねこ娘、目玉おやじ、鬼太郎の4両のうち、どの車両(2両)が来るかは当日のお楽しみ。鳥取方面へは初の入線となるようです。撮り鉄のみなさんはどこから狙いますか?(北)

2011年07月08日

七夕の夜、念願かなう

ついにこの日がやってきた―。

若桜町がJR四国から購入した12系客車のうち、カーペットカー1両が昨夜、隼駅に移送・設置されました。

同駅では「守る会」のメンバーが客車の誘致に奔走。思いが天に届いたのか、七夕の夜に、悲願が実現となりました。

駅で待つ彦星(ED30)のもとに、織姫(12系客車)が…。
なんてロマンチックなんでしょう。

平日の深夜という、大変勇気のいる外出でしたが、
この歴史的な出来事をこの目で見ておきたいと、夜な夜な行ってまいりました。


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隼駅に着いたのは8日零時過ぎ。既に30~40人ぐらいの地元住民、関係者、鉄道ファンらが集まっていました。間もなく若桜方面から、若桜鉄道の除雪用モーターカーに牽引された12系客車がゆっくりと入線。時速30㌔ぐらいで若桜から走ってきたそうです。光量が足らず客車が写っていません、すみません。

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郡家寄りに移動したED30の後ろにつくようにして、本線に止まりました。

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側線への移動は、ジャッキアップし並行移動する形で行われました。機関車が来たときはクレーン車だったのですが、その後ケーブル線が敷設されてしまい、クレーンが入れなくなったためだそうです。

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ED30も心配そうに作業を見つめています。作業を担当されたのは、ジェイアール貨物・北陸ロジスティックスのみなさん。ED30を購入した縁だそうです。北陸から、しかも深夜にご苦労様です。

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ジャッキで少しずつ台車を持ち上げ、レールと鉄板・横滑り用の車輪をかませていきます。専門的にはよく分かりませんが、居合わせた詳しい皆さんの話を総合すると、どうやらそういうことだそうです…。とても地道な作業で、午前3時過ぎまでかかりました。待機している住民やファンの表情にも若干疲れが…

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さあ、いよいよ側線への移動が始まりました! てこの接続されたケーブルのようなものを使って前後2箇所から引っ張ります。

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ついに側線のホームに接岸!!どうもお疲れさまでした!!

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本線を挟んで反対側から眺めてみました。まだ車輪の微調整が続いていました。

(北)

2011年07月04日

日本海新聞但馬版記事から

余部の道の駅の基本コンセプト 創る会主催で住民説明
http://www.nnn.co.jp/news/110703/20110703008.html

JR山陰本線余部橋りょう近くに、道の駅をつくる計画があるそうです。
新たな名所としてにぎわうことを期待します。(北)

2011年06月30日

ぶらり鉄道沿線企画スタート

今日の日本海新聞に、「ぶらり鉄道沿線特集①青谷駅」を掲載しています。
私の所属するメディア企画部が中心となり、企画立案から広告営業、取材まで行いました。

鉄道を使ったぶらり旅の楽しさをお伝えすることと、沿線地域を元気にすること、
埋もれた魅力を発見することを目的にスタートした企画です。

青谷は意外なほど見どころが多く、絞り込むのに苦労しました。
若干紙面に詰め込み過ぎてしまった感があります。
みなさんもぜひ青谷を訪れてみてください。

今後も県東部のさまざまな駅で「途中下車」していきますので、どうぞご期待ください。(北)

2011年06月24日

夏の鉄道旅行計画

今年の夏こそは「アンパンマントロッコ列車」に娘を乗せてやりたいと思っているのですが、希望する日になかなか切符がとれません。1両しかないので、発売と同時にすぐ売り切れてしまいます。

特に岡山を11時台に出る便に人気が集中。午後は空席もありますが、やはり午前のほうが四国での時間を有効に使えますからね。

ちなみに私の思い描く日帰りプランは

①スーパーいなば2号で岡山へ
②トロッコ列車で瀬戸大橋を渡り琴平へ
③こんぴらさんをお参りし、コトデンで高松築港へ
④さぬきうどんを食べる
⑤宇高国道フェリーで昔の連絡船航路を満喫
⑥宇野線で岡山、再び「いなば」で帰鳥

トロッコあり、コトデンあり、うどんを食べて船にまで乗れるこのプランは、
ワタクシの趣味に沿うだけでなく、嫁にも娘にも受けると思うんですけどねー
再チャレンジしてみます!!(北)

2011年06月16日

来月3日に「12系客車誘致記念イベント」

いろいろと情報が錯綜しご迷惑をおかけしましたが、
若桜町のHPに「12系客車誘致記念イベント」のチラシがアップされましたので、
リンクを貼っておきます。やはり12系みたいですね。

7月3日(10時~14時)、客車の公開やオリジナル駅弁の販売もあるようですので、
若桜鉄道に乗ってどうぞお出かけください。(北)

http://www.town.wakasa.tottori.jp/dd.aspx?itemid=3268

2011年06月14日

若桜鉄道に念願の客車が

若桜鉄道の若桜駅と隼駅に、JR四国の客車が寄贈されることになりました。
今日の地域面で隼駅のレール敷設作業を紹介しています。


記事を補足すると、文中の「ブルートレイン」というのは、厳密には寝台列車ではなく、
「青い色をした客車列車」です。具体的には、臨時快速「ムーンライト高知・松山」に使用されていた、
12系(または14系)座席急行型客車です。
このブログの読者さんからは「それはブルトレではないだろう」と
お叱りを頂戴しそうですが、一般の方から見れば、青い列車=ブルートレインなのかも知れません
(英語に直訳すると確かにそうなりますね…)。


若桜鉄道に来るのは4両。うち3両は若桜駅、1両が隼駅に設置されるそうです。
隼駅を守る会の西村会長によると、隼駅にはカーペットカーが設置され、
ライダーの休憩場所やイベント会場などとして使用するそうです。
若桜駅の3両は、イベント用などに使われるのだと思いますが、将来的には
同駅のSL「C12」のボイラーを復元し、若桜線内でこの客車をつないでSL列車を
走らせる構想もあるそうです。若桜線活用の幅が大きく広がります。


かなり前から構想はありましたが、関係者の努力と熱意が実り、ようやく実現の運びとなったようです。


記事の最後、西村会長のコメントに「ブルートレイン『はやぶさ』が廃止になってから、客車がほしかった」
とありますが、あくまで来るのは「はやぶさ」(14系寝台)ではなく、「ムーンライト高知・松山」(12系または14系座席)です。ただし、国内では客車自体が減っていますので、ムーンライトの車両でも大いに価値があるのは間違いありません。水を差すつもりはありませんが、念のため。


客車が来るのは7月上旬だそうです。楽しみですね!!
(北)

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郡家方面にレールが10㍍ほど継ぎ足された隼駅の旧貨物ホーム。敷設されたレールは智頭急行で使用されていた50kレール。枕木はPCで本線より豪華

2011年06月01日

季節はすでに初夏ですが…

しばらくぶりの更新です。

写真の整理をしていたら今春大岩駅で撮った桜の写真が出てきましたので、
季節外れですがアップしておきます。

ところで、JR北海道の事故は衝撃的でしたね。
今日の社会面によると、因美線でもかつて推進軸が落下したトラブルがあったとか。
気動車特有のトラブルです。徹底的に総点検をして、
再発防止策をとってもらいたいと思います。(北)

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2011年03月31日

快速山陰海岸ジオライナー、2日から運行開始

因但を結ぶ臨時快速「山陰海岸ジオライナー」が、いよいよ2日から運行されるそうです。
改正版の時刻表で見かけなかったので、本当に運転されるのか疑心暗鬼でしたが、
県交通政策課から昨日、資料配布があり時刻なども明らかになりました。

時刻表に掲載されておらず、チラシも見かけていないので
(役場や観光協会にはあるのかもしれませんが…)、
正直言って周知不足が気になります。鉄道の話題に敏感な私でさえ
こんな状況なので、一般の人はなおさらでしょう。
たくさん乗らないと、夏以降の運行が不透明になってきます。
もっとPRが必要じゃないでしょうか。


言うばかりでは申し訳ないので、私もPRに一役買います。
これを見た方は、必ず最低1度は乗りに行きましょう。


以下、資料から大事なことだけ抜粋します。
1 運転区間:豊岡駅~鳥取駅間2往復
2 運転日:平成23年4月から6月までの土休日
(4/2,3,9,10,16,17,23,24,29,30
5/1,3~5,7,8,14,15,21,22,28,29
6/4,5,11,12,18,19,25,26)

ダイヤは以下の通り。
(上り)
          鳥取発岩美発浜坂発餘部発香住発竹野発城崎温泉発豊岡着
9552D(126系)9:00 9:20 9:36 9:50 10:00 10:15 10:25 10:36
9554D(47系)13:47 14:12 14:40 14:53 15:10 15:38 15:50 16:00
(下り)
           豊岡発城崎温泉発竹野発香住発餘部発浜坂発岩美発鳥取着
9553D(47系)  9:13 9:29 9:39 10:00 10:10 10:32 10:58 11:19
9555D(126系)14:09 14:32 14:43 15:04 15:14 15:32 15:49 16:09


東日本大震災の影響で式典は中止されましたが、4月2日と3日に鳥取駅と岩美駅から乗車される方には、先着500名に「記念乗車証」と「記念品(余部鉄橋鋼材片入り携帯ストラップ)」が贈られるそうです。また、鳥取駅発9:00の一番列車にあわせて、8:40頃から鳥取駅3番ホームで鳥取県副知事が挨拶されます。

ジオライナーを因幡・但馬の観光と活性化、ジオパークのPR、両地域の連携強化に存分に生かしましょう!!私ももう少し落ち着いてから乗りに行きます。
(北)

2011年03月28日

山陰の鉄道への影響

東日本大震災の影響で車両部品メーカーが被災し、特急「やくも」の編成が4両と短くなっています。国鉄型の車両に影響があるそうですね。26日付本紙では、山陰線と伯備線の普通列車の一部でも編成を短くすると報じています。普通列車は計4本程度なので大きな影響はないと思いますが、長期化しないことを願うばかりです。

2011年03月10日

昭和の国鉄車両がまた一つ姿を消す

岩田さんから情報をいただき気付きました。
キハ58・28が高山本線での運転を最後に、11日をもって国内の定期運行から外れるそうです。
3年ほど前に高山線に乗った時、120系だったので、
てっきりもう引退していると思ってました…。

山陰にも馴染みの深い形式ですね。
わかとり国体を前に登場した快速「わかとりライナー」で使用され、
まだ旧型客車中心だった当時の山陰本線では目を引く存在でした。
時代の流れとともに、見慣れたこの列車も引退ですか。
本当に長らくお疲れさまでした。
なんだか最近サヨナラばかり。湿っぽくなります(涙)。

現在専用のヘッドマークを掲げて走行しており、
明日の最終日は富山駅でセレモニーがあるそうです。
仕事を休んで富山まで足を伸ばせる方は、ぜひどうぞ…。

カラカラと響くエンジン音を久々に聞いてみたい!(もちろん行けませんけど…) (北)

http://takayamasen.com/kiha/

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2009.5.15 岩美駅にて

2011年03月05日

キハ47福知山色in浜村

浜村駅で米子方面へ回送中のキハ47単行に出くわしました。
車両番号は「キハ47 2」。
あずき色の車体でドアの部分だけ緑の帯が入った車両です。
この色は主に福知山エリアで使われるため、福知山色と呼んでいます。
普段は米子支社管内で見ることはありません。

検修(車検のようなもの)のため後藤工場へ回送されていたのではないかと推測します。
とすれば、現在JR西日本は車両ごとに色の統一化を進めているため、
帰ってくるときは山陰でよく見かける朱色(首都圏色)に戻されるのではないかと思います。
あずき色もそんなに悪い塗装じゃなかったのになー。

キハ47の場合、首都圏色は国鉄時代からのオリジナル色だからまだいいのですが、
伯備線の115系電車のまっ黄色のモノカラーはとても変なので、
一刻も早くやめてほしいと心から願います。(北)

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浜村駅を出発する福知山色のキハ47回送列車。1番線には国鉄色のキハ47が見える

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この塗装もいずれ見られなくなるだろうから、今のうちにパチリ

2011年03月04日

3・12ダイヤ改正に向けて

来たる3月12日にJRグループのダイヤ改正が行われます。
九州新幹線の開通が一番の目玉。新型車両の導入や新しい特急など華やかな話題も尽きません。
しかし、鉄道会社では改正に伴ってシステムを変更するなどいろいろコストがかかるそうですね。
改正に伴い消えゆく車両や列車もあり、まさにマニアにとっての春は出会いと別れの季節と言えます。

改正内容を、独断と偏見で勝手にランキングしてみました。

1位 九州新幹線(鹿児島ルート)が開通!! 岡山で「やくも」が接続(「スーパーいなば」の接続は今一つ)
2位 特急「北近畿」が「こうのとり」となり羽ばたく。一部新型車両287系に。
3位 特急「雷鳥」がすべて「サンダーバード」に統一。
4位 北陸エリアで521系の導入に伴い、かまぼこ電車が姿を消す。
5位 南草津に新快速が停車…昔の南草津を知る私にはちょっと驚き

あくまで私個人のランキングです。
列挙してみるとすべて西日本管内でした。

「北近畿」と「雷鳥」の呼称が消え、「さくら」「みずほ」が新幹線で復活。
漢字の愛称が消えてカタカナやひらがなが増えてきましたね。

ちなみに287系の運行開始に合わせ、
12日午前7時10分から豊岡駅で出発式が開かれるそうです(今日の日本海新聞但馬版27面参照)。
時間のある方はどうぞ―。

みなさんのランキングはどんな感じでしょう?
マニアックなやつをコメントに残してください。(北)

2011年03月02日

倉吉駅の旧跨線橋

今日の日本海新聞25面をご覧になられたでしょうか。
倉吉駅の旧跨線橋が、橋上駅の完成に伴って引退するニュースを紹介しています。
私も以前、まじまじとこの橋を観察したことがあります。
柱の一部に装飾がほどこされ、古い年号も記されていました。
1908年製とのことで、倉吉駅が開業して5年後に造られたことになります。
当時の駅はどんな様子だったのでしょうか。

今朝この記事を読みながら、倉吉に住んでいた祖父のことを思い出しました。

正月や盆になると、京阪神に住む叔母が倉吉に帰省。
帰る頃になると、祖父は必ず駅まで送りに行っていました。
わざわざ入場券を買ってこの跨線橋をまたぎ、
「あさしお」に乗り込む叔母に荷物を渡していたような記憶があります。
当時はエレベーターもエスカレーターもありませんから、
重たい荷物をホームまで持ってやりたい、という父親としての優しさでしょう。

寡黙な祖父でしたが、見送りは欠かしたことがありません。
自分が父親となった今、その気持ちがよく分かるようになりました。

跨線橋の写真を見てそんなことを思い出し、
朝からちょっぴりセンチな気持ちになった筆者でした。(北)

2011年02月22日

快速列車の愛称決定

「山陰海岸ジオライナー」運行へ
2月22日 15:55

JR西日本は22日、4月からJR山陰線鳥取-豊岡間に新しく登場する臨時快速列車の愛称が「山陰海岸ジオライナー」に決まったと発表。

(Net Nihonkaiローカルニュース速報より)

無難な名前に落ち着いたようです。
似たような名前を応募したような…。
臨時とは言わず、長く走ってほしいですね。(北)

2011年02月02日

「新」倉吉駅などで鉄道展を開催!! 13日から

 日本海新聞は、橋上化された〝新〟JR倉吉駅の供用開始を記念して「Eki 鉄道展」を2月13日(日)から2月27日(日)まで、駅に併設されたエキパル倉吉1階多目的ホールとパープルタウン2階特設会場(倉吉市山根)で開きます。1903(明治36年)の開業以来、多くの人に親しまれている倉吉駅の歴史を写真や鉄道模型のNゲージ、懐かしのヘッドマークなどの鉄道グッズで振り返ります。
 今回の鉄道展の目玉は2つあります。1つ目は子どもから大人まで楽しめる全長約30メートルのNゲージコース。もう一つは寝台特急「出雲」や特急「あさしお」「まつかぜ」など、山陰本線で活躍した8つの列車のヘッドマークやトレインマークです。
 また、会期中の2月13日(日)と27日(日)には、エキパル倉吉で鉄道グッズを販売するイベントを開催。切断レールや列車行先表(サボ)、座席銘板などの鉄道解体品のほか、チョロQや文房具、列車の走行音を収録したCDや鉄道写真を販売します。
 鉄道ファンはもちろん、家族連れにも満足していただける鉄道展へ、ぜひお越しください。お待ちしています。(熊)

展示協力/中部鉄道サークル鉄、DFアロー、写真集国鉄倉吉線出版委員会
お問合せ/日本海新聞中部本社営業事業部 TEL0858(26)8340


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1月15日に供用開始されたJR倉吉駅


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JR倉吉駅付近を走る寝台特急「出雲」号(2006年2月・中原研二さん撮影)

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旧国鉄倉吉駅に到着するSL「C1141」(1973年3月・中原研二さん撮影)

2011年01月28日

雪の隼駅

もうこの挨拶も飽きてきましたが、今年は本当によく降ります。

撮り鉄の皆さんにとっては撮影のチャンスですね。
雪は景色を変えてくれるので、いつもと違う鉄道シーンが広がります。

昨日、営業で八頭町に行く機会があり、隼駅に立ち寄ってみました。
電気機関車と雪の組み合わせを見に行くためです。

降りしきる雪と、古き機関車。うず高く積もった雪に囲まれた木造駅舎。
冬もええですなあ。

あえてホワイトバランスを変えて、寒々しい雰囲気を出してみました。
それにしても、寒かった・・・(北)

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2011年01月05日

豪雪

今回の豪雪により被害に遭われた皆さまのお見舞いを申し上げます。

皆さんご承知の通り、山陰線を中心に鉄道も大混乱でした。
線路上で身動きが取れなくなった「スーパーおき5号」。
救援にいったラッセル車も脱線し、乗客が34時間も閉じ込められました。
運休区間が開通したのは3日になってからですが、その後もダイヤの乱れや運休が相次いぎました。

先月31日、猛吹雪の中、所用のため鳥取市西部で車を走らせていました。
浜村駅近くの踏切で線路を見ると、既に列車が止まっていて、
まるで廃線のように雪が降り積もっていました。
青谷駅では、ホームで普通列車が停車したままでした。

本来、鉄道は車に比べて雪に強いと思っていました。
まさかここまでダメージを受けるとは思わず、特に「おき」の件は
鉄道ファンとしては少々ショックを受けました。残念でした。

今後に多くの教訓を残した今回の豪雪です。(北)

http://www.nnn.co.jp/news/110103/20110103004.html

2010年12月24日

豊岡―鳥取間に臨時快速列車運行 来春から

鳥取県交通政策課から、当ブログへの情報提供がありました。

来春のダイヤ改正で、JR山陰線豊岡―鳥取間に臨時快速列車が走るそうです。
同区間は現在、快速列車はおろか、直通の普通列車さえなく、浜坂で乗り換えが必要でした。
兵庫県北部・鳥取県東部の交流を考えると、このニュースは朗報です。

運行期間、本数、ダイヤなど詳細は不明です。マニアにとっては、どの車両が使われるのかも重要なポイント。もはやエーデルの車両もないし、キハ47じゃ臨時快速としては味気ないし、何が使われるのでしょう。さあみなさん、予測しましょう。

現在、この臨時快速列車の愛称を募集しており、県では「列車の名付け親の募集と言うことで、鉄道ファンの皆さんにもご応募いただきたい」と呼び掛けています。くわしくは以下のページをご覧ください。メールでも応募できるようです。(北)
ホームページ http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=151376

ちなみに、山陰線は山陰海岸ジオパークのエリア内を走ります。が、快速「ジオパーク号」という愛称は、すでに糸魚川ジオパークのある大糸線で走っていますので、採用される可能性は低いでしょう。こちらはキハ52の2両という話題性のある編成。
http://railf.jp/news/2010/05/07/093000.html

2010年12月22日

言い方を考えよう

夕方の混雑する時間に、山陰線の普通列車に乗りました。

外は雨。鳥取大学前から大勢の学生や中高校生が乗り込んできました。キハ47による2両編成の列車はすぐに満員になりましたが、列車の入口付近に乗客が集中したため、まだ全員が乗車できていません。

「車内中ほどにお詰めください…」
再三にわたって車内放送がありましたが、それでもまだホームに人が取り残されています。
時計の針は出発時刻を過ぎています。

その時でした。

「ドンドンドン」と、ホームから激しく窓をたたく車掌の姿。
ドア付近まで駆け寄り、車内をのぞきこんで乗客に向かって大声で叫びました。

「もっと中に詰めて!!」「空いてる席に座ってよ!!」

定時運行が最大の使命である鉄道マンにとって、乗降に手間取りダイヤを乱すのはあってはならないことなのでしょう。確かに、席が空いていても座らなかったり、中央付近に詰めようとしなかったりと、乗客のマナーの悪さも目立ちます。

しかし、ですよ。よく考えてください。中高校生と言えども、金を払って定期券を買っている立派な乗客です。その客に向かって、敬語もろくに使えない社員が未だにいるとは。もう国鉄じゃないんですよ。民間企業ですよ。どこの企業の社員が、ぎゅーぎゅーに詰め込まれた客に向かって「詰めて!!」「座ってよ!!」などと叫びますか。

「申し訳ございませんが一歩ずつ中にお詰めください」「空いている席にはお座りください」と、なぜ言えない。あなたの子どもでも、あなたの生徒でもありません。ベタ座りしている高校生を叱るなら少々きつい言い方でもいいと思うが、この状況は声を荒げるほどのことじゃないでしょう。ダイヤを守りたいがために焦って乗客にあたっているというのがバレバレです。

そもそも、ラッシュ時に2両という車両計画に無理があるのではないか。しかもこの日の車両はロングシートが増設されたタイプではなく、ボックスシートを中心としたオリジナルの座席配置。中に詰めろと言われても、オールロングシートの都会の電車とは違うんだから…。中高生だけに一方的に非があるのか?

「あんな言い方しなくても…」とひそひそ話す中学生。車内の雰囲気が一気に冷え込み、車掌に対して冷たい視線が注がれたのは言うまでもありません。(北)

2010年12月20日

181系と新余部橋梁

撮り鉄ではないのですが、通称お立ち台から、新余部橋梁を渡る181系を撮ってきました。タイミングが微妙にずれて少々残念な結果に終わりましたが、記録ということで大目に見てください。

当日は寒い一日となり、余部の家の屋根には雪が。気合の入ったたくさんの撮り鉄たちに囲まれ、ブルブル震えながら列車を待ちました。北風の冷たいこと…。ちなみに「お立ち台」は粘土質で相当ぬかるんでいますので、お足下にはくれぐれもご注意を。(北)

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新余部橋梁を渡る「カニかにはまかぜ」。この組み合わせはわずかな期間しか見られなかったことになる

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JR浜坂駅では189系との新旧顔合わせが実現。カニシーズンのため両者とも堂々6両の長編成

2010年11月26日

若鉄に新たな仲間

晩秋の若桜谷に、北陸から古老がやってきました。
今日付の本紙でお伝えした通り、電気機関車「ED30 1」が無事、
隼駅の引き込み線跡に移設されたのです。

遠い加賀の地で活躍した電機は非電化の若鉄とは縁もゆかりもないのですが、
こげ茶色の車体は昭和の香りがし、隼駅周辺の雰囲気に意外なほどしっくりとはまっています。

車内を見せてもらいましたが、天井が木製なのに驚きました。

さて、社内ではこの形式を「何て読むのか?」と少々話題になりました。
新聞記事では「ED301」と表記していますが、FMラジオの日本海新聞ニュースは
声に出して読む必要があります。そこで関係者に念のため確認。
「イーディーサンジュウのいちごうき」もしくは「イーディーサンジュウ イチ」が正解だそうです。

北陸鉄道ED30形電気機関車の、最初に作られた1号機という意味です。
ただし、作られたのはこの1両のみで、2号機以降は存在しません。
したがって、この形式は世界に1両しかない、ということになります。
解体スクラップされなくて本当によかった、と思います。

ふるさとから遠く離れた地で「第二の人生」を送ることになったED30。
地域の人をはじめ、隼駅を訪れるライダー、鉄道ファン、子どもたちに、
末永く愛され続けてほしいですね。(北)

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長旅を終え、安住の地にようやく腰を落ちつけたED301


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同じ日に若桜駅に運ばれたロータリー式除雪車。JR貨物が所有し、北陸地方で使用されていたという。豪雪時に主として若桜駅構内で使用される予定

2010年11月15日

キヤ141系気動車【ドクターWEST】を目撃

去る11月5日(金)、岩美町のJR東浜駅でキヤ141系気動車「ドクターWEST」を目撃しました。

翌日開催された「山陰海岸ジオパーク110㎞ウオーク 居組―浦富コース」の準備のために
同駅を訪れたのですが、ステンレスの車体に黄色のラインが入った2両編成の列車が
信号待ちのため停車しているのを発見。同行していた鉄道マニアの上司と同じく鉄道マニアの筆者は、
車体と共に記念写真に収まるなどして甲斐もなく大はしゃぎしてしまいました。

ちなみに、以前(修)さんも当ブログに書かれましたが、
この列車はレールのゆがみを測定したり、信号・通信系の測定を行う、列車のお医者さん。
新幹線の「ドクターイエロー」を見た人には幸せが訪れると言われますが、
ドクターWESTもそうでしょうか?見た目は新快速ですが、エンジンは187系と同じなんですねー。

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2010年11月08日

新旧交代

11月6日、キハ181系「はまかぜ」が最終運転。そして翌7日から新型車両キハ189系での運行が始まりました。

両日とも弊社主催・共催のイベント運営に追われて見送りに行けませんでしたが、仕事の合間を縫って、西鳥取車両支部近くで待機中のキハ189を撮影することができました。

5日の深夜には、最終列車としての役目を終えたキハ181と、早朝の出発を待つキハ189の両方が、同支部で顔合わせ。たまたま最終の下り普通列車の窓から確認できました。まさにバトンタッチの瞬間でした。

新型車両に乗っていないので実感はわきませんが、もう定期列車としての181系には乗れないのですね。新しい車両に乗って、たくさんの人が但馬や因幡に来てくれれば、それでいいのですが。

でもやっぱり寂しいなあ。


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西鳥取車両支部で待機中のキハ189=6日午後5時ごろ


※181系に対するみなさんの思い出話をコメントでお待ちしております。最終日の様子も教えてください。

2010年10月21日

本日の紙面点検 2

今日も鉄道の話題が盛りだくさん。


3面。リニア中央新幹線が直線ルートで決着。
東京―大阪間が67分だそうです。駅の建設場所や費用など課題はまだ山積ですが、予定通り進めば東京―名古屋間は2027年、東京―大阪間は2045年に開通。生きているうちに、お目にかかれるかな…?


7面。九州新幹線「みずほ」朝夕に4往復。
「さくら」に比べて停車駅が少ない「みずほ」。たった4往復か、というのが正直な印象。
馴染みの深い寝台特急の名称を譲り受けた格好ですが、東北新幹線に持って行かれた「はやぶさ」のほうが本当は良かったな…。


26面。「北近畿」改め「こうのとり」号に。
これは賢明な判断。そもそも「北近畿」という呼称は列車以外で定着していません。但馬、丹波、丹後を総称してそう呼びたかったのでしょうが、あまりに広すぎます。じみーな愛称だったので、白い新車導入とあわせて名称が変わることは、大いに評価したいと思います。この際「きのさき」も「ジオパーク」号にしては。

別刷り山陰海岸ジオパーク世界認定記念特集4面。「スーパーはくと」車内にジオパークのポスター掲示。
智頭急行に乗って、全国から山陰海岸ジオパークを見に来てほしいですね!!(北)

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来春からこうのとり号として運行される287系電車

2010年10月19日

本日の紙面点検

今日はいつもと趣をかえ、「鉄探知機」による紙面点検。

21面。長野電鉄から若桜鉄道へ移籍した貨車が、乗客を乗せて構内を走り始めた模様。
今後の若桜鉄道の動向に目が離せません。

その下の倉吉線廃線トレッキングの記事。泰久寺のホームが短いのは知っていたが、「運転士泣かせ」と言われていたとは。周辺の勾配は知りませんが、下り坂の先に短いホームがあったらきついでしょういね。

16面「いなば余談」。ローカル線ブームの一方で、消えゆく線路や列車があるのは確か。せめて地元の若鉄はみんなで守っていきたいもの。フォーラム、面白そう。

18面。鳥取駅探検ツアー参加者募集。運転シミュレーターが気になります。

以上、鉄ネタ満載の日本海新聞を今後ともよろしくお願いします。(北)

2010年10月09日

新旧交代へカウントダウン

本業が多忙のため、長らく更新していませんでした。すいません。

更新もさることながら、久しく列車に乗っていません。鉄分補給がしたいです。

さて、報道のIデスクが先月19日に浜坂駅で公開されたキハ189系を見てこられたそうです。日本海新聞でも報じられましたが、私は行けませんでした。Iデスクが携帯電話で撮影した写真をアップします。提供ありがとうございました。実際には11月7日から運行されます。もうすぐですね。
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http://www.nnn.co.jp/news/100919/20100919001.html

ところで(話は飛びますが)、余部鉄橋の通称「お立ち台」が11月から再び開放されるというニュースがありました。既に開放されているのでしょうか。今だけ、新橋りょうを渡る181系が撮れますね。
http://www.nnn.co.jp/news/100914/20100914008.html

181系で4時間かけて大阪に行こうと提案したら、妻に反対されました。確かに鳥取発は朝も早いけど…。あと一カ月。乗りに行きたいなあ…。(北)

2010年09月06日

バタデン

週末、「バタデン」こと一畑電鉄(島根県)に乗ってきました。

出雲大社前駅に、映画「RAILWAYS」で一躍脚光を浴びた旧型電車「デハニ50」が保存展示してありました。以前来たときは雲州平田駅構内の側線にありましたが、映画で人気が出て公開することにしたんでしょうね。昼間は車内に入ることもできます。とってもいい感じでした。(北)

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2010年09月02日

若桜鉄道 貨車 詳報

今日付の日本海新聞で貨車の記事をご覧いただきましたか?

写真でお分かりになる通り、横板は木で出来ています。形式は「ト1」だそうです。
貨車自体が珍しいのに、まして木製の貨車なんて滅多に見ることができない代物。
スクラップ寸前だったそうですが、間一髪、若桜で第2の人生を歩むことに。

無蓋車を探し続けた若桜鉄道の職員さん、仲介された長野県の鉄道ファンの方、
そして無償で譲る決断をしてくださった長野電鉄の職員さん、みなさんに頭が下がります。
多くの人の愛情と努力で、この貨車が後世に残されるようになったこと、
本当に良かったと思います。感動ものです。

さて、昨日の積み降ろしから試運転に至る様子を、
報道記者から借りた写真などで紹介させていただきます。

お時間ある方は、週末あたり、ぜひ実物をご覧になってください。
ただし、横板などは相当痛んでおりますので、くれぐれもお手は触れないよう…。

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長野県からトラックで運搬されてきた貨車は、道の駅駐車場から側線へ、クレーンで慎重に移された

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自重6.2㌧と軽いため、2人で押すことができる

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長野電鉄では保線用としてバラスなどを運搬。オプション(?)で架線柱も付いてきた。若桜鉄道は非電化なのだが…(笑)

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はじめて「C12」と連結。これからは手を取り合って生きていこうね…

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黒い貨車とSLが似合う。今後、イベントで駅構内を走るトロッコとして活躍する予定

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関係者がさっそく「1番列車」に試乗。風を切って走行する貨車から眺めるSLは最高!早く一般の人も乗れるようになるといいですね

2010年08月24日

鉄道員の背中

若桜鉄道の駅員さんは、少ない人数で切符販売から列車の安全確認、車両整備、観光客の対応まで、何でもこなしておらます。暑い中、お疲れ様です。

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2010年08月19日

余部鉄橋は「東洋一」ではなかった

 先月16日、98年の永き歴史に幕を下ろした余部鉄橋。テレビなどの報道で「かつて東洋一と言われた余部鉄橋…」などという表現を耳にしませんでしたか?

 この「東洋一」という“枕詞”の真偽について、徹底的に調べ上げた方がおられます。

 兵庫県在住のTさん。彼はミャンマーの山奥で偶然、余部鉄橋より大きなトレッスル橋に出合いました。

 1901年にイギリスが建設した「GOKTEIK」(ゴッティ/ゴクテイク)という鉄橋です。余部と同じトレッスル橋で、15本の橋脚に支えられています。全長は689m、高さ(最高地点)102m。

 余部鉄橋は1912年に完成し、全長310m、高さ(最高地点)41mですので、当時すでに、GOKTEIKのほうが高さ・長さともに「東洋一」だったことになります。

 「余部鉄橋は東洋一の高さだで」と小さい頃から教え込まれてきたTさんは、相当なショックを受けたそうです。

 鉄道マニアでもない彼が資料をあさったり、各地の鉄道博物館などに問い合わせたりして、結論を出されました。

 「明治初期という時代背景にあって、鉄道技術者たちは、GOKTEIKの存在を認識しながらも、西洋列強を意識した対立概念として、あえて余部鉄橋の規模を“東洋一”と表現したのではないか」

 その後、時代が変わっても誰も検証することなく、行政もマスコミも東洋一という表現を使い続けて多くの誤解を生み出した、とTさんは指摘しています。

 確かに、最後まで余部鉄橋の高さが「東洋一」と勘違いしている人はたくさんいました(私の母は、なんぼ言っても高さ日本一の鉄橋だと信じて疑いません)。実際には、余部より高い橋は国内にもあります。

 地元住民が、余部鉄橋をふるさとの宝として大切にしてきたことは意味のあることですが、多くの人が最後まで勘違いしていたのは残念なことです。客観的事実に基づき、その価値を正しく再認識・修正すべきだったでしょう。余部鉄橋の魅力は、高さや長さだけではなく、潮風や風雪に耐えて役割を果たし続けるその姿、そのものにあったような気がします。こんな橋、世界のどこにもありません。どこかの歌の歌詞を借りれば、「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」だったのではないでしょうか。

 今回、TさんからGOKTEIKの写真をお借りしました。この橋も、きっと余部鉄橋同様、重要な役割を果たしてきたのでしょう。個人的には、どちらが一番かということにあまり興味はなく、ただただ「乗ってみたい」と思うわけであります。GOKTEIKも近く架け替えの予定があるそうです。(北)

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余部鉄橋の規模をしのぐミャンマーの鉄道橋「GOKTEIK」

2010年08月05日

新余部橋りょう開通記念特別展示 7日から鳥取駅で

鳥取県交通政策課からご案内をいただきましたので紹介いたします。(北)
※県からのメールの一部をそのまま抜粋しています

新余部橋りょう開通記念特別展示「amarube【余部】~これまでと、これか
ら~」

日時:平成22年8月7日(土)~16日(月) 10:00~17:00
場所:JR鳥取駅内 2F特設会場(券売機横の階段から上がっていただくところ
です。)
展示内容:
<旧余部橋りょう関係>
写真(香美町からお借りする千崎氏、服部氏のもの。岩田氏のもの。)
余部を走った列車の模型(Nゲージ・協力:鳥取鉄道模型倶楽部)
関連グッズ(旧橋図面、山陰本線ダイヤグラム、運転時刻表、サボ、硬券切符な
ど・協力・中部鉄道倶楽部「鉄」、JR西日本米子支社、豊岡駅など)

<新余部橋りょう関係>
工事中写真
工事説明資料
新橋りょう図面
使用鋼材サンプル 等

2010年08月02日

余部の様子

 週末、取り壊し中の余部鉄橋を見てきました。保存される西側の3脚をのぞき、橋げたや橋脚は粛々と解体撤去されつつあります。家の解体もそうですが、壊すのはあっという間ですね。そのうち跡形もなく消えてしまうのでしょう。

 記録として何枚か撮っておきました。これはこれで、今しか見れない光景。偶然通りかかった代行バスと新旧鉄橋のコラボも見られました。バスは満席。青春18切符の利用者もいるのでしょうか。(北)

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遠景。鉄橋が消え、だんだんコンクリート橋の全容が見えてきた。やはり高速道路と変わらない

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時間調整のため〝餘部〟で停車中の代行バス。満席の路線バスを見かけるのはこのあたりでは珍しい

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今しか見られない代替バスと路線バスのバス停のコラボ

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民家の間から、かろうじて鉄の橋脚がのぞく。あらためてその大きさを実感

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橋げたが切断され、線路は途絶えてしまった

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急ピッチで進む工事。見に行く度に姿が変わっていくのだろう

2010年07月26日

ちょっぴり皮肉を

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 一ヶ月間列車の運行を止めて架け替え工事を行っている余部橋りょう。23日には「横取り・回転工法」なる工法で、新しい橋の線路が一本につながったそうです。

http://www.nnn.co.jp/news/100724/20100724002.html

 さて、ここでちょっと冷静に写真を見てみましょう。「えらくカーブしているなあ」と思いませんか?中には「これで完成?」と思う人もいるかもしれません。が、間違いなくこれが新しい橋です。

 確かに、私たちが知っている橋というのは、一直線です。旧余部鉄橋もそうでした。では新しい橋がなぜこんなにS字カーブになったかと言うと、ご存じの方も多いと思いますが、橋りょうの東側にすぐトンネルがあるためです。トンネルを削るとなると工期も費用もかさんでしまうため、やむを得ずこの形となってしまいました。

 これだけカーブしていると、列車は安全のためスピードを落として走行する可能性があります。おそらく「制限速度」が設けられるはずです。せっかく来春に車両が新しくなる特急列車も、橋を渡るために減速して走行するのでしょうか。新型車両は残念ながら振子列車ではありません。

 安全確保のための架け替えで、高速化が目的ではないことは分かっていますが、個人的な感想としては、非常に中途半端な橋になってしまったとの印象がぬぐえません。減速によって景色を眺めるのにはちょうどいいかもしれませんが、さて、橋に何キロの制限速度が設定されるのか、ある意味楽しみです。(北)

http://www.nnn.co.jp/sp/movie/news/100722/20100722228.html

2010年07月07日

「法勝寺電鉄」

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 今日の本紙1面「海潮音」で、法勝寺電車の話題が登場します。同電車は1967年に廃止されたため、米子育ちの私でも走っているのを見たことがありません。しかし、沿線のお年寄りの脳裏には印象深く焼きついているようです。

 ちなみに「法勝寺電車」とは通称で、開業当時の法勝寺鉄道に始まり、伯陽電鉄、日ノ丸自動車法勝寺電鉄線と名前を変えています。

 ちょうど昨日、米子市へ出張があったので、空き時間を利用して元町商店街に保存展示されている同電車の客車を初めて見てきました。

 まるで夏目漱石の「坊ちゃん」に出てきた「マッチ箱のような」、小さなかわいらしい客車です。最近の鉄道車両はステンレス製が当たり前ですが、当時は木製。簡素な板張りで、車両火災が起きたら一気に燃えそうです(笑)。

 案内板によると、この客車は明治20(1887)年、英国バーミンガム製(ただし何度か改造されている)。国内最古の木造客車だそうです。関西鉄道から国鉄、出雲鉄道を経て伯陽電鉄に移りました。こうして米子の地に残っているのは奇跡と言えるでしょう。

 この客車が、機関車に引っ張られ、ゴトンゴトンと伯耆路を走っていたのでしょうね。大山山ろくののどかな田園風景とローカル私鉄は良く似合ったでしょう。

 ところで、現役当時の法勝寺電車は、あまり見たことがありません。ネットで検索してもヒットしません。どなたか持っておられたら、見せてもらえませんか。写真家・植田正治氏の作品にそれらしき車両が写っていますが、判然としません。(北)

2010年07月02日

新しい橋の愛称

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 架け替え後の余部橋りょうの新しい名称(愛称)について、面白い記事が本紙但馬版に掲載されました。鳥取県内版には掲載されませんでしたが、ネットで見ることができますのでリンクを貼っておきます。
http://www.nnn.co.jp/news/100701/20100701008.html

 あわせて、Net Nihonkaiのトップページに、新橋の呼び名を問うワンクリックアンケートも設けられました。どうぞご参加ください(1週間で消えてしまいますのでご注意を)。

 現橋の運用も、いよいよあと2週間となりました。(北)

2010年07月01日

いろんな「はやぶさ」

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 若桜鉄道の隼駅は、今やすっかりスズキの大型バイク「隼」ライダーの聖地になりました。土日になると、駅務室を利用した売店がオープンし、オリジナルグッズが販売されます。「聖地巡礼の証」なるものも発行され、ライダーの人気を集めています。

 売店の名前は「把委駆(バイク)」。ある友人が「把瑠都(ばると)」と勘違いしていましたが、あちらはエストニア出身の大関です。

 売店の壁には、隼と名の付く物は何でも飾ってあります。例えば、野鳥ハヤブサの写真。運営する隼駅を守る会のメンバーが、鳥取市用瀬町鷹狩に生息しているハヤブサを狙って撮ったそうです。

 もちろん、かつて東京―西鹿児島間を結んだ寝台特急「はやぶさ」、来年春から運行予定の東北新幹線「はやぶさ」、小惑星探査機「はやぶさ」の写真まであります。

 週末の隼駅では、いついっても地元の人が温かく迎えてくれます。訪問客は圧倒的にバイク乗りが多いようですが、今後鉄道利用者も増えてくれたら、と思います。

 8月8日には「隼まつり」が開かれます。全国から隼ライダーが自慢の愛車をひっさげて一堂に集まります。若桜鉄道に乗って、見に行くのも楽しいのではないでしょうか。(北)

2010年06月28日

さらば余部鉄橋

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 今日から本紙「読者のひろば」欄で、さよなら余部鉄橋の特集が始まりました。やはりみなさん、鉄橋に対して色々な思いを持っておられるようですね。山陰に住む人は誰しも、一度や二度はこの鉄橋を渡ったことはあるはずです。人生の節目節目において、さまざまな感慨を持って、多くの人がこの橋を往来したことでしょう。どんな投稿があるのか、あす以降の紙面も楽しみです。

 さて、私自身も旅行や受験、帰省などでこの鉄橋に何度もお世話になったわけですが、昨日、乗り納めをしてきました。

 まず浜坂から普通列車に乗り、鎧まで向かいました。浜坂駅には観光バスが横付けされ、2両のキハ47は満席となっていました。こうしたにぎわいが見られるのも、あと3週間ほど。

 久谷を過ぎると勾配になり、「桃観トンネル」に差し掛かります。このトンネルは、1911年(明治44)に完成。山陰線のトンネルの中で1番長く(全長1,991m)、約4年間の年月をかけた難工事だったと伝えられます。掘削工事にあたった多くは朝鮮人労働者で、多くの殉職者を出しました。鉄橋と並ぶ近代化遺産と言えます。

 ディーゼルカーはエンジンを唸らせながらトンネル内の勾配を走りますが、蒸気機関車のころはもっと大変だったそうです。当時機関助手として働いていた元国鉄職員の川戸稔功さん(67)の話によると、トンネルの中は煙と蒸気で大変高温となり、腕が火傷するほどだったそうです。このトンネルを通過するために、専用のマスクまで積載されていたとか。「重たい貨物列車を引っ張る時なんか、本当にきつかった」と振り返ります。昔の輸送というものは、鉄道マンたちの汗と努力の上に成り立っていたんですね。

 トンネルを出てからは下り勾配が続きます。その勾配の途中に、餘部駅があります。この駅は鉄橋1955年(昭和30年)に、地元住民の強い要望によって開業しました。それまで余部地区の住民たちは、鉄橋を渡り、トンネルをくぐって1.8㌔離れた鎧駅まで歩いていたといいます。

 現在の餘部駅は、工事中のため島式ホームのような配置になっています。ホームの北側に余部鉄橋を渡る現在の線路があり、南側に新橋を渡る新線が敷いてあります。大きく様変わりしました。

 餘部駅を発車すると、もう余部鉄橋です。今回は最後なので、あえてカメラを持たず、五感でしっかりと鉄橋を渡る感覚を確かめました。左手に雄大な日本海を望みながら空中に飛び出した列車は、ゴトンゴトンと渡っていきます。眼下には余部の集落があり、鉄橋下ではたくさんの人がこちらに向かって手を振っています。鉄と鉄による摩擦やレールの継ぎ目が生み出す音が、谷全体に響きわたるようです。あっという間に310㍍の橋が終わりました。

 鎧で折り返し、帰りは建設中の新橋にも目をやりながら鉄橋を渡りました。コンクリートの橋は上部の幅が広く、下からあおってくる風も通さないので、今より安全でしょう。「蒸気機関車で鉄橋を渡る時は、スコップなどが飛ばないように奥にしまいこみ、自身も吹き飛ばされないよう鉄の棒にしがみついていた」という川戸さんの話を思い出しました。鉄橋の上はやはり、それほど風がきついようです。

 餘部駅で降り、今度は横や下から、橋脚を眺めました。解体工事の準備か、すでに橋脚には足場が付けられていました。もはや絵にはなりません。

 時刻表によると、余部鉄橋を渡る最終列車は7月16日の下り特急「はまかぜ5号」となりそうです。別れを惜しむファンでにぎわうのでしょうか。寂しいですが、今はただ、鉄橋に感謝するだけです。余部鉄橋の雄姿は、私たちの記憶の中に永遠に生き続けることでしょう。ありがとう余部鉄橋、そしてお疲れさま。(北)

2010年06月21日

一畑電鉄の旅③~一畑口から薬師までのアクセス改善を

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一畑薬師で毎年5月に行われる2歳児まいりの様子


 一畑電鉄の設立の目的どおり、まさに電車に乗って一畑薬師参りにやってきたわけですが、一畑口で降りた客の中に参拝客は私たち以外いませんでした。今は車で行く人が圧倒的に多いようです。

 まあ少数派なのは別にいいのですが、ここで大きな問題にぶち当たりました。一畑口駅から同薬師までのアクセスが非常に悪い。平田生活バスという市営バスが走っているのですが、必ずしも松江方面からの電車と接続していません。

 私たちが一畑口に到着したのが13:08。一畑薬師行きのバスは、わずか4分前の13:04に発車するダイヤになっています。全国的に見ても、こんな無茶苦茶なダイヤ設定はありえません。改善すべきです。

 次のバスは14:00までなく、これでは同時刻から始まる祈念の行事に遅れてしまうので、やむを得ずタクシーを呼びました。バスであれば片道200円の距離が、1500円以上かかりました。

 ただ、タクシーの運転手さんは非常に親切でした。独特の出雲弁で、今はなき一畑駅の跡地や、同駅から薬師に向かって延びる石段(参道)の場所を教えてくれました。「駅周辺には宿坊や土産物屋があったそうです」「昔は今のような道路がなく、参拝客は電車から降りて1200段もの石段を上っていたんですよ」などと解説してくれました。

 一畑薬師は山のてっぺんにありました。「目のお薬師さま」として、古くから信仰を集めてきたお寺です。「め」と大きく書かれたたくさんの絵馬が、風に吹かれてカラカラと涼しげな音をたてていました。

 境内は既に多くの子ども連れでにぎわっていましたが、この中で電車を使ったのはおそらく私たちだけ…。

 同薬師の2歳児まいりの謂(いわ)れを少し。その昔、ある両親がわが子の眼病平癒のため、お堂の周りを御真言を唱えながら一心不乱にまわり、遂にはその眼病を治したと言われています。その両親の強い信仰心と、わが子への愛情にちなんで行われる行事です(同薬師HPより)。

 本堂で法要が行われたあと、草踏み行事といって、大勢の人が子どもと一緒に本堂を回りました。最後に、導師さまから子育ての心得などありがたおお話を聞きます。「人間は手を合わせる姿が一番美しい。親子で、手を合わせる習慣をつけましょう。すべてのものに感謝しましょう」。

 同薬師は見晴らしの良い場所にあります。説法のあと、眼下に広がる雄大な景色を眺めました。緑の山々の向こうに、宍道湖が鏡のように光っています。心が洗われるようでした。

 帰り道はバスに乗りました。乗客は私たちだけでした。乗客が少ないんだからせめて利便性あげようよ…。一畑口からは、電鉄出雲市経由で帰路につきました。

 次は子どもが4歳になったとき、再び同薬師にお礼参りに来ようと思います。もちろんその時も、車ではなく「バタデン」(一畑電鉄)で。(北)

2010年06月18日

一畑電鉄の旅②~一畑口駅のスイッチバック

 切符はまつえ宍道湖温泉から電鉄出雲市まで購入しました。一畑口のみ途中下車が認められることを、窓口で知りました。ちなみに、一畑電鉄を乗りつぶしたり、往復する場合は、フリー乗車券がお得です。

 先頭車の一番前を陣取りました。ロングシートなので体は横を向いていますが、首を右に向ければ進行方向を眺めることができる<特等席>です。私鉄にはこういう車両があります。

 12:41、まつえ宍道湖温泉を定刻に出発。旅館街を通り抜けると、青い宍道湖が目前に広がります。「まるで海の中を走ってるみたい」という妻の言葉に、「わが意を得たり」と思わずニンマリしてしまいます。

 左右に揺れながらのんびり走る電車にわが身をまかせ、およそ50分で一畑口に到着しました。

 一畑口は面白い駅です。松江方面から来た電車は一度北向き(一畑薬師の方向)に突っ込んで停車し、乗客が乗り降りした後、南向きに進行方向を変えて発車。その後西に進路をとり、電鉄出雲市をめざします。いわゆるスイッチバックで、これまで先頭だった車両が最後尾になります。運転士はホームを歩いて運転席を移動します。

 なぜこういう構造なのかは、同電鉄の歴史を紐解いていけば分かります。同社は今をさかのぼること98年前、一畑薬師への参詣客の輸送を目的に設立され、1915(大正4)年までに出雲今市(現電鉄出雲市)―一畑間が開通しました。一畑駅は今の一畑口より約3キロほど北にあり、薬師への最寄り駅でした。一畑口は当時、小境灘と呼びました。

 その後、小境灘―北松江(現まつえ宍道湖温泉)間が1928(昭和3)年に開通。東西からの路線が小境灘で合流し、手を合わせるような格好で一畑へ向かっていたわけです。しかし、不幸にも戦時中の1944(昭和19)年、鉄の供用のため小境灘―一畑間は運休、そして廃止に追い込まれてしまいます。

 同電鉄は、かつて名実共に一畑薬師への参拝のための重要な交通手段であり、今はなき一畑駅が終着駅だったわけです。その名残が、一畑口駅のスイッチバックに見られるということです。(北)

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一畑口駅のホームから南(宍道湖)側を臨む。左に離れる路線は松江方面、直進し右へ折れる路線は電鉄出雲市へとつながる。

2010年06月17日

一畑電鉄の旅①

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 島根県のローカル私鉄・一畑電鉄を舞台にした映画「RAILWAYS(レイルウェイズ)」が、全国で上映されています。封切りと同時に映画館へ行く勢いでしたが、諸事情により、まだ見ていません。切符型の前売券を大事に持っており、近く見に行く予定です。

 その話題の一畑電鉄に、先月の大型連休期間中に乗る機会がありました。

 今回の(本来の)目的は電車ではなく、一畑薬師へ行くことでした。同薬師では、毎年この時季に「二歳児まつり」が開かれており、満2歳を迎えたわが娘の健やかな成長を願いお参りに行ったのです(本来は数えの2歳児が対象です)。

 車で行くほうが便利なようですが、乗り鉄の私としては当然鉄道を選びました。

 5月3日午前10時13分、倉吉駅から特急「スーパーおき3号」に乗車。久々に山陰本線を西に向かって走ります。乗り物好きの娘は何かを察して大興奮です。

 大型連休中と言えども、山陰本線の特急は自由席でも7割程度の乗車率でした。指定席は1両増結し計3両編成でした。

 進行方向右側の座席を陣取りました。天気が良く、日本海がきれいでした。米子からは中海、大橋川を眺め、倉吉からわずか57分で松江に到着。鳥取・島根両県の高速化の恩恵です。

 松江で下車し、一畑電鉄のまつえ宍道湖温泉駅までバスで移動。松江は道が狭く、両駅間の移動は時間がかかります。JRとの接続はこの点がネックです。途中で昼食をとる時間がなく、パンやお菓子でしのぎました。

 売店では、レイルウェイズの関連グッズが並んでいます。映画にも出てくる同電鉄の「デハニ50」のチョロQを衝動買いしました。

 頭端式ホームに、折り返し電鉄出雲市行が入ってきました。元京王の5000系の2100系電車でした。(北)

2010年05月11日

韓国鉄道新旧の顔①~プロローグ

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空港へのアクセスも鉄道で。ソウル便に接続するちょうどいい「とっとりライナー」があった=浜村駅にて

 韓国に行くのは、今回が2度目である。1度目は、10年前、貧

乏学生時代であった。当時滋賀県に住んでいた私は、友人3人と

共に、青春18切符で普通列車を何度も乗り継ぎ、下関まで向かっ

た。下関から関釜フェリーに乗船。一番安い雑魚寝の2等室で、

当時は学割で片道6000円ほどだったように思う。船内は「韓国」

であった。韓国から日本に行商か来るおばさんたちであふれ、キ

ムチの匂いがした。船内で一泊すると、目の前に釜山の街並みが

現れた。

 あの頃と比べて、どう変わったのだろう。10年ひと昔と言うが

、特に韓国の発展は凄まじいものがあると聞く。鉄道では、高速

鉄道の「KTX」が2004年に誕生している。僕が行った頃はまだ「

セマウル」が優等列車で、釜山からソウルまで4時間10分かかっ

た。当時、建設中の高速鉄道を横目に見ながら、セマウル号の食

堂車で食事をとったことを思い出す。


 期待に胸を膨らませながら、浜村発10時45分の快速とっとりラ

イナーに乗る。今回の韓国旅行では、鉄道に可能な限り乗り倒す

予定にしている。それならば、国内の空港までのアクセスも鉄道

にしたい。社員旅行のため、空港まで車に乗せてあげるよと言っ

てくれる人がいたが、断った。われながら、どこまでも「乗り鉄

」なのだと自覚する。ちなみに私の住まいから最も近いのが浜村

駅である。


 10年前はお金がなく船で行ったが、今回はアシアナ航空の米子

―ソウル便を利用する。今もお金がないことに変わりはないが、

一応団体旅行なので、そういうことになっている。無論、山陰か

ら海外に直接行くのは初めてである。


 快速とっとりライナーは、軽快なリズムを奏でながら、西へと

向かった。ボックス席の中に置いたスーツケースが、カーブの度

に通路側にはみ出してしまうので、ポイントの前後などでカーブ

を予想して必死に押さえる。かといって、荷だなには置けないし

、通路に置いたら邪魔になる。列車とスーツケースの相性は悪い

。この点は、バスやマイカーに劣る。(北)

2010年05月07日

新旧「倉吉駅」を別の角度から…

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昨日書いた「倉吉駅」ですが、昨年6月の本紙特集面で、
取り壊し前の倉吉駅の写真と、別の角度の新駅のイメージ図が出ていましたので、掲載します。(北)

新「倉吉駅」

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来年1月の完成予定の新しい倉吉駅。南北が自由通路で結ばれる


倉吉駅では現在、来年1月の完成をめざし、駅舎の橋上化工事が進められています。
古い駅舎は解体され、現在はプレハブの仮駅舎での営業となっています。
連休中に同駅を利用しましたが、狭い仮駅舎に観光客がひしめき合っていました。
ホームも狭い!!使いながらの改築なので仕方ないにせよ、
白線と工事用の塀の間は数十㌢ほどしかあいてない場所があり、危険です。
乗り場も分かりづらく、おばあさんが「1号車はどこでしょうか」と聞いてこられました。
炎天下、太陽を遮る屋根もない場所があり、私はそこで「まつかぜ」の自由席に
乗るために20分ほど汗をかきながら突っ立っていました。

それにしても、橋上駅、どんな感じになるんでしょうね。バリアフリーで人には優しいし、駅裏の有効利用も望めますが、関西方面でよく見かける、「どこにでもあるような駅」にはしてほしくない。観光地倉吉の玄関口らしい、素敵な駅になってほしいです。(北)

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現在使用中の仮駅舎。いかにもプレハブである。仕方ないか…

2010年05月01日

餘部鉄橋写真展

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今日の本紙で紹介された、岩田昭夫さんの餘部鉄橋写真展を見てきました。
大判のカメラで撮影されているので、大きく引き伸ばしても非常に解像度が高く、
まるで余部に来ているような錯覚を覚えました。すばらしい。
集まっているみなさんも、カメラや鉄道の知識の豊富なこと。
色々な情報を教えていただきました。

25年前の急行「白兎」の写真もありました。
旧型客車の写真もありました。
リバーサルフィルムを焼き直したものだそうで、
とても25年前の写真には思えない鮮やかさです。
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写真展は5日まで。ぜひのぞいてみてください。(北)

2010年04月30日

失礼しました

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4月5日付の本ブログ「鉄子の道第一章」で、「三ノ宮まで新幹線を使って片道5000円以内で行けた」と書きましたが、誤りでした。単純に新幹線の自由席特急券(830円)を入れるのを忘れていました。乗車券が3470円、特急券がJR区間乗継割引適用で1440円=写真=、新幹線が830円で、合計5740円。5000円は超えます。自由席を使っても、超えます。なので、やはり「京阪神往復切符」のほうが安いことになります。お詫びして、訂正いたします。まだまだ修行が足りません。以後気をつけます。

「なんでも屋」さんのご指摘で分かりました。さすが本職!ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

2010年04月28日

新型「きのさき」「北近畿」

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 新型「きのさき」「北近畿」などに使用する新型特急形電車287系のデザインが、このほどJR西日本から発表されました(少し古い情報ですいません)。来年春から運行開始予定です。

 デザインは北陸本線を走る「サンダーバード」の683系4000番台を踏襲しつつ、「現在の北近畿号(183系)で馴染み深い暖色系のラインカラーを採用した」とあります。

 インテリアは、足元のスペースを183系よりも広げ(情報によると6センチ)、車椅子や多目室を設けています。もうこれは、ユニバーサルデザインとも言えますが。

 サンダーバードには何度か乗ったことがありますが、とても静かで滑らかで、大変乗り心地のいい電車です。スーパーはくとから乗り換えると、「やはり電車はいいなあ…」と実感してしまいます。

 したがって、この新型287系も、乗り心地の良い電車になるでしょう。路盤の違いはありますが、「きのさき」に至っては、京都方で複線高速化工事も完了したので、快適になるはずです。鳥取から普通列車で城崎温泉まで行き、新型電車に乗って京阪神に行くという選択肢も出てきます。

 山陰の観光全体に与えるインパクト、イメージも変わるでしょう。城崎温泉は関西の奥座敷と呼ばれます(違ったらすいません)。しかし同時に、山陰の玄関口でもあります。今後山陰海岸が世界ジオパークに認定されれば、世界から観光客が訪れることになるでしょう。そうしたタイミングでの新型電車の投入はまさに渡りに舟。城崎温泉を訪れる観光客の8割は、鉄道利用というデータを以前見たことがあります。この客をもうちょっと西に引っ張ることができれば、もっと山陰全体が潤うのですが。

 ところで、JRの発表や報道では、来春にすべての183系を新型に置き換える、とは明記されていません。この点が「はまかぜ」と異なるところです。このため、来春から順次置き換えられるのではないかと、ファンの間で推察されています。つまり、183系は半分ぐらいは延命されるんじゃないかということです。

 考えてみれば、183系の活躍の場も少なくなってきました。非電化単線地域に生まれ育った私にはさほど馴染みはありませんが、国鉄時代の列車ですので、次第に消えていくのは名残惜しいですね。

 そこで提案ですが、0系のように、そろそろ183系やキハ181系を国鉄色に塗り替えてはどうでしょう。今の福知山色は暗すぎます。やはり最期はオリジナルの塗色で。ファンの間で、「国鉄色に戻そう」運動の輪を広げていきませんか。

 もう一つ提案です。「北近畿」の愛称、みなさんどう思われますか。私は今一つだと思っています。地元では「私は北近畿に住んでいまして」「北近畿の出身です」などと使いません。但馬、丹波、丹後です。昔はそれぞれの名前の急行がありましたね。「北近畿」ではあまりにも漠然としていて、しかも愛着もない。ではいっそのこと、「ジオパーク号」にしてはどうか。特急ジオパーク1号城崎温泉行き。どうでしょう?

2010年04月26日

新豊岡駅

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 兵庫県豊岡市は、2011年度までにJR豊岡駅前広場を拡張整備します。これに伴い、1935年に建てられた現在の木造駅舎は取り壊され、新しい豊岡駅が来年3月に完成します=写真=。

http://www.nnn.co.jp/news/100408/20100408053.html

 このニュースを本紙但馬版(4月8日付)で知り、がっかりしました。豊岡駅は乗り換え駅のため、青春18切符愛用者だった私もしばしばこの駅で途中下車したことがあります。建物の中まで詳しくは覚えていませんが、戦前の建物らしい、どっしりとした構えが気に入っていました。但馬の中心駅にふさわしい“気品”が感じられました。あの駅が無くなるなんて・・・。

 JR西日本の資料によると、新駅舎は鉄骨造2階建て。コウノトリの羽ばたく姿を取り入れたイメージだそうですが、それほど個性は感じられません。

 残念に思っていたところ、同じく16日付の本紙但馬版に、豊岡駅前広場の完成予想図が載りました。

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 新広場には、歴史ある駅舎の景観を残すため、現駅舎を模造したバス、タクシーの待合室を建築するそうです。これならなんとか、但馬の中心駅としての面目を保つことができそうですが、でもやっぱり寂しい。

 近年、戦前戦後の古い鉄道施設が急速に失われています。私が青春時代を過ごした滋賀県の北陸本線でも、米原―近江塩津間で多くの駅が改築・新築され、かつての面影が失われました。木ノ本駅なんか、いい味出してたのになあ・・・。

 バリアフリーとか、耐震化とか、駅裏の活性化など、色々と狙いはあるのでしょうが、せめて豊岡のように模造品を造るとか、一部を残すとかしてほしい。どこに行っても同じようなコンクリートの橋上駅舎では辟易(へきえき)します。鉄道は近代化遺産です。貴重な木造駅舎を、みんなの財産を、後世に遺しましょうよ。(北)

「余部鉄橋名残の写真展」

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 山陰本線余部鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)の記録を収めた「余部鉄橋名残の写真展」が、鳥取市栄町のギャラリーそらで29日まで開かれています。

 写真展を開いているのは、兵庫県川西市在住の勤務医、柴田太一郎さん。自身が撮りためた50点をはじめ、余部鉄橋建設時の記録写真、鉄橋を渡った珍しい車両の写真などを展示しています。

 中には、地元余部のアマチュア写真家、千﨑密夫さんの作品もあります。千﨑さんは半世紀の永きにわたって、余部鉄橋だけを撮り続けておられます。長大編成の特急「あさしお」や急行「但馬」のなど、かつて鉄橋を渡った懐かしい作品も盛りだくさん。豪雪の翌日の晴れ間に映える鉄橋など、地元に住んでいなければ撮ることができないような写真が展示されています。私も千﨑さんには但馬勤務時代にお世話になりました。

 ところで、今回展示されている餘部鉄橋開通70周年の記念入場券(香住駅)のコピーに、「未来の余部鉄橋」として、コンクリート橋が描かれています。裏面の説明書きには、「海岸の景観を生かしたシンプルなデザインの鉄橋、夢と希望をのせて新型電車が走ることでしょう。」と書いてあります。

 切符の販売は1982年3月です。約20年前から、既にコンクリート橋の建設が想定されていたことになります。新型電車、とはなりませんが、新型気動車は走ることになりますね。(北)

2010年04月17日

新型「はまかぜ」登場!!

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いよいよ発表・公開されました!

大阪と山陰を播但線経由で結ぶ特急「はまかぜ」の新型車両。形式は「キハ189系特急形気動車」。鳥取以西の山陰本線と、鳥取―岡山間を走る特急が「187系」ですので、順番から行くと当然この番号になると思っていました。

http://www.nnn.co.jp/news/100410/20100410039.html

私はまだ現物を見ていませんが、本紙但馬版(4月10日付)と本紙鳥取版(同11日付)によると、外観デザインはステンレス製に暖かみの感じられる茜色のカラーリングとなっており、先頭車はやや181系に似た流線型が取り入れられ、好感が持てます。黄色の警戒色でかまぼこを切ったような先端の187系より、数段デザインはいいです。

性能は。現在の181系より最高速度が10㌔上がり、130㌔になります。新快速や「スーパーはくと」と同じ速度となります。ただ、このスピードを出すのは姫路―大阪間のみでしょう。加速も良くなります。車体強度を高めて安全性を向上。排ガス中の窒素などを大幅に低減できる環境対応エンジンを導入しています。

ところが、山陰線内はカーブが多いので、あまり性能を発揮できそうにはありません。鳥取島根両県のような抜本的な高速化工事が行われないため、浜坂―大阪の短縮時間は5~7分程度にとどまる見通しです。187系の振り子機能も省略されており、非常にもったいない気がします。

客室内はどうか。座席間と足元のスペースが広がり、急病時に利用できる多目的室も設置。車いす対応トイレもあるそうです。このへんは、実際に乗ってみないと何とも言えません。

基本は3両編成の運用となります。今の181系が4両編成ですが、うち1両、グリーン車はがら空きなので、実態に沿った運用と言えるでしょう。

実際の運用は来年春からです。一斉に181系から置き換えられます。ということはつまり、いよいよ181系のカウントダウンが始まることになります。ひとつの時代が幕を閉じます。

播但線・山陰本線は181系の国内最後の活躍の場です。今後、沿線に撮り鉄や乗り鉄が増えるでしょう。私も最後にもう一度乗っておきたい。あのDML30系エンジンの音を耳に焼き付けとかなければ。

181系については、思い入れが深いので、また今度の機会に書くこととします。来週は所要でちょっと遠くへ行きますので、しばらく更新をお休みしますがご了承願います。「鉄」にも乗りますので、また報告します。お楽しみに!!(北)

2010年04月14日

余部橋りょう架け替え日決まる

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 本業が多忙で更新が滞り、申し訳ございません。新年度に入り、JR西日本から山陰関連の大型のニュースリリースが相次ぎました。概要は紙面やHPでお伝えした通りですが、このブログでもあらためてその内容を紹介し、所感を述べたいと思います。

 まず、JR山陰本線鎧―餘部間で架け替え工事中の「余部橋りょう」が、8月12日から運用を開始するというニュースがありました。本紙4月6日付第2社会面でお伝えしております。

 当初予定より1カ月早い完成で、切り替えに伴って約1カ月間バス代行を行うとのことです。いよいよ、90有余年にわたって風雪に耐えてきた余部鉄橋が、歴史に幕を閉じることになり、感慨深いものがあります。

 JR西日本提供のイメージ図を見ると、新しい橋はどこにでもあるような単なるコンクリート橋で、今の勇壮な鉄橋の姿は失われてしまいます。

 但馬支社勤務時代に架け替えの経緯を取材していました。旧香住町担当だったので、3年間、毎日のように鉄橋を見上げながら下をくぐりました。「はまかぜ」で初めて鉄橋を渡ったのは小学生、現地を訪れたのは中学生の時。何度も鉄橋の近くの「お立ち台」から撮影しました。駅に向かう急な斜面から見える、幾何学的な橋脚。よくぞ明治時代に、こんな構造物を米国から運んだものだと、感心しました。

 地元は大きな財産を失います。しかし、架け替えに対する表立った反対運動は起きませんでした。1986年の悲しい列車転落事故は、記憶に新しいところです。架け替えの最大の目的は列車の定時運行を促すことです。遺族の気持ちを考えると、安全な橋に切り替えをすることは、やむを得ない選択なのかもしれません。しかし、ファンとしてはとにかく名残惜しい。その1点に尽きます。

 新橋の検討委員会では、今の形(トレッスル式)の鉄橋を再現する案も俎上に乗りましたが、予算が倍額となることから、地元負担等を考え却下されました。検討委員会の取材では、公開か非公開かで兵庫県とマスコミがもめたこともあります(結局途中から公開になりました)。

 話がそれましたが、ともかく、現鉄橋に列車が走る姿は7月16日で見納めとなります。みなさん乗りに行きましょう。見に行きましょう。

 弊社の「デスクのぶろぐ」では、(閑)さんが新橋りょうの名称について提言をしています。どうぞそちらもご覧ください。(北)

http://www.nnn.co.jp/mt/henshu/

2010年04月05日

鉄子への道第一章

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2歳の娘が最近、絵本や子ども向け雑誌の新幹線を見ては「しんかんせん」と言うようになりました。普通の電車やトーマスは「ぽっぽ」と言うので、見分けが付くようです。私が大事に持っていた0系のチョロQも今や娘のおもちゃ。0系だろうがN700系だろうが、白い車体に青いラインの電車は「しんかんせん」と覚えてくれました。「鉄子」への道まっしぐら?!でしょうか。

そんな娘を喜ばしてあげたいと、ちょっとだけ先週末に新幹線に乗ってきました。姫路までスーパーはくとに乗り、新幹線ホームへ。猛スピードで駆け抜けていくN700系や、ホームに滑り込む700系、300系、レールスターを見ては「あ、しんかんせん!」「しんかんせんきた!」と大興奮。30分ほどホームで楽しんだ後、300系の「ひかり号」に乗り込み、西明石まで数分の新幹線の旅を楽しみました。

300系も今や影が薄くなりましたが、「のぞみ」が登場した際の代表格的存在で、シートピッチも広く、快適です。特に振り子気動車のスーパーはくとから乗り換えたばかりなので、鉄道が分からない妻も「やっぱり新幹線は静かだなあ」と満悦でした。

ちなみに、その後は西明石から三ノ宮まで満員の新快速に乗り(子連れなのに誰も席を譲ってくれない都会の人たちにあきれつつ)、阪急に乗り換えて王子動物園へ。日帰りですが、鉄道あり動物ありで親子共に楽しめました。

余談ですが、姫路で新幹線に乗り換えたため、鳥取―姫路間の特急料金は乗継割引が適用されました。これにより、鳥取―三ノ宮間は繁忙期にもかかわらず特急料金(スーパーはくと指定席、新幹線自由席)を含めて片道5740円で済みました。鳥取三ノ宮間のスーパーはくとであれば、6470円かかります。なお、京阪神往復割引切符(鳥取―神戸10,000円)のほうが安く移動ができます。以前この欄で、「新幹線を使って片道5000円以内で三ノ宮までいけた」と書きましたが、新幹線の特急料金を入れていませんでした。お詫びして訂正いたします。(北)

2010年04月02日

鳥取の「ヒロ」は…

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 子どもの幼児向け雑誌を見ていたら、「機関車トーマス」の仲間が増えると書いてありました。4月24日から全国東宝系映画館で公開される「きかんしゃトーマス伝説の英雄(でんせつのひろ)」で登場する「ヒロ」という機関車。むかしむかし、日本からソドー島にやってきた機関車で、森の中で忘れられていたところ、偶然迷い込んだトーマスと出会ったそうです。
http://www.thomasandfriends.jp/hiro/index.html

 トーマスがブルーで小型のタンク機関車なのに対し、ヒロは黒色で動輪も多い大きなテンダー機関車。炭水車には「51」と記してあり、誰がどう見ても「D51」を連想します。トーマスのシリーズに日本の機関車が加わったことに、喜びを感じます。

 ところで、もちろんトーマスもソドー島も架空の話ですが、日本にもヒロのように森の中で忘れられつつある機関車が多数あります。

 鳥取県でも、大山町のD51が老朽化し、町が手に負えなくなってソドー島ならぬ隠岐島に渡ってしまうことになりました。鳥取市の「鳥取砂丘子どもの国」にあるD51も、アスベストの問題が表面化して以降立ち入りが禁じられ、人々の脳裏から忘れられつつあります。松の枯葉が機関車のあちこちにたまり、見るも無残。

 先日、神戸市の王子動物公園で見たD51は、きちんとペンキが塗られ大事に保存されていました。

 このまま松林の中で朽ち果ててゆく姿を、私は見たくはありません。SLは近代化遺産です。動態保存は無理だとしても、若桜のC12のように、みんなに愛され続けながら、大切に後世に引き継いでいくべきものです。
 
 いっそのこと、D51を子どもの国から若桜駅に移設してはどうでしょう。まさに、トーマスとヒロがそろうことになり、子どもの格好の遊び場となるはずですが。(北)

2010年04月01日

47クラブで若桜鉄道を全国発信

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 前回紹介した「47クラブ」のサイト内ブログ「47URARA
」で、今日から「在来線の旅こそおもしろい」をテーマにした各都道府県の記事が掲載されています。参加する各地方紙の社員が、一押しのローカル線の旅を紹介しています。知っている場所もありますが、ローカル私鉄など意外と知らない路線もあり、参考になります。各地の記事をぜひご覧ください。
http://www.47club.jp/shop/(HP中央下の47URARAでお好きな都道府県を選んでください)

 わが鳥取県は日本海新聞が担当することになり、不肖私(北)が筆を執らせていただきました。
http://www.47club.jp/shop/goods/search.aspx?pref=%92%B9%8E%E6%8C%A7&search_type=0&search.x=true&aid=tottori&intid=topurara_tottori100201


 上司から「君が適役」とばかりに指名され、喜んで書きました。全国に向けてどの路線を発信するか。答えはすぐに出ました。やはり若桜線(若桜鉄道)でしょう。境線も「鬼太郎列車」や新「ねずみ男列車」などで話題を呼ぶ魅力的な路線ですが、今年で80歳を迎えた若桜線のほうが、より国鉄時代の面影が残っており、終着駅にはSLもあるので、こちらを選びました。

 もうすぐ桜も満開を迎えます。若桜駅の桜もきれいですよ。お弁当を持って、SLと桜を見ながらお花見なんていかがでしょうか。もちろん往復は鉄道で。4月11日には「因州若桜さくらまつり」が開かれるそうです。SLも駅構内を動きます。http://kanko.town.wakasa.tottori.jp/dd.aspx?itemid=1253#moduleid1018

 ちなみに、若桜では最近「豚丼」がブームです。若桜の山奥、吉川という集落で育てられた、おいしい豚肉が使われています。しゃぶしゃぶ肉も、みそ漬けも、柔らかくて本当においしいですよ! 「47クラブ」でお取り寄せもできますので、こちらからどうぞ。(北)
http://www.47club.jp/shop/i/i34M-000025olb/

2010年03月30日

キハ40 2044

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4月から再びマイカー通勤となり、列車通勤に一区切りつけることになりました。最初は不便でしたが、3カ月も列車に乗っていたので次第に慣れ、今では何だか寂しい気がします。列車はエコな乗り物だし、渋滞も関係なく定時に出社できます。本だって読めます。好きな列車に毎日乗れるわけですから、こんな快適なことはありません。もしまた機会があれば、列車通勤しようと思います。

毎日同じ列車に乗っていても、ちょっとした「気づき」があります。今朝乗ってきた列車(4両編成)には、キハ47にまじってキハ40が連結されていました。

珍しいので鳥取駅でよーく観察していたら、ドア付近に「広クチ」と書いてありました。ネットで調べてみたところ、後藤車両所でも鳥取鉄道部でもなく、山口鉄道部の所属だそうです。元々は黄色い広島色でしたが、最近首都圏色に塗りかえられたようですね。貸し出し中なのか、移籍したのかは不明です。昭和55年、宇都宮富士重工製でした。

鳥取駅で切り離し作業が行われ、折り返し倉吉駅行きとなるようでした。

写真を撮っていたら、会社に遅刻しそうになりました。(北)

2010年03月29日

キハ47と47クラブ

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山陰で活躍する旧国鉄車両キハ47。昭和40年代、50年代の車両ですが、まだまだバリバリ現役です。

以前、姫路からの移籍組のカラーリングの写真をアップしました。今回は、鳥取カラーとも言うべき、緑色の47系をアップします。前面には因幡の白うさぎ、横面にはしゃんしゃん傘踊りの傘が大胆にデザインされ、主に浜坂―鳥取間で活躍しています。最近はあまり見かけないので、もし乗車できたらラッキーかも。白兎が幸運をもたらしてくれるかもしれませんよ?!

JR西日本の発表では、ステンレス製を除くディーゼルカーは朱色に統一するということなので、この車両もいずれは塗り替えられるのでしょうか。せっかくイラストしてあるのだから、無理に塗らなくても・・・と思うのですが。

いつ消えてもおかしくないので、写真で残しておきます。

ところで、キハ47の47という数字は、偶然にも都道府県の数と同じです。

弊社をはじめとする地方紙も全国に同じような数がありまして、全国の地方紙が一緒になって「47クラブ」というショッピングサイトを設けています。各地の新聞社員オススメの「旨いもの」を集めたサイトですので、ぜひ一度のぞいてみてください。共同通信加盟社による「47ニュース」もよろしく。

http://www.47club.jp/
http://www.47news.jp/

近々、この「47クラブ」のサイトに楽しい記事が載ります。詳細はまだヒミツですが、またこのブログで紹介しますね。(北)

2010年03月26日

珍しい列車

先日ダイヤ改正にまつわる話を少しだけ書きましたが、その後列車に乗っていて、改正に伴い出現した珍しい列車があることに気づきました。それは・・・

「米子18:30発 普通列車 若桜行」

です。ダイヤ改正前にはなかった列車。帰りにどこかの駅ですれ違いました。車両はJR所有のキハ47の3両(平日)でした。方向幕も「若桜」と示してあり、米子駅で「若桜行」に乗れるという、マニアにとってはよだれの出るような画期的なダイヤとなっています。乗り換えなしで米子から若桜鉄道に乗り入れるとは・・・!!

若桜鉄道の原卓也社長に問い合わせたところ、「鳥取で列車番号は変わりますが、確かに乗り換えなしで若桜まで来れます」とのこと。改正以前は早朝5:32に鳥取を出る若桜行と、折り返し6:25若桜発がJR車両だったそうです。ダイヤ改正後は、米子発の先ほどの列車が若桜に21:56に到着し、一晩休息してから、6:25発の鳥取行となります(ダイヤ改正に伴い若桜鉄道は1往復減っています)。「3両編成ですが、若桜―郡家間は2両しか扉を扱いません」という裏話も原社長に教えてもらいました。

JR車両の乗り入れは3セク発足当初からあるそうで、私が高校生の頃は、若桜からの列車が湖山まで来ていました(今は無き3番線で折り返し)。急行「砂丘」のキハ58+キロハ28+キハ65編成で、グリーン車も無料開放でした。その後鳥取大学前駅が開業し、宝木で折り返していた時代もありました。


日中はご存知の通り、若桜鉄道の車両が郡家から鳥取までJRに乗り入れています。こうした車両の相互乗り入れを行っているのは、乗り入れにかかる経費を相殺する目的と、通勤通学時間帯の輸送力の問題の、両方があるようです。

また、ダイヤ改正後は、若桜鉄道区間を若桜鉄道の運転士が運転し、JR区間(郡家―鳥取)はJRの運転士が担当しているそうです。以前は若桜鉄道の乗務員が、鳥取駅まで運転していました。その理由は聞きそびれましたが(何度もマニアックな問い合わせをするのも気が引けてまして・・・)、責任を明確化するためでしょうか。

若桜線に国鉄車両は似合います。早起きさえすれば、この列車に乗ったり、撮影できたりすることができます。日の出が早い夏場にでも・・・と前々から思っているのですが、朝が弱い私はなかなか実行できません。(北)

2010年03月18日

鳥取自動車道と智頭急行

 京阪神と鳥取市を最短で結ぶ高速道路「鳥取自動車道」の佐用―大原間、河原―鳥取間が今月28日に開通します。残すは大原―西粟倉間のみとなり(2011年度に開通予定)、いよいよ県東部も高速道路時代に突入します。先日、両区間の工事現場を取材してきました。
http://www.nnn.co.jp/news/100311/20100311034.html
http://www.nnn.co.jp/sp/movie/news/100310/20100310184.html
開通の前日には、日本海新聞紙上で4ページ建ての開通記念特集も予定しておりますので、そちらもお楽しみに。


 鉄道ファンとして気になるのは、高速道路の開通で鉄道の利用客が減るのではないかということ。大阪、京都、東京への高速バスの所要時間が短くなるほか、姫路鳥取便の特急バスも復活するそうで、智頭急行の特急「スーパーはくと」に与えるダメージを懸念します。
http://www.nnn.co.jp/news/100305/20100305031.html


 道路の開通をきかっけに鳥取の知名度が上がり、全体として鳥取への観光客が増え、鉄道の利用客もマイカー客も両方増える、というのが理想。しかし現実はそうなかなかうまくはいかないでしょう。今こそみんなで知恵を絞り、本気で観光に取り組まないと他の地域に負けてしまいます。「スーパーはくと」もリニューアルが完成しました。頭を切り替えれば、今が最大かつ最後のチャンスかも知れません。この機会をぜひ生かしましょう。(北)


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開通を目前に控えた大原IC(手前)付近を走る智頭急行の普通列車。客を奪い合う競争ではなく、共存の道を模索してほしい

2010年03月17日

乗務員発行切符

 車に乗らない生活を始めてから3カ月が経ちました。どこへ行くのも公共交通機関。最初は戸惑いもありましたが最近ようやく慣れ、楽しむ余裕が出来てきました。先日は営業で旧船岡町(八頭町)に用事があり、若桜鉄道因幡船岡駅まで列車で行きました。何度も車で訪れたことのある駅ですが、列車からホームに降り立ったのは久しぶり。

 やっぱりいいですね。この駅。駅舎に沿ってコの字型に木製の椅子が設置され、中央には座りやすい丸みを帯びた昔ながらのベンチが。ここだけ時間が止まっているような空気が漂っています。

 もちろん無人駅なので、帰りの切符は車内で買いました。通常はワンマン列車が多く、鳥取駅で降りるときにお金を払うのですが、この日はたまたま2両編成の列車にあたり、車掌さんが乗務していました。パンチで乗車駅と降車駅の欄にパチンパチンと穴を開ける、昔ながらのスタイルの乗務員発行切符を発券してもらいました。JRでは機械化され、こんなの見ることができません。

 貴重なので写真を撮っておきました。記念に残しておきたかったのですが、鳥取駅で回収されてしまいました。(北)

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乗務員が車内で発券する切符

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因幡船岡駅

2010年03月16日

ダイヤ改正とキハ47、33の行方

今月13日に全国一斉でダイヤ改正が行われました。山陰関係では、「スーパーおき」「スーパーはまかぜ」の一部が鳥取大学前に停車するようになり、米子方面からの通学が容易になりました。そのほか、境線で新「ねずみ男列車」が登場しました。くわしくは本紙HPをご覧ください。
http://www.nnn.co.jp/news/100301/20100301030.html

 このダイヤ改正のちょっと前から、鳥取管内でキハ47系の「姫新線色」を見かけるようになりました(この呼び方が正しいかどうか知りません)。恐らく、姫新線姫路―佐用間の新型車両(キハ122、127)導入に伴って発生した余剰車両をJR米子支社が引き受けたのでしょう。(ちなみに姫新線は兵庫県姫路市の姫路駅から岡山県新見市の新見駅を結ぶ158.1㌔の路線です)

 JR西日本が以前発表した内容によると、車体の色はいずれ朱色に統一されるはずですので、今のうちに残しておこうと思い、通勤途中に撮影しました。車体にはまだ「神ヒメ」と記されています。

 そういえば、以前にこのブログで触れたキハ33の姿を最近見なくなりました。鳥取駅に置いてあったチラシによると、津山駅の扇形機関車庫で、1両保存されるそうです。現役を退いてしまったのでしょうか。静態保存ということでしょうか。どなたか詳しい方、教えてください。(北)

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2010年03月15日

鉄道の世界へようこそinわらべ館

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 ドタバタして更新が遅れてしまいましたが、今回は2月11、13、14の3日間に鳥取市西町3丁目のわらべ館で開かれたイベント「鉄道の世界へようこそ」の模様をリポートします。

 このイベントは、わらべ館の主催、鳥取鉄道模型クラブと智頭急行の協力で毎年開催されています。しかし実際に私が足を運んだのは今回が初めてで、レイアウト(ジオラマ)の規模の大きさに圧倒されました。

 目を見張ったのは、現在架け替えが進む余部鉄橋の模型。夏バージョンと冬バージョンの2体がつながり、ぐるっと回って運転体験もできるようになっていました。「スーパーいなば」のキハ187系の模型に車載カメラが搭載され、このレイアウト上を走行。前面展望の様子がテレビに映し出され、実際に運転しているような感覚を子どもたちが体験できるようになっていました。

 それとは別に、新幹線を含む6本もの線路が重なる大きなレイアウトも。台湾新幹線やN700系、出雲、京浜東北線などなど、さまざまな電車や列車が軽やかな音を立てて走っていました。

 展示用の模型も素晴らしい出来。智頭急行のイベント限定グッズの販売などもあり、本当に多くの親子連れが楽しんでいました。

 運営スタッフのみなさんはボランティア。それぞれ仕事を持ちながら、毎年これだけ大きなイベントを運営し続けようと思うと、準備も相当大変だったと思います。でも、子どもたちに夢を与え続けるため、これからも頑張ってほしいと思います。お疲れ様でした。(北)

2010年02月15日

みささ美術館でのNゲージ・鉄道展

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この冬、三朝町のみささ美術館と鳥取市のわらべ館で、鉄道模型や鉄道グッズの展示会が開かれました。それぞれ中部と東部におられる熱烈なファンの皆さんの尽力により開催され、見応えのある内容でした。今回は、みささ美術館での展示をレポートします。

みささ美術館では、「冬休み企画 Nゲージ・鉄道展」と題し、昨年12月4日(金)から今年の2月1日(月)の金・土・日・月曜日及び祝祭日(年末年始をのぞく)に開催されました。

昨年2月に発足した、中部鉄道サークル「鉄」のメンバーによる、ジオラマ・写真等の作品をはじめ、鉄道に関する様々なコレクションを展示されました。期間中はNゲージとプラレールのコースが常設されました。    

実際に足を運んでじっくり見させていただきましたが、そのレベルの高さに圧倒されました。私自身、高校生でNゲージは卒業してしまったので、現在どんな車両が販売されているのか知らないのですが、明らかに自ら塗装したり既製品を改造して製作したと思われる力作もあり、見応え十分でした。

地元関係では、キハ65「エーデル鳥取」やキハ57「ふれあい山陰」、エンジに緑が入った福知山塗装のキハ47、芸備線あたりで使用されている黄色いキハ47、50系客車を改造したキハ33などがあり、楽しませていただきました。

このイベントの面白いのは、自分が持っている車両を持参したら、広いレイアウト(ジオラマ)の上を自由に走らせることができることです(有料)。社会人になってから「北条鉄道」「出雲」「スーパー雷鳥」などの車両群を手放したことをちょっぴり後悔しました。

切符類やサボ(行先票)も(私と違って)きちんと管理されており、「やはり几帳面じゃないといけないなあ」と反省しました。

次回の展示を、楽しみにしております。(北)

2010年01月29日

乗車マナー

 事情があって当面の間、車が運転できなくなり、今月から列車通勤をしています。片道30分、新型のキハ126系に揺られる毎日は、そう悪くはありません。朝は4両、帰りは2両で、だいたい座ることができます。パワフルなエンジン音とレールの継ぎ目の軽快なリズムを聞き、過ぎゆく景色を楽しんでいます。新型は加速も良くなっていますね。これで関西の新快速のように転換型クロスシートになっていたら足を伸ばせてもっと快適なのですが…。

 ただ、気になることが1つ。高校生のマナーの悪さです。学校と同じように大声でしゃべる集団、目の前に人が立っているのに座席に置いたカバンをよけようとしない女子生徒。そこのあなた、イヤホンから音が漏れていますよ。よほど注意しようかと思うこともあります。「親の顔が見てみたい」とはまさにこのこと。

 人のふりみて我がふり直せ。人こそ人の鏡。自分も子を持つ親として、きちんと「しつけ」なければなりません。(北)

2010年01月14日

車両の色

 今月10日付の本紙報道によると、JR西日本は、京阪神都市部をのぞきローカル線を走る車両の塗装を、地域ごとに単色に統一する計画を進めているそうです。京都エリアはグリーン、和歌山は青緑、中国は濃い黄色。ディーゼルカーは地域に関わらず朱色だそうです。これにより、年間約2千万円の経費削減につながるとか。でも何だか、味気なくなっちゃいますね。国鉄時代から引き継いだ鉄製の車両が対象ですが、これらの車両に似合うのは、やはり本来の「国鉄色」。電車は緑とオレンジのみかん色、通称「かぼちゃ電車」が一番です。デイーゼルカーは朱色だそうなので、元の国鉄色が維持されると理解して良いのでしょうか。「JR」のマークも無くし、1両あたりの節約額は、7千円から20万円とのことで、そんなたいした額ではありませんけど・・・。気がかりなのは、境線。鬼太郎列車のキハ40系は、もちろんそのままの塗装で残してくれますよね?JRさん。(北)

2009年12月30日

余部鉄橋

 余部鉄橋列車転落事故から今年で丸23年が経過し、28日に法要が営まれました。
 同鉄橋は来年秋の完成を目指して架け替え工事が進められており、現鉄橋下では最後の法要となります。「悲しみや無念さは消えないが、新しい橋になって事故がなくなるのなら、それは良いこと」との遺族の言葉に胸が締め付けられる思いです。重要文化財級の現鉄橋が無くなるのはとても寂しいことですが、遺族の胸中を思うと、安全な橋に架け替えられることもやむを得ない気がします。
 橋脚の一部は現地保存されると聞いています。できることなら資料館なども整備し、東洋一の鉄橋を作り上げた先人の苦労を、後世に伝えていってほしいと願います。あわせて、悲惨な鉄道事故が2度と起きないよう、切に願ってやみません。(北)
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2009年12月14日

回送

汚ない画像ですいません。久々の登板です。キハ181系が2両、鳥取駅に止まっていたので、新聞社の5階から思わず携帯電話でパシャリと撮影しました。回送でしょうか。普段は日中に同形式は姿を現しませんので、久々に見た気がします。以前このブログで書きましたが、2011年春には「はまかぜ」が新型車両に置き換えられるため、今のうちに記憶と記録にとどめておかなければなりません。今度機会があればもっとちゃんとしたカメラで、近くに寄って撮影しますね。(北)
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2009年11月09日

因美線

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先週末に「みまさかスローライフ列車」が智頭―津山間で運行されたそうです。
私は残念ながら仕事で乗りにも見にも行けませんでした。
この区間の車窓は本当にのんびりとしていますね。
数年前の写真ですが、この区間内にある、那岐駅の写真を貼っておきます。
駅舎がホームより一段低いところにあり、懐かしい感じの駅です。

2009年11月02日

C12

先月18日に若桜町で開催された「鬼っこまつり」に行ってきました。
この日は若桜駅のSLの乗車体験などもあり、大いに賑わっていました。
お召し列車のような国旗まで取り付けられ、とても誇らしげなC12です。
青空に白煙が似合っています。静かな山間に響く汽笛も最高でした。

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2009年10月26日

隼駅にはやぶさ号を

27日発行の団塊の世代向け情報誌「楽団」の表紙撮影のため、若桜鉄道の隼駅に行ってきました。同駅では、地元住民が中心となって、寝台特急「はやぶさ」に使われた車両を持ってこよう、という運動が起こっています。駅にも募金箱が設置されていました。もし実現すれば、バイクの「隼」ライダーのライダーズハウスとして活用されることが期待されますし、鉄道マニアにとっても、「隼駅にはやぶさ号」があればこれほどうれしいことはありません。夢は膨らみます。実現へのハードルは高いと思いますが、ぜひとも応援したいと思います。(北)

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隼駅の切符販売窓口。今はもちろん無人駅。

2009年09月29日

米子駅の思い出

米子駅のホームの端っこで見つけました。
なんて呼ぶのかは知りませんが、荷物運搬用の3輪車。
もう、とっくに姿を消しているのかと思っていました。
私が小さい頃は、広い米子駅のホームを、乗客の間を縫うように走っていたものです。
当時はまだ旅客以外に貨物の取扱いも多く、きっとそういったものを運んでいたのでしょう。

懐かしさのあまり、思わずカメラを向けてしまいました。今なお現役で使われているのでしょうか。
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2009年09月18日

車内販売の廃止

 仕事で松江市宍道町まで行ってきました。都合により、米子で「スーパーおき」から「やくも」に乗り換え。381系は「ゆったりやくも」にリニューアルされて以来初めて乗りましたが、車内で居眠りをしたいビジネスマンに配慮しているのか、照明がやや暗めに抑えてあるのが印象的でした。
 国鉄時代の車両はやはりしっかり作られていて、ディーゼルのキハ187系から乗り換えると、とても静かに感じました。車内放送で宍道湖の案内などもあり、秋の出雲路を眺めながらもっと乗っていたい気分でしたが、後ろ髪引かれる思いで下車しました。
 車内放送で知ったのですが、残念なことに、この「やくも」と「スーパーおき」、「サンライズ出雲」では、9月30日をもって車内販売がなくなるそうです。「スーパーはくと」も既に車内販売はありませんから、山陰の特急列車から車内販売が消えてしまうことになります。
 特急列車に乗り、車内販売のコーヒーや弁当、ビールを買って飲食するということは、ちょっぴり贅沢なことであり、何か特別な感じがしていました。確かに事前に買って持ち込めば安いのですが、狭い通路を行き交うワゴンを呼び止めて買うという行為そのものが、旅や出張の楽しみであり、少々高くても、たいして欲しくなくてもついつい手が出てしまう、そんな存在でした。もっとも、幼い頃は「高いからダメ」と親に厳しく止められていましたが・・・。
 時代の流れ、と言えばそれまでなのでしょうが、特急列車の特別感が薄れたような気がして、非常に寂しい思いがします。またいつの日か、復活を―。(北)

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2009年09月07日

広田アイ

 毎週木曜の午後10時から放送されるNHKの「趣味悠々」に、私の尊敬する鉄道写真家・広田尚敬さんが出演されています。「デジタル一眼レフで巡るローカル線の旅」というテーマで、鉄道写真の入門番組となっています。
 鉄道雑誌などで広田さんの作品を見ることは多かったのですが、映像でご本人を拝見したのは今回が初めて。写真から連想するイメージと違い、とても温厚そうな人柄で、鉄道写真の基本について分かりやすく説明しています。とても参考になります。
 広田さんが各地のローカル線を撮影した写真集が家にあります。この写真集では、国鉄時代の若桜線が登場します。線路を歩いて家路を急ぐ子どもたち、線路の上に立つように落ちてきた枯葉、駅とその周辺に住む人々の何気ない日常・・・。
 「広田アイ」と呼ばれるこれらの写真。そこに写されているのは日本の原風景であり、生活文化であり、鉄道という近代文化であり。単なる鉄道写真の枠を超えた芸術性があります。車両を中心に撮りがちな他の鉄道カメラマンとは一線を画しています。 
 なんでこんないい写真が撮れるのかなあと思っていましたが、番組を見て分かりました。「鉄道写真の基本は駅から歩いてポイントを撮影すること」「列車に乗りながら、この列車がどう見えているか、風景の向こう側を見ている」と広田さんがさりげなく語った言葉を聞き、「ああなるほどな」と感心しきりでした。
よく歩き、よく観察するからああいった写真が撮れるんですね。
 鉄道の写真を撮るために車で長距離を移動したり、車で先回りしてSLを追いかけたりといった、鉄道マニアなのか車好きなのか良く分からない「撮り鉄」がたくさんいますが、やはり、列車に乗って、駅から歩き、「一発勝負」をねらうことが基本中の基本。歩くからこそ発見することがあるはずです。撮るために乗り、撮るために歩くことが大切なのでしょう。「撮り鉄」は本来「乗り鉄」であるべきで、乗っていたら撮りたくなったり、撮っていたら乗りたくなったりするものなので、そもそも「○○鉄」なんて分類は意味のないことです。私も久しぶりに、一眼レフカメラを持って列車に乗りたくなりました。
 みなさんもぜひ、広田氏の世界をのぞいてみてください。
広田尚敬氏のHPは以下の通り。
http://tetsudoshashin.com/

2009年08月31日

秋の夕日に

秋の鉄道写真が好きです。
黄金色の斜光を浴びて走る国鉄色の車体。
木造駅舎の改札口に差し込む光と陰。
余部鉄橋もこの時季、一層赤く輝きます。

夕方、鳥取~津ノ井間でいい場所を見つけ、1枚撮ってみました。
国鉄色のキハ47が鳥取方からエンジンを唸らせてやってきました。

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2009年08月24日

187系6連

運休中のスーパーいなばが、鳥取―大原をピストン輸送するスーパーはくと用に貸し出されています。
通常は2両のミニ特急ですが、週末には堂々の6両編成。
運用は今一つはっきりしませんが、運が良ければ(?)珍しい光景を見ることができます。
写真は西鳥取で休憩中の187系。不鮮明ですいません。
いよいよ来週には運行が再開されます。(北)
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2009年08月03日

若桜谷の車窓から

 先日、若桜鉄道で若桜まで往復しました。
 駅に止まる度に案山子(かかし)を見ることができ、楽しい小旅行でした。

 本紙記事によると、案山子は、日本生命鳥取代理店営業部長の岡上正人さん(56)が同鉄道に働き掛け、設置したものだそうです。各駅のホームや待合室に等身大の案山子が置かれ、ベンチに座るなどして乗客を出迎えています。どれも本当に微笑ましく、ほのぼのとしたローカル線の風景を見事に再現しています。

 若桜に行く度に、案山子の数が増えているような気がします。駅員かと思ったら案山子だったり、子どもが駅で遊んでいると思ったら案山子だったり。ベンチの半分ぐらい案山子が座っていたりして、人間より案山子のほうが多いのでは??と笑ってしまいます。

 帰りの汽車で車窓の風景を楽しんでいたら、農作業の手を休めこちらに手を振るお年寄りが。よーく見たら、これも案山子でした。思わず手を振り返してしまうところでした。花もきれいに植えられ、地域の思いが伝わってきます。新たな魅力が加わった若鉄で、ちょっとした「非日常」体験ができました。(北)

http://www.nnn.co.jp/news/090113/20090113006.html

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2009年07月27日

【鉄な鉄則】駅では池を探せ

国鉄時代から続く、ある程度の規模の駅には、なぜか池があります。
たいてい水が無く枯れれていますので、正確には、池の「跡」です。
必ず、というわけではありませんが、探してみると、小さな田舎の駅でも、意外とあるものです。

ここ、山陰本線福部駅でも発見しました。

池は、駅舎と呼んでいいのか迷うほど小さな待合室を出て、右手数㍍のところにあります。
植栽に隠れていますが、それらしきものがちゃんと残っています。

昔の駅舎には、小さな庭園や池があり、
それらがきれいに整備されていたものです。
駅長や駅員の「誇り」だったのでしょう。

今はさびしい無人駅ですが、この枯れ池のどこかに、
在りし日のにぎわいが映し出されているように感じました。

みなさんも、駅で「池」を探してみてください。
ただし、近隣住民や駅員さんに怪しまれないよう。(北)

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簡素な待合室しかない福部駅。池は写真左の植栽付近にあります。

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2009年07月20日

いで湯のわく駅

貝殻節で知られる浜村温泉。同温泉の玄関口である浜村駅には、貝殻をもった子供たちのオブジェがあり、その下に温泉がしゃんしゃんと湧いています。何年か前に足湯も整備され、気軽に温泉が楽しめるようになっています。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も訪れた温泉地ですが、かつての賑わいはどこへやら。今は旅館が1件だけしかなく、閉鎖した旅館が朽ち果てながらそのまま残っている姿は無残としか言いようがありません。智頭急行が開業し、確かホームの高さが合わないことが問題となり、浜村駅に特急が止まらなくなりました。そして、ますます寂れていきました。いや、列車で温泉を訪れる客が既に少なかったからホーム改修まで行わなかったのか。どちらが先か知りませんが、悪循環に陥っていったことは確かです。

しかし裏を返せば、この寂れた感じが、また良いのかもしれません。駅から歩いて5分ほどの場所に共同浴場や展望露天風呂のある「浜村温泉館」もあります。途中下車して、次の列車の時刻までのんびりと足湯に浸る。駅前の喫茶店「ベニヤ」に入れば、時が止まったような感じがします。

鹿野温泉の玄関口でもあります。
鹿野には全国発信している劇団「鳥の劇場」もあります。
1日に数本でも特急が停車すればいいのに。

同駅を猛然と通過していく「スーパーはくと」を見ながら、ふとそんなことを思いました。(北)

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2009年07月06日

倉吉線

倉吉線跡を歩くトレッキングが、にわかブームとなっています。
旅行商品にも組み入れられ、根強い人気があるとか。
レールファンとしてはうれしい限りです。

私はこの路線、残念ながら現役時代に乗ったことはありません。
少年時代、倉吉線の運転最終日に倉吉駅から関金方面へ列車が出ていくのを、
指をくわえて眺めていました。ああ、乗っておけばよかった。

それから10年ほどたった高校生の頃、宮脇俊三著「失われた鉄道を求めて」(文春文庫)に刺激され、
2万5千分の1の地形図を片手に、倉吉線の廃線跡全線完歩を試みました。
上井~上灘のあたりにもまだ線路が残っていて、ひたすら、
絶妙な歩幅で敷いてある枕木の上を歩いたものです。
旧打吹駅で記念館に入り、西倉吉から先は自転車道として整備されたアスファルトの上を歩きました。
関金あたりで路盤を見失い、それらしきものを発見したものの、うっそうとしたジャングルのように
草木が生い茂っていたため、ついにあきらめてしまいました。

ところが、近年になって地元の方々が廃線の魅力に着目してくださり、
関金から先がきれいに除草されたと聞き、10年ぶりに倉吉線を探す旅に出ました。

草木に覆われ、朽ち果てかけていた泰久寺駅のホームは蘇っていました。
いつまで待っても列車が来ることはないのに、ホームにはベンチまでありました。

写真は昨年の秋のものです。関金―泰久寺間です。
どうです。今にも汽笛が聞こえてきそうでしょう?
線路に立つと、胸が躍ります。癒やされます。

倉吉線は、県境を越えて中国勝山まで続く計画でつくられた路線です。
岡山県に向けてまっすぐ伸びる線路は、まさに「兵どもが夢の跡」なのです。
登録有形文化財に申請してみてはどうでしょうか。

残念ながら終点の山守駅にはホームも駅名票もありませんが、
大きな桜の木が、かつてそこに駅があったことを教えてくれます。

県民の遺産として、保存、活用しなければなりません。(北)
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2009年06月24日

倉吉駅

今日付の本紙に、倉吉駅の高架化のパースが出ています。
http://www.nnn.co.jp/news/090624/20090624032.html

小ぢんまりとした現在の駅が好きなので、少々さびしい気もします。
個人的には、祖母の家が上井(そういえば倉吉の旧駅名が上井でした)にあったので、
よく利用した駅です。トイレが新しくなったりコンビニが併設されたりしていますが、
基本的な外観は昔からほとんど変わっていません。どこか懐かしさを感じます。

橋上駅舎になっても、三朝温泉やレトロのまちの玄関口として、
にぎわいのある駅となることを、切に望みます。(北)
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2009年06月08日

ロコが泣いている

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「鳥取砂丘こどもの国」の駐車場に、まるで忘れ去られたかのように、D51 303号機が置いてあります。

説明板によると、山口県の日立製作所笠戸工場で製作されたSLで、旧国鉄の吹田、福知山の各機関区を経て、米子鉄道管理局に配属。山陰各地で多くの客車や貨車を引いたとされています。走行距離は約297万㌔。地球を51・8周、月まで2・7往復した距離に相当するそうです。引退後はこどもの国に展示され、遊び場として親しまれてきましたが、現在はアスベストの問題が表面化して以降、「安全のため」立ち入り禁止となっています。

それにしても、海に近い場所に野ざらしにされているからでしょうか、痛みが目立ちます。複雑な運転台にも立ち入ることができず、駐車場の隅っこの光が当たらない場所に、松の枯れ枝をかぶった姿で放置されています。アスベストなど安全上の対策をして、もう一度、子どもたちの遊び場として開放してもらえないでしょうか。

大山口駅のD51も痛みがひどいと聞きます。当時、誰が、何のために、どんな思いでこれらのSLを解体せずに残したのでしょう。日本や地域の発展に貢献してくれた機関車をたたえ、子どもたちに夢を与えるためだったのではないでしょうか。今一度、これらの機関車に光があたる日が来ることを、切に望みます。(北)

2009年06月01日

DD51+DE50

(修)さん言うところの「華のない」ディーゼル機関車をアップしてみました。

津山駅の扇形機関庫で撮影したものです。

左の機関車が、出雲を牽引したDD51。貨物列車や出雲が廃止された今、鳥取地区では見ることができなくなってしまいました。確かに格好は悪いですが、重連で出雲を牽く姿は圧巻でした。豊岡駅で早朝にエンジンがかかる時の音を聞いたことがありますが、まるで巨大な赤豚が眠りから覚めて活動するような迫力がありました。重連でお召し列車を牽いて鳥取入りした際は、前面に日の丸を掲げ、鮮やかな朱色に上塗りされ、まるで顔を紅潮させ胸を張って走っているように感じました。

右はDE50という珍しい形式。1970年に国内最大・最強のエンジンを積んだディーゼル機関車として登場しましたが、電化の進展や欠陥などにより量産計画は中止されたため、今も昔もこの1両しか存在していません。津山の機関庫は定期的に公開されていますので、興味のある方は一度見に行かれることをオススメします。DD51よりも長いボンネットは一見の価値がありますよ。(北)

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2009年05月25日

絶滅危惧種② キハ58系

先日、岩美駅に懐かしい気動車が止まっていました。キハ58+28の2両編成で、岡山電車区気動車センター所属(岡オカ)とありました。おそらく週末の「あまるべマリン号」で使用するため、因美(または伯備線?)・山陰線経由で回送中だったものと思われます。3番線でカラカラと音をたてながら、上下の定期列車が過ぎ行くのを待っていたようでした。

山陰線でもつい最近まで「とっとりライナー」に使われお馴染みだった気動車ですが、2003年の山陰線高速化工事完了に伴う新型車両(キハ126)の導入により、姿を消してしまいました。

旧型客車の普通列車が残る時代、「快速わかとりライナー」として華々しく登場した頃は斬新でした。鳥取―米子を2時間以内で結ぶ快速は常に満員だったように記憶しています。高校時代は通学に使用しました。元々急行型気動車なので、ボックス席もゆとりがあり、座席と通路も分けられていたので、古くても快適な車両だったように思います。

岡山で保存されているのは、2007年7月のダイヤ改正で消滅した「急行みよし」に使用されていた車両だそうです。国鉄色に戻され、因美線で「みまさかスローライフ列車」としてしばしば使用されています。

この車両も、イベントでしか姿を見せなくなりました。そう考えると、急速に世代交代が進んでいます。(北)

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2009.5.15 岩美駅

2009年05月18日

絶滅危惧種 キハ33型

(修)さんが形式のお話をしてくれたが、山陰本線の鳥取―浜坂間で運用されている車両のひとつに、両運転台のキハ33型という希少で貴重な形式の車両がある。客車にエンジンを載せて無理矢理ディーゼルカーに改造された、波乱に満ちた人生を送ってきた車両である。全国でわずか2両しか製作されなかったが、両運転台で使い勝手がいいのか、いまも現役で使用されている。

 この車両は、元々50系客車として山陰でも活躍していた。マニアじゃない方でも、あずき色の客車を覚えている人は少なくないだろう。50系客車は旧型客車(ドア開けっ放しの青色の客車)に変わる新鋭として登場したが、その後ディーゼルカーへの切り替えが進んだため、年数が経過していないにもかかわらず余剰が生じた。そこで、1988年に50系客車(オハ50形)を改造して、このキハ33が誕生したのである。新車よりも低価格で気動車を増備し、なおかつ余剰車両を有効に活用することができると考えられた。(参考文献:ウィキペディア)

 小学生の頃、私は祖母の家に行くため米子―倉吉間を母に連れられてよく往復していたが、あずき色の50系客車の登場は斬新だった。過ぎ行く風景と線路を眺めることができる最後尾が私の特等席で、駅に止まると暖房用の蒸気で窓の外が真っ白になったことを思い出す。静かで明るく、広々として乗り心地の良い客車だった。線路の継ぎ目を刻む軽快な音が心地よく、まさに「鈍行の旅」といった感じだった。山陰でもその後ディーゼルカーが普及し、50系客車は一部トロッコ用を除いて廃止されたが、高校生の頃、久大本線まで乗りに行ったことがある。

 前置きが長くなったが、キハ33型は、そんな50系客車が前身だ。両端に運転台が設置され色もオレンジ色に変わっているが、角ばった顔立ちや窓枠など、どことなく50系の面影を感じないでもない。乗ってみると、座席などは雰囲気的にキハ40とあまり変わらないが、運転台がフラットで前面展望も良く、今の120系や3セク車両の原型のようにも思える。ワンマン列車としても使い勝手が良さそうで、廃車を免れて現在も使用されていることに納得がいく。長らく境線で運用されていたが(魚列車や鬼太郎列車だった)、2004年8月頃に鳥取鉄道部西鳥取車両支部に転属し、鳥取―浜坂間で運転されるようになった。ちなみにトイレがないため、キハ47とセットで使用される。

 ステンレス製のキハ120系や126系、127系への置き換えが西日本で進む中、この形式もいつまで走り続けるか分からない。最近あまり姿を見ないので「もしや廃車か」と思っていたが、つい先日福部駅で生息を確認したので写真に収めた。いずれ姿を消す絶滅危惧種。50系の思い出とともに、乗るなら今のうちかも。(北)

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2009年5月12日 福部駅にて

2009年04月30日

Vol.1 「乗って残そう若桜鉄道」

 郡家―若桜を結ぶ第3セクターの若桜鉄道が、この春から上下分離方式で再スタートを切りました。下の部分、つまり線路は「官」が保有・管理し、鉄道会社は上、つまり列車の運行に専念するというもの。これで鉄道会社の赤字は大幅に軽減されますが、それでも赤字「ゼロ」とはいかないようです。一時は「廃止」もささやかれた若鉄ですが、若桜駅構内にSLが走ったり、駅や橋などが登録文化財に指定されるなど、住民や行政の努力のおかげで再び光が当たっています。しかし、利用客は減少傾向にあるようで、いつか再び廃止の危機にさらされる可能性があります。私は、昭和の国鉄の面影が色濃く残る若桜線の雰囲気が大好きです。いつまでも、この線に列車が走り続けてほしいと願います。そのためには、まずは地元の私たちが若桜線の良さに気づくことが大切です。みなさんも、若桜鉄道に乗って、ふらりと旅に出てみませんか。そして、どこかの駅で途中下車をしてみてください。きっと有意義な時間が過ごせることでしょう。(北)

■関連ニュース
若桜鉄道「上下分離」移行 関係者ら門出祝う
2009年04月02日
http://www.nnn.co.jp/news/090402/20090402036.html

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若桜駅に展示されているC12。桜が良く似合う