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連載・特集

原風景のうた

 誰にも原風景がある。故郷の風景だったり、家族との団らんだったり、友達との思い出だったり。いつしか覚えた〈うた〉もその一つだ。原風景のうたに寄せる気持ちやうたに重ね合わせる人の歩みを聞きながら、うたをはぐくんだ郷土に思いをはせていく。
2010/1/8の紙面より

「皆生小唄」

歌い継がれる温泉情緒
「皆生小唄」歌詞
一、海に湯が湧く 米子の皆生
波の音さえ 寝てて聞く
ヤレサ ホイホイ ヤットサノセ
二、浜へ出て見りゃ 唯しょんぼりと
隠岐はいとしや 波の中
ヤレサ ホイホイ ヤットサノセ
三、雲にかくれて 大山見えぬ
皆生松原 雨となる
ヤレサ ホイホイ ヤットサノセ

 
 波音に耳を傾けながら白砂青松に日本の原風景をしのぶ−。古き良き時代の皆生温泉の情緒が歌詞から立ち上る。かつては宴会の座敷などで芸妓(げいこ)によって盛んに歌われた『皆生小唄』だが、近年は団体客の減少に伴い歌われる機会もめっきり減った。歴史に埋もれつつある歌に光を当てる芸妓や温泉関係者がいる。

芸妓の証し

皆生温泉のPRも兼ね、行く先々で皆生小唄を独唱する柴野社長
 「県外からのお客さまへのもてなしの意を込めて皆生小唄を座敷の冒頭で披露する」。そう語るのは30年前から芸妓として活動する播谷延子さん(65)。来たころは200人近くの芸妓がいて「ほぼ毎日仕事があった」という。

 芸の基本で当然のように皆生小唄を習得。片手に扇を持ちながら三味線と歌に合わせて踊る様はいかにも優雅で、観光客の旅行気分を大いに盛り上げた。だが、団体旅行から個人や家族旅行に傾向がシフト。宴会の減少とともに年々仕事がなくなり、芸妓は現在では5人となった。

 杉本恭子さん(41)も数少ない芸妓の1人。13年前から歌や踊りを披露している。皆生小唄は「つかみ」の曲として座敷では欠かせない出しもの。「県外の人にはその土地固有の民謡が喜ばれる」と歌に対するこだわりは人一倍強い。

 芸妓のやりくりがつかず三味線の担当者がそろわないときに「カラオケに合わせて踊ってくれないか」と言われても、「三味線の生音をバックにしないと本当の良さが出せない」と断るほどだ。

 ベテラン二人にとって、皆生小唄を披露することは「皆生に芸妓の仕事が残っている証し」。「自分たちがいなくなればこの歌は消えてしまうだろう」と危機感を抱く。

説明するよりも

 老舗旅館「皆生菊乃家」(皆生温泉4丁目)の柴野憲史社長(58)は、週末ごとに館内ロビーで弾き語りライブを披露する。「皆生の森進一」として知る人ぞ知る名歌手だ。ロビーライブのほかにも、団体客向けの「お座敷ライブ」を展開。森進一の声音で皆生小唄を歌う芸が好評を得ている。

 節については「ゆったりした感じがいかにも温泉情緒があっていい」と評価。それ以上に、皆生ならではの魅力がふんだんに盛り込まれた歌詞が気に入っている。「短い歌詞だが、聞いただけで皆生の歴史が分かる」といにしえの皆生に思いをはせる。

 館内でのみならず、観光キャラバン隊の一員として県外にPRに出掛けた際には必ず歌うという。「細かい説明をするよりも、皆生小唄を歌った方が皆生の魅力がより伝わる」と練習に余念がない。

 柴野社長は「歌うことが皆生の良さを見直すことにもなる。今後も歌い継いで当時の皆生の様子を後世に伝えていきたい。今の時代、なかなかこうした小唄は生まれないので大切に歌っていけたら」と語った。(おわり)

一口メモ
 1936(昭和11)年に皆生温泉を訪れた民謡、童謡詩人・野口雨情が作詞、ホテル玉泉の佐香博美社長が作曲。新検番のお米師匠の振り付けで51年に発表した。53年、「芸者ワルツ」で有名な神楽坂はん子がレコーディングして全国的に有名になった。


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