私が勤務先の大学で行っている授業は、今年4月からはすべて対面に戻っている。マスクをしながらではあるが、人があふれるキャンパスを眺めていると、2年間に及ぶ「異常事態」がまるで夢の中の出来事だったような気さえする。
だが、授業を欠席するとの連絡をよこす学生も一定数いる。コロナ陽性という場合もあれば、濃厚接触者になったということもあるし、原因は不明だが発熱の症状があるから休むというケースもある。体調不良の際には無理をせず欠席する習慣が広がったのは、コロナ禍で生まれた数少ないメリットとも言えそうだ。とはいえ、体調不良を感じた全員が欠席しているとは限らず、もしかすると大教室で受けている学生たちの中には発熱をおして出席している人もいるのかもしれないと思うと、少しこわいと感じることもある。
今までは大半の人が着用していたマスクについて、たとえば学校の登下校や体育の時間には外すことを文部科学省が呼びかけるなど、少しずつマスク無しの生活の方向に戻す動きが出ている。
このマスクに関しては、多くの人が感じているだろうが、顔の大半が隠されている状況では困ることが多い。私は、元記者であり現役教員でありながら恥ずかしいことに、人の名前と顔を一致させることが元々本当に苦手である。だから、この2年余りは新しく出会った学生の顔をなかなか覚えられず、大変苦戦している。
私は今学期には大小7コマの授業を担当しており、受講学生はのべ270人ほど。数十人がいっぺんに受講する授業はもう諦めるとして、せめて少人数が受講するクラスではなんとかみんなの顔と名前を早く全て一致させたいとがんばっている。だが、いかんせん「情報」が少ない。髪形や髪の色、目の雰囲気、眼鏡の有無などを頼りに記憶しようとしたが、髪の色が変わるともうお手上げ。恒常的にマスクにおおわれてみると、鼻や口もいかに多くの情報をもたらしていたのかと、痛感する毎日である。
私の場合は、授業を聞いてもらうという仕事における関係だからまだいい。だが、学生同士が親しい関係を築くにあたって、話をしてお互いの性格を知りあう前に、まずは目から入る情報が限られることはどんな影響を及ぼすのだろうか。他の感覚が研ぎ澄まされる、といったメリットをコロナ禍はもたらすことができるのだろうか。
(近畿大学総合社会学部教授)
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