金井啓子の伴走で伴奏

悲しみを共有する別れこそ

2022年7月26日

安倍元首相の国葬に想う

 親しい人を失うのはつらい。葬儀に参列して出棺間際に最後の別れを告げるのは、さらに悲しみが増す。人は誰でも生まれた瞬間から、いつか訪れる「死」に直面しなければならない存在だ。ただ、頭では理解していても、家族や友人の死をいざ目の前にすると深い悲しみに襲われる。

 私は11年前に父を失った。いつかそんな日が来ると覚悟してはいたものの、父の死に直面してあらためて人は誰でも死ぬことを再認識させられた。

 父の葬儀には元同僚や趣味の仲間など生前親交のあった人たちが大勢集まって見送ってくれた。特に印象に残っているのは、父が趣味で活動していた合唱団のメンバーたちが出棺のときに歌ってくれたことだ。ある人は涙を流し、またある人は涙をこらえながら精いっぱい歌った姿は今でも忘れられない。父は私の家族だけでなく周囲からも愛されていたのだと、心底思ったものである。

 父だけでなく、これまで私は何人かの友人たちを失ってきた。親しかった人はもちろん、それほど深い付き合いでなかった人の葬儀にも参列した。最近は新型コロナウイルスの感染拡大で大勢が集まる葬儀は避ける傾向にあるが、そのような場合でも後日、共通の知人で集まって故人の思い出を語り合った。それが供養になると思うからである。

 安倍晋三元首相が参院選の最中、銃弾に倒れた事件は国内外に大きなショックを与えた。その安倍元首相を国葬で送ることを岸田文雄内閣は閣議決定した。だが、国葬には賛成と反対とで世論が二分している。世論だけではなく、国葬に反対する野党も一部にはある。

 国葬か一般的な葬儀か、あるいは身内だけの葬儀かに関係なく、亡くなった人を弔うことは大切である。ただ重要人物を国葬で送るのなら、せめて世論の大半が納得することが筋ではないか。世論が真っ二つに割れる中での国葬など、果たして空の上の安倍元首相も納得しているのだろうか。

 誰が亡くなっても葬儀を行うことに文句を言う人はいない。コロナ禍で葬儀を行うかどうか迷う場合は別として、葬儀の実行の有無を議論するなどあまり聞いたことはない。粛々と行われるのが普通であるが、国葬レベルになるとその議論が起こるようだ。

 ただ、国葬も世間の葬儀も死者を静かに見送ることに違いはない。世間が騒々しい中で送られたところで死者にとっては迷惑な話だろう。

 (近畿大学総合社会学部教授)




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