金井啓子の伴走で伴奏

忍び寄る言論萎縮の影

2022年8月1日

安倍元首相暗殺が残したもの

 安倍晋三元首相が亡くなって3週間余り。その直後には、アベノミクスをはじめとする政策や、モリカケサクラといったスキャンダルに不満を持った末の犯行かと、暴力で言論を封殺する動きが懸念された。

 だが、容疑者の供述やネットでの書き込みなどから背景が見えてきた。直接的な動機は、母親が旧統一教会に多額の献金を行った末の家庭崩壊だとわかった。旧統一教会に関係が深い安倍元首相に個人的な恨みを晴らそうとしたのだ。

 だから、いわゆる一般的な言論封殺や民主主義への脅威ではないことに、私はいったんは安堵(あんど)した。だが一方で、今回の事件が間接的な形で言論に不自由さをもたらすのではないかという危惧は抱えていた。それは、今回亡くなったのが安倍氏であったことが大きい。絶大な権力を背景に、個人的に親しい人や企業にだけ甘い汁を吸わせる構造を、日本の政治に持ち込み定着させた彼は強く批判されてきた。

 だが、生前のそうした問題点が、その死によって触れづらくなった気配を感じる。長い首相在位期間が示すように、人気の高い政治家であったことは間違いない。だが、一連のスキャンダルでは自殺者まで出たのだ。安倍氏が理不尽な死に方をしたとはいえ、生前の問題点がチャラになるというのはおかしくないだろうか。ただ、そう口にすれば「死者にむち打つのか」などと責められそうな空気を感じるのが怖い。9月末の国葬だって、明らかに世論を二分している事態であるにもかかわらず、私のように反対する人間が声をあげればたたかれそうな気がする。

 私のように、物を書くことをなりわいとしている人間が、有形無形のなんとも言えない圧力を感じるのはやむを得ない。だが、いま世間に浸透しつつあるなんとも言えない嫌な感じの「圧」が、学生たちにも伝わっているのを目の当たりにして不安になった。

 授業で私が触れた旧統一教会について、ある学生が授業後に提出する感想の中で書いた。その紙を私に手渡しながら「こういうことを書いて私は大丈夫なんでしょうか」と聞いた。世間で大きな批判と注目を集めている問題に言及することに、ぼんやりとした不安を抱えているようなのだ。

 こんなことがあっていいのだろうか。私にできることは自分が思ったことを自由に書き続け、その姿をその学生のような人に見せ続けることぐらいしか今は思いつかない。

 (近畿大学総合社会学部教授)




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