金井啓子の現代進行形

児童虐待の原因は親だけか

2019年2月14日

行政にはびこる無責任体質も

 子どもたちに対する虐待のニュースが相次いで耳に入ってきて、当人たちには選択の余地もなすすべもなかっただろうと思われるだけに、胸がふさがる思いがしている。最近では千葉県野田市で起こった小4女児の虐待死がワイドショーなどでも連日報道されている。アンケート用紙上で担任の先生に対して発したSOSが生かされず、父親に強要されて手紙を書いたことに児童相談所側が気づいていたにもかかわらず助けてもらえず、死に近づいていく彼女の絶望はどれだけ深かったことだろうか。

 大阪市でもかつて、西淀川区で2009年4月、小4の女児が両親から虐待を受け、満足な食事を受けられないままベランダで衰弱死した事件があった。

 このような悲惨な事件が起こるたびに、行政側の対応が問題視される。野田市の事件でも児童相談所が女児を一時保護したものの、教育委員会が父親からの圧力に屈して前述のアンケート内容を父親に見せるなどの不手際があり、結果的に女児の死を招いてしまった。

 家庭内で児童虐待や虐待死が起こった場合、その責任は一義的には親にある。つまり、親が悪いのは間違いない。だが、過去の事件を振り返ると、野田市の例もそうだが、行政側の不作為によって陰惨な事件が起こることも目につく。

 時折報道される児童相談所の現場では、山積する多様な案件に限られた人員で取り組み、できる限りのサポートを虐待される子どもたちに差し伸べようとしている職員たちも中にはいる様子がうかがえる。近年の法律改正によって児童相談所の権限も広がっている。そういったところは評価したい。

 それでも一方で、子どもが虐待されようが死のうがおかまいなしと思える対応も見られる。これではSOSを発する子どもを救えるわけがない。「あの人に殴られた」と被害を訴える人に対して、警察が「それはお気の毒でした」と言いながら被害者を殴る行為にも似て、これでは誰に助けを求めていいのかわからなくなる。子どもを守るはずの児童相談所や教育委員会が子どもを突き放したのだとしたら、その原因のひとつとして役所の事なかれ主義、無責任体質があると思われる。

 無責任体質は児童相談所や教育委員会だけではない。事務所経費や寄付、あるいは業者への口利きなど不明朗なカネの流れが指摘されながら居直る政治家がいる。厚労省の不正統計が明らかになりながら、大臣の責任の取り方や真相の徹底究明に及び腰の政府がある。

 この国はトップから地方まで、いつのまにか「責任」というものに無頓着になった。そうであるならば野田市の事件も起こるべくして起こったのかもしれない。親を選べず、育つ環境に対してなすすべもない子どもたちを見殺しにする。少子化の中でせっかく生まれた貴重な子どもたちを死に追いやる。そんな国に住む私たちの不幸は底知れない。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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