金井啓子の現代進行形

誰もがいつかは要介護者に

2020年5月21日

介護してわかる新たな発見

 認知症の診断を受けた母の介護が始まった。独居の母のそばに私の弟が住んでおり、毎日母のもとに通っている。だが、弟は仕事で日中は留守になる。私は離れて住むため、頻繁には顔を出せない。

 介護という言葉はいつも耳にしていたが、私にとって「いつか来るもの」ではあっても、身近ではなかった。でも、料理が大好きだった母が台所に立たなくなり、得意料理のレシピが思い出せない様子に接して、悲しみとともに現実が迫ってきた。一気に渦中に投げ込まれて、さまざまなことが見えてきた。

 母が住む自治体に介護の支援を申請して、介護の現場に非常に多くの人々が関わっていることや、多様な支援内容が用意されていることを初めて知った。介護は「とてもじゃないが抱えきれない重荷」だと私は逃げ腰だったが、介護のプロたちに助けられ、母の新しい生活が整いつつある。

 前述したように、これまで介護は私にとって身近ではなかったが、その苦労は耳にしてはいた。メディアの報道で知る部分もあったが、友人たちが親をみとったり介護をする様子から知ることが多かった。だが、友人の大半は介護をしていることは口にしても、詳細を話すことはなかった。

 いざ私の母が認知症になってみて、彼らの気持ちの一端に触れたような気がした。変化した母の姿を受け入れづらかったし、母の変化を周りに話すことにもためらいを感じたのだ。恥ずかしいから隠しておこうかとも思った。

 だが、母自身が「なんだかおかしくなっている」「バカになっちゃった」と口にするのを聞いて、考えが変わった。母の存在を私が恥じて隠すことによって、母に自分自身のことを恥じたり責めてほしくないと思うようになったのだ。だから、親戚や母の近所に住む人などに、母が要介護認定を受けたことを話した。

 私が母の様子を話すと、一瞬息を飲む気配を感じることもある。だが、認知症になったからといって付き合いを断ったり特別扱いをしてほしくないという思いで、事情を説明した。最初は驚いていた隣人たちも、それ以降はいつもより頻繁に母の家を訪れたり、中には夕食のおかずを余分に作って届けてくれる人もいる。

 母の介護に関して今のところ大きな障害にぶつかっていないのは、幸運なだけなのかもしれない。家族を介護する多くの人たちの困難をメディアでも目にする。私だって、これから母の認知症が進んでいけば、どうしてよいのかわからないことに遭遇するかもしれない。

 今の私にできることは、できるだけ母の顔を見に行って少しは母や弟の手伝いをすること、そして自分の目で見た介護の現実を文字にすること。それによって、母が残りの人生をよりよく暮らせることにつながるよう願っている。だが、それ以上に、遠からず自分が受けることになる介護の現実をきちんと受け入れておきたいという思いもある。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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