金井啓子の現代進行形

「ネット情報は無料」変わるか

2020年6月25日

コロナ禍による価値転換も

 新型コロナウイルス感染症を防ぐための自粛措置が、少しずつ緩和されている。最近になって都道府県をまたぐ移動への制限も緩められ、行楽地やショッピングモールが混雑したり、高速道路で渋滞が発生するようになった。日常生活を取り戻しつつあるようだ。

 だが、一度変わってしまった生活がそう簡単には元に戻れないと思える兆候も、そこかしこに見えている。

 たとえば外食。数日前に友人たちとレストランで集まった。この仲間とは定期的に十数人で集まっては、飲み食いしながらさまざまな話題について話す。ところが、久しぶりに開催されたこの会に集まったのはわずか数人。都合が合わない人もいたが、公共交通機関の利用に不安を感じて欠席した人や、家族からの反対を受けてあきらめた人もいた。

 コロナウイルスによる自粛社会が、人々の生活や意識を大きく変えたことは間違いない。コロナ騒動が終息しても、この「なんとなくこわい」と感じる不安がすっかり消え去って「コロナ前」に戻ることはもうないのではないか。そんな不安がよぎる。

 しかし、「変化」は悲しいものばかりではない。情報や文化の価値が見直されつつあるとも感じている。たとえば、インターネット上のコンテンツに対してお金を払う習慣の定着である。

 コロナ禍の影響で、コンサートや芝居をはじめとするさまざまなエンターテインメントを生で楽しむ場が奪われた。私もチケットを予約していた演劇の公演が中止となり、落胆したひとりである。楽しみを奪われた私のような「見る側」の苦しさもさることながら、「見せる側」の人々の生活への打撃ははかりしれない。

 最近になってコロナ感染防止の措置が緩和されたとはいえ、大勢が1カ所に集まるイベントはまだ開催しづらい。そこで始まったのが、無観客で行うイベントをネットで配信する方法である。ネットで視聴する人々は代金を支払って鑑賞するのだ。

 広告収入で情報提供側の費用がまかなわれる形に利用者が慣れていたためか、まだまだ日本では「ネットの情報は無料」という考え方が支配的だった。しかし、コンテンツや情報に対して相応の対価を払うのは当然のことで、それがコロナ問題で少しは改まった印象だ。コロナ禍という思いがけないきっかけではあったが、これが新しい習慣として始まりつつある。

 コロナ問題で私たちは未知のウイルスへの恐怖を体験すると同時に、頑張っている人、困っている人を応援しようという意識も芽生えたのではないか。価値ある情報にはお金を支払うという流れも生まれつつある。中には“自粛警察”のような迷惑な人もいるが、「払うべきものには払う」「困ったときはお互いさま」の感覚を持つ人も多い。案外、世の中はまだまだ捨てたもんじゃないようだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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